開幕

火の少年

 紹介状を手に入れてから一週間後、玲は国の首都に来ていた。


 集合場所として指定されたのは、かつては名門と謳われていた高級ホテルだ。

 白い外壁の大きな建物。廃業しているはずがしっかりと管理がされているのか、見た目の上では傷みも少ない。

 少なくとも10階以上。堂々とそびえる様はかなり威圧感があった。


 ホテルの左右からは、玲の身長の二倍はあるコンクリート壁が伸びている。灰色の蛇のように続く無機質な壁の終わりは、ここからでは見えそうにない。


 要塞のようだと思った。


 明らかに侵入者を拒絶しているように感じられて、玲は思わず眉を顰める。あるいはプレイヤーを閉じ込めるための檻だろうか。


 ホテルの入り口には警備のためか、屈強な黒服たちが待ち構えていた。仕立ての良いスーツ越しにも強靭な体躯であることがわかる。明らかに只者ではない雰囲気だ。


 しかし近づいて紹介状を見せると、名前を聞かれただけで意外にもすんなり中に通された。

 武器の所持も確認されず、建物に足を踏み入れる。


 自動ドアを潜り抜ける。

 その先は別世界だった。


 埃っぽい外気は遮断され、艶やかな大理石の床と明るい照明に迎えられる。空調の効いた空気の中を、黒服に先導されて玲は進んだ。


 コツコツと硬質な音が響く。磨き上げられた床は鏡のようにこちらの姿を映し出し、薄汚れたスニーカーとパーカーの貧相さを際立たせていた。


 漂ってくるのは鼻につくような甘い香り。

 音もなく上昇するエレベーターを降りると、そこには目を焼くほど煌びやかな大ホールが広がっていた。


 時代錯誤とも言えるその豪華さは、立ち入ることを少し躊躇うほどだった。

 かつて自分が住んでいた屋敷に近い部分もあったが、柔らかな空気のあったあの家と比べれば、権威の主張が露骨に思える。

 はっきり言えば、いやらしい。


 こんな風に綺麗で設備の整った施設に来るのはいつ以来だろう。

 玲は無意識に顔を上げ、高い天井を仰ぎ見た。


 吊られているのは明らかに高級なシャンデリア。モザイクタイルで描かれているのは天使の姿だ。

 光に満ちたその空間は、慣れ親しんだ薄暗い路地とは何もかもが違っていた。

 玲は居心地の悪さに眉を寄せ、無意識にパーカーの袖を握りしめる。


 たどり着いたのはダンスホールを思わせる大広間。壁面には、無機質なモニターが幾つも佇む。部屋の奥には一段高く設けられたステージがあり、そこにはまだ誰の姿も見えていない。

 ただし、部屋の中は既に喧騒に満ちている。


 集まっている人数は500人から600人強。年齢はまばらだが、30代か、それに満たない若者が大半だろう。男女比はおおよそ8対2といったところか。

 各人、思い思いの格好をしているが、動きやすく機能的な服、というのが共通項の気がした。


 そして当然、大半の人間はなんらかの武器を所持している。


 腰に吊るした軍用ナイフ、ジャケットの懐を不自然に膨らませる拳銃のシルエット。……比較的取り回しがしやすく軽そうなものが多いらしい。

 得物が見えない奴もいれば、かなり大きな鞄を背負っている者も。十中八九、鞄の中身はライフルなど銃だろう。


 玲は周りを観察しながら、人混みを縫うように広間の中央へ足を進めた。

 しかし、普通に歩いているだけのはずなのに、やたらと周りから視線を感じる。


 不躾な好奇心と、わずかな侮蔑が混じった目線に、玲は無言で眉を顰めた。思わずパーカーのフードを深く被る。


 こういう時は自分の容姿が嫌になる。

 黒髪や茶髪の人間が多いこの国で、年齢の割に不自然な白髪は周囲に溶け込むことに向かない。

 瞳の赤も同じこと。元は黒かったはずなのに、いつの間にかまるで違う色になっていた。


 この見た目になったのは随分前だが、どんなに経っても、他人に見られる感覚は気持ちのいいものではない。


「ねえ、あんた」


 不意に、場違いなほど軽い声が鼓膜を叩いた。

 自分のことだとは思わず、玲は足を止めずに歩く。しかし、横からふいっと視界に飛び込んできた金色に、歩みを止めざるを得なかった。


「聞こえてる?」

「…………」


 玲は、自分より僅かに背の低いその青年を冷ややかな目で見下ろした。

 ピンピンと跳ねた金髪はおそらく染めたものだろう。染めてから時間が経っているのか、頭のてっぺんだけが僅かに黒くなっている。髪質も傷んでバサバサだ。


 薄手のTシャツに、着古した白いワイシャツ。膝下のハーフパンツから伸びる足元は、どこか子供っぽさを残す赤いスニーカーだ。見た目はかなり軽装で、この殺伐とした雰囲気とはどこかかけ離れている。


「あんた、オレと歳近いよな。 名前聞いていい?」

「…………。」


 やけに馴れ馴れしい奴だと思った。

 この時点で苦手なタイプだと断言できる。

 こういうグイグイと強引に来る人間には、正直あまり関わりたくない。


「あ、オレは火狩かがり紅葉くれは。よろしく」

「聞いてない」


 玲はすぐさま表情を消した。睨みつけるようにして見下ろすが、火狩は笑顔を崩さない。男にしては高めで弾むような声が鼓膜を揺らした。


「ねぇ、名前は?」


 彼の表情は屈託がなく、ただ純粋なものだった。敵意も悪意も感じられない。大きな目には好奇心だけが存在している。

 それがどうも、居心地が悪い。


 玲は気づくと無言のまま、ズボンの生地をさすっていた。こんな風に、何の意図も悪意もなく声をかけられるのは久しぶりで、どう対応していいか迷ってしまう。人と話すのはストリートファイトで勝敗の確認をする時くらいだったから。


 黙り込んだ玲を前に、火狩はムッと眉を顰めた。


「なぁ、それくらい教えてくれてもよくない? 減るもんでもないじゃん」

「……玲」

「レイ! オッケーよろしく! ちなみに苗字は?」

「どうでもいいだろそんなの」


 反射的に強く吐き捨てた。

 家の話はしたくない。他人に踏み込まれたくもない。


 火狩は一瞬びくりとしたが、すぐ気を取り直したように尋ねてくる。


「じゃあ歳は? オレは18」

「……同じ」

「やっぱり近いじゃん!」


 どうでもいい、とは口に出さなかった。これ以上相手のペースに巻き込まれるのはごめん被る。ため息を吐けば、彼は眩しいものでも見るように目を細めた。


「へへっ。レイ、立ってるだけで目立ってたから、なんかつい声かけちゃった。目はカラコンってわけでもなさそうだし、髪も染めてないんだろ? 全然傷んでないよな」

「…………」

「ダンマリかぁ……。でも、無言は肯定でいいよな」


 好きにすればいい、と玲は回答を放棄した。

 同時に、注がれていた視線の正体がやはりこの容姿のせいだったのだと忌々しさに顔を顰める。


 白髪がそれほど目につくなら、せめて染めておけばよかった。それくらいできる金はストリートファイトで十分稼げていたわけだし。

 カラーコンタクトだって、作るだけ作っておけばまだマシだったかもしれない。


 やはりこの見た目は不自由だ。

 好きでこうなったわけでもないから、余計に腹が立ってくる。


 思考が濁りかけたその時、唐突に広間の明かりが消えた。

 顔を上げれば、ステージ上にスポットライトが当てられている。


 秩序なくざわついていたホール内が、まるで呼吸を止めたかのように、一瞬で静まり返っていた。


 その静寂を、カツカツと、軽やかな高いヒールの音が踏みつけていく。


 光の中に現れたのは一人の女性。


 一目で高級だとわかるブラックスーツと、洗練されたデザインのアクセサリー。身につける物のどれもこれも、自分のように灰色の街で生きてきた人間とは一線を引いている。

 品の良さが嫌味たらしいが、僻むことすら億劫になる程だった。


「皆様、本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます」


 マイクを通して言い放つ女性は、ホールにいる人間の視線を一身に浴びてもまるで臆することがない。明らかに場慣れした雰囲気だった。


「私は、御堂みどう市花いちか。御堂グループ代表を務めています。そして今回、このゲームを主催した者です」


 淡々とした、だがホールの隅々まで透き通るような声に、周囲が小さくどよめいた。


 その様子に、若いな、と玲は思う。

 塗りつぶしたような黒髪にはツヤがあり、顔立ちも華やかだ。凛とした吊り目と、そこに施された濃いアイラインが自然と目を惹く。


 見た目からしてせいぜい30代そこそこだろう。だが、彼女の瞳の冷たさは、とてもその年代女性が持つものではない。


 彼女は、この国を裏から操るとさえ囁かれる、巨大複合企業グループのトップだ。

 そんな仕事、余程の知識と体力がなければやっていけない。会場に集まった無象無象とは根本的に格が違う。


「あの人がねぇ……」


 隣の火狩が低く呟くのを聞きながら、玲は静かに御堂を見据えた。


「皆様、まずはよくぞここまでいらっしゃいました。私共ゲームマスターは、いかなる手段、いかなる過去を経た方であれ、紹介状を手にし、この会場に来られた皆様を歓迎いたします」


 御堂は恭しく、完璧な角度で腰を折った。


 たっぷり3秒。

 静止した所作は丁寧だ。


 しかし、ゆっくりと顔を上げた彼女の顔には事務的な笑みが浮かんでいる。そこに、心は一切、込められてはいなかった。

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