帰還勇者、魔法の使えない世界で「いらっしゃいませ」を唱える

くらのふみた

第1話

 入店チャイムが鳴った。

 カイトの視界に、黄金色の魔法陣まほうじんが浮かび上がる。六芒星ろくぼうせい紋様もんようが回転し、来店者らいてんしゃ気配けはい解析かいせきする。頭上には半透明の文字列が表示される。


《Lv.3 酔狂すいきょうなる村人》

脅威度きょういど:★☆☆☆☆》


 カイトは無表情のまま、レジカウンターの前に立った。

「いらっしゃいませ」

 呪文じゅもんとなえるように、抑揚よくようのない声で告げる。


 深夜二時のコンビニ。天井のLED照明が白くかがやいている。カイトの視界では、それが浮遊ふゆうする光魔法の球体きゅうたいとして認識される。商品棚に並ぶペットボトルは、色とりどりのポーション瓶の列。赤はHP回復かいふく、青はMP回復、緑は毒消どくけし。レジ横のホットスナックケースは、温かな光を放つ魔道炉まどうろ。フライドチキンが聖なる炎で焼かれている。自動ドアは、結界けっかいゲート。侵入者しんにゅうしゃ識別しきべつし、許可きょかされたものだけを通す魔法装置まほうそうち

 美しい世界だった。

 でも、現実は違う。


 カイトは目を細めた。視界が少しだけクリアになる。

 床の隅には、誰かが持ち込んだ泥が乾いて固まっている。レジカウンターには、昼間のスパゲティ弁当の油染あぶらじみが残っていて、いても取れない。冷蔵庫れいぞうこのモーター音が低くうなっている。蛍光灯がジリジリと耳障みみざわりな音を立てている。そして、カイト自身の姿。安物の作業ズボン。せ細った腕。猫背。顔色は悪く、目の下にはくまができている。右肩にはにぶい痛みがある。異世界での戦闘で負ったきずが、湿度しつどの高い日にはうずく。

 異世界で鍛え上げた筋肉は、もうない。深夜勤務の不規則な生活で、体調も優れない。食事も適当だ。コンビニの廃棄弁当か、カップラーメン。栄養えいようバランスなんて考える余裕よゆうもない。


 五十代くらいのサラリーマンが、缶ビールとつまみを雑にカウンターに置いた。仕事帰りなのだろう。ネクタイはゆるみ、シャツのえりあせ湿しめっている。さけにおいがする。

「これ」

 カイトは無言でバーコードをスキャンする。ピッ、ピッ。機械的な動作。何も考えない。考えたくない。


 視界の端に、理想の自分が見える。勇者モードのカイト。背筋を伸ばし、優雅ゆうが会釈えしゃくする。「安心せよ、旅人よ。この補給所ほきゅうじょまもられている。夜が明けるまで、安全あんぜん保障ほしょうされよう」と、りんとした声で告げる。そんな自分。かつて、仲間たちからたよられた自分。たみから感謝された自分。


 でも、現実のカイトは言った。

「……三百六十八円です」

 うつろな目。機械的な動作。レジぶくろに商品を入れる。

 客はあきれたように鼻を鳴らした。

「暗い店員だな。もうちょっと愛想あいそよくできないのか」

 カイトは何も答えない。ただ、おりを渡す。

 店を出ていく。入店チャイムが、また鳴った。


 カイトは小さく息を吐いた。胸が重い。


 商品補充ほじゅうの作業に戻る。段ボール箱を開けて、飲料水のペットボトルを棚に並べる。単純作業。何も考えなくていい。手を動かしていれば、時間は過ぎていく。

 でも、頭の中では過去が反芻はんすうされる。止めようとしても、止まらない。


 高校二年生の夏。十七歳だった。

 あの日、教室で歴史れきしの授業を受けていた。まどの外には青い空。せみの声。友達とどこに遊びに行こうか、そんなことを考えていた。

 次の瞬間しゅんかん、視界が白くまった。

 気がついたら、石造りの城の中にいた。大理石だいりせきの床。天井からり下がるシャンデリア。そして、目の前には白いひげたくわえた老人ろうじん。魔法使いだと名乗なのった。

「勇者よ、よくぞ来てくれた」

 混乱こんらんした。何が起こっているのか理解りかいできなかった。でも、すぐに受け入れた。だって、あの世界はキラキラしていたから。


 魔法が使えた。けんれば、風がれた。呪文じゅもんとなえれば、ほのおが生まれた。ステータスが見えた。レベルが上がった。スキルを習得しゅうとくした。まるでゲームの世界。でも、それは現実だった。


 仲間ができた。騎士きしのガルド。魔道士まどうしのリーナ。盗賊とうぞくのジン。そして、聖女せいじょエリーゼ。みんな、カイトを頼ってくれた。「勇者様」と呼んでくれた。

 必要とされていた。


 三年間、戦った。

 ゴブリンを倒した。ドラゴンと戦った。魔王軍まおうぐん幹部かんぶやぶった。そして、ついに魔王を倒した。世界を救った。

 王から、勲章くんしょうをもらった。民衆みんしゅうから、歓声かんせいびた。エリーゼに、「ありがとう」と言われた。

 あの瞬間しゅんかん、カイトは世界の中心ちゅうしんだった。


 そして、光に包まれて帰還きかんした。


 気づけば、自室のベッドの上。

 現代日本。令和の世界。

 スマホの画面がめんには、既読きどくのつかないメッセージがいくつも残っていた。「カイト、どこ?」「心配してる」「生きてる?」でも、それは三年前のものだった。


 でも、誰も信じてくれなかった。

 家族に、「三年間、異世界にいた」と説明した。父はだまり込んだ。母は泣いた。いもうとおびえた目でカイトを見た。

失踪しっそうしていて、心配したんだぞ」

 父はそれだけ言った。


 警察に保護された。病院で検査を受けた。身体的には異常なし。精神的には、少し疲れている。それだけ。医者いしゃは「ストレスでしょう」と言った。カウンセラーは「話したいことがあれば、いつでも」と言った。

 でも、誰も理解りかいしてくれない。


 高校は中退扱ちゅうたいあつかい。友人は誰も連絡を返してこない。行方不明ゆくえふめいだった人間がきゅうに戻ってきて、どうせっすればいいかわからないのだろう。同級生はみんな、大学生や社会人になっていた。


 履歴書りれきしょを書いた。

 学歴:高校中退。

 職歴:なし。

 空白の三年間。


 面接で聞かれた。

「この期間、何をしていたんですか?」

 答えられなかった。

「異世界で勇者として戦っていました」なんて言えるわけがない。「家庭かてい事情じじょうで」とだけ答えた。面接官めんせつかんまゆをひそめた。


 不採用の連続。三十社以上受けた。全部、落ちた。

 唯一ゆいいつ、雇ってくれたのが、このコンビニだった。深夜専属せんぞく。時給は最低賃金。でも、文句は言えない。


 二十歳。同級生は大学のサークル活動をSNSに投稿している。楽しそうな写真ばかり。飲み会。旅行。恋人との写真。

 カイトは、深夜のコンビニでレジを打っている。

 誰も見ていない。誰も必要としていない。


 カイトは手のひらを見つめた。

 かつて、この手から魔法が放たれた。《フレアストーム》。灼熱しゃくねつほのおあらしてきくした。《アイスランス》。こおりやりりゅうつらぬいた。《ライトニングボルト》。いかずちが魔王軍の兵士へいしたおした。この手で、聖剣せいけんにぎった。竜のうろこいた。仲間の肩をたたいて、はげました。

 今は、レジ袋を結ぶだけ。弁当のバーコードをスキャンするだけ。


 小声でつぶやいた。

「……イグニス」

 炎の魔法の名前。かつて、この言葉を唱えれば、てのひらから火が生まれた。

 でも、何も起こらない。当たり前だ。

 魔法なんて、ない。この世界には。


 時計を見る。午前一時。休憩時間だ。

 カイトはバックヤードの休憩室に向かった。


 せまい部屋。パイプ椅子いすとテーブルが一つ。かべには労働基準法ろうどうきじゅんほうのポスターがられている。

 そこには、もう一人のアルバイトがいた。

 黒いかみうしろで一つにたばねた、笑顔えがお女性じょせい


「カイトさん、お疲れ様です」

 彼女かのじょは明るく言った。

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2025年12月21日 23:32
2025年12月22日 23:32
2025年12月23日 23:32

帰還勇者、魔法の使えない世界で「いらっしゃいませ」を唱える くらのふみた @humita

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