第5話 守られるのは嫌いじゃないけど、それだけは嫌
朝の空気は、もう春とは言い難い。
陽射しは強く、風はぬるい。学園の石畳に落ちる影は、くっきりと長く伸びている。
ペアを組んで、何日かが過ぎた。
それでも――ギルバートと並んで立つ実技の時間には、いまだに小さな緊張が残る。
(慣れたようで、慣れないんだよね……)
魔法実技棟の一角。各生徒に個別の課題が割り当てられ、結界内にはそれぞれの作業スペースが用意されていた。
アイリスの課題は単純だ。
「種子を発芽させ、一定時間安定させる」
――単純、なはずなのに。
「…………」
種は、うんともすんとも言わない。
指先に意識を集中させ、土の魔力を流す。押して、包んで、支えてみる。理屈は分かっている。座学では、ちゃんと理解した。それなのに。
(出ない。芽が。全然)
隣では、まったく違う光景が広がっていた。ギルバートは、すでに自分の課題を終えている。合格の印が、淡く魔法具に残っているにもかかわらず、彼は手を止めていなかった。
――炎。
小さく、しかし芯の通った火が灯る。熱は抑えられ、揺らぎは最小限。燃え広がる気配はなく、ただ「そこにあるべき形」で存在している。
そこへ、風が添えられる。鋭いが、乱暴ではない。炎を煽ることも、消すこともせず、空間を整えるためだけに流れる。
(……凛としてる)
派手ではない。けれど、誤差がない。
力を誇示する魔法じゃない。
「正しく使う」ことを前提にした魔法。
(ああ……)
(これは、アドバイスとか、いらないやつだ)
思わず、そんなことを考えてしまう。
(私、ここに立つ意味あるのかな)
同じペアなのに。同じ課題なのに。ギルバートは、完璧に近い。自分は、まだ土とにらめっこしている。
「……」
ふと、視線を感じて顔を上げる。ギルバートが、こちらを見ていた。
「……肩に力が入りすぎている」
低く、ぶっきらぼうな声。
「え?」
「魔力の流れが散っている。方向が……めちゃくちゃだ」
言葉を探しているのが、少し分かる言い方だった。
「指先じゃない。もっと、種に集中しろ」
「えっと……触らない方がいい、って習ったけど」
「触るな。意識を向けろ」
短い指示。説明は少ない。
(……教えるの、慣れてないな)
そんなことを思いながらも、言われた通りに呼吸を整える。肩の力を抜く。土を“動かす”のではなく、“待つ”。種の存在だけを、意識の中心に置く。
「……」
一瞬。ほんの、わずかな感触。
――ぴし。
殻の内側で、何かが動いた気がした。
「……あ」
小さく声が漏れる。芽は、まだ出ていない。けれど、確かに“反応”があった。ギルバートは、それを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「……今のだ」
「え?」
「今の感覚を、忘れるな」
言い切り。でも、どこか慎重で。
(……意外と、優しいじゃん)
そう思った瞬間、視線が合う。
「何だ」
「いえ、なんでも」
慌てて首を振る。
ぶっきらぼうで、説明不足で、真面目すぎる。
けれど、ちゃんと見てくれている。
(組む意味、あるかも)
まだ芽は出ていない。課題も、終わっていない。
――その時だった。ぐらりと、床が揺れた。
「……っ!?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。次の瞬間、教室のあちこちからざわめきが広がる。
「な、なに!?」
「揺れてる……?」
魔力の波が、空気を震わせている。誰かの課題魔法が、制御を失ったのだと、遅れて理解する。結界装置が低く唸り、備品が軋んだ。
「危ない!」
誰かの声。大きな棚が、ゆっくりと傾き始めていた。固定具が外れ、重心がずれていく。
(まずい――!)
アイリスは反射的に一歩踏み出す。根を出せばいい。床を割って、支えれば――けれど。
「……っ!」
足元を見る。ここは実技用に補強された床だ。結界と魔法具で隙間がなく、根を伸ばす余地がない。
(出せない……!)
魔力はあるのに、形にできない。焦りが、胸を締めつける。その瞬間。
「――どけ」
低い声。腕を引かれ、視界が揺れる。
「え――」
次の瞬間、突風が走った。
ごうっという音とともに、空気が渦を巻く。
倒れかけていた棚が、横から押し戻され、壁際へと叩きつけられる。破片が舞い、誰かが悲鳴を上げたが、直撃は免れた。
風は、必要な分だけ吹いた。それ以上、何も壊さない。完璧な制御。気づけば、ギルバートが前に立っていた。
「……動くな」
短い命令。
「力を持たない者が、無理をするな」
「……!」
アイリスは、思わず唇を噛む。言っていることは、正しい。頭では、ちゃんと分かる。
(でも――)
何もせずに見ているだけなんて。危ないって分かっているのに、動かないなんて。
(……できないよ)
心臓が、まだ早鐘を打っている。
「……分かってます」
口ではそう答えながら、視線を逸らす。
「でも……」
続きは、言葉にならなかった。
ギルバートは一瞬、こちらを見る。何か言いかけて――結局、口を閉じた。
教師たちが駆け寄り、混乱は収束へ向かう。生徒たちも、少しずつ息を取り戻していく。
その一角。
騒ぎの中心から少し離れた位置。すでに魔力を展開する準備は整っていたが、出番はなかった。
「……派手だったね」
ロイドが、独り言のように呟く。
「……君も、そうならないといいね」
ロイドの声は、驚くほど穏やかだった。
結界装置の影で、ルイは自分の課題に向き合っていた。水属性の基礎課題――規定量の水を、器へ正確に出す。それだけのはずなのに、水面はまた縁を越えた。
「……っ」
止めたいのに、止まらない。抑えたつもりでも、流れが余分に伸びる。器を見つめるほど、指先が硬くなる。
「難儀だね」
隣でロイドが肩をすくめる。
「規定量を出すだけなのに、溢れる」
「……簡単ではありません」
「うん。簡単じゃない。君の場合は特に」
ロイドは、器の水面をちらりと見ただけで言った。
「君、守り癖がある」
ルイの喉が、わずかに鳴る。
「そういうの、いったん置いときなよ」
ロイドは軽く言って、前に出た。
「見てて」
ロイドは、ほんの少しだけ指先を上げた。
その動作はまるで呼吸をするみたいに自然だった。空気が揺れた、というより――水が思い出したように動いた。
器の縁に触れる前から、流れは定まっている。跳ねも、迷いもない。水は音を立てず、ただ静かに、あるべき高さまで満ちていく。
溢れない。止めてもいない。最初から、そうなると知っていたみたいに。水面がわずかに震え、それから、ぴたりと静止した。完璧だった。
ルイは、言葉を失ったまま器を見つめる。
力を抑えた様子はない。けれど、力を誇示する気配もない。そこにあるのは、制御ではなく、理解だった。
「ほら。水はさ」
ロイドは、もう興味を失ったように手を引く。いつもの、力の抜けた調子に戻っている。
「守らなくても、勝手に落ち着く」
説明は、それだけ。視線も、器には戻らない。その背中は、誰とも繋がっていないみたいに軽くて、同時に、どこかひどく遠かった。
ルイの胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
(……彼女の動線を)
(危険の芽を)
(選択肢を、先回りして)
意識する前から、当たり前のように。
守るために、水を縛り続けてきた。
ロイドは、そんな内側に踏み込むことなく、肩をすくめる。
「だから」
淡々と、他人事みたいに。
「疲れるんだよ」
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余命宣告された侯爵令嬢、恋をして世界を救えと言われました 〜卒業の日までは、生きてるよ。たぶんね〜 月見ましろ @cccusako
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