魔王とは。
リウイチ
プロローグ 約束
「──僭越ながら……死んで頂きます。魔王様」
魔王城玉座の間にて、長年共に過ごしてきた最も近しい腹心の参謀が、自らの主に対しそう宣言した。
発した言葉の内容とは裏腹に、跪きながら敬意を払う様子であった。
尊敬の念はあるが、今後のために死んでもらいたい。つまりはそういった心持なのだろう。
その場には、ここに立ち入る事が許されている大勢の幹部が平伏しているが、参謀から発せられた反逆の言葉に異を唱える者は皆無であった。
状況を一言で表すのならば謀反。魔王が悠々自適に過ごす中、水面下で着々と練られていた必殺の計画である。
魔王軍参謀、魔王の腹心──全知全能のラゴニウス。
主に魔王の頭脳を担当し、数々の策略を企てて魔族の支配域を広げてきた知将である。
世界の大半を管理下へと陥れたその手腕は、魔族の誰もが認めるものであった。
時期魔王に最も近いと称されるどころか、その功績からラゴニウスこそが真の魔王であると内心称える者も大勢いた。
彼の手に掛かれば、世界の全てを魔族が支配する日もそう遠くはない。
この、現魔王さえいなければ──。
「──はァん⁉ なんで!? 嫌じゃもん‼」
魔王はストローから口を外し、手に持っていたワイングラスを玉座横のテーブルに勢いよく置いたあと、目に掛けていたサングラスを頭部に移動させた。
彼女は遠く離れた南の国でバカンスを楽しんできた帰りである。
こいつら急に何を言っているんだ……?とでも言いたげな鋭い目つきで、眼前に跪く直属の隊長等とその背後に群がる幹部の面々を見渡す。
魔王の強力な睨みと膨大な魔力の放出に怯えた幹部の大半が身を震わせ、泡を吹き出し気絶した。たったそれだけで即死した者もいる。
そんな威圧の中にあっても、参謀のラゴニウスは一切として微動だにしなかった。
数日間に及ぶバカンスの提案によって入念に時間を稼ぎ下準備を整えていた彼の覚悟は盤石である。
「魔王様、貴方が遊びに行った南の国は滅びました。そこを統治していた魔族も、私どもが管理していたニンゲンも、何もかもが一瞬にして消し炭になりました。魔族が支配するこの世界においてニンゲンは大切な食糧なのです。恒久的繁栄のために徹底的に管理し、一定数は保たねばなりません。それなのに貴方は……同胞たる魔族までも……」
跪いたままのラゴニウスは、拳を握りしめて悔しさを露わにした。
自らが築き上げてきた計画の多くが、魔王の日課や気分によって破壊され尽くしていく現状に憤りを感じていたのであろう。
狡猾な手法による支配によって着実かつ堅実に領土を拡大していくラゴニウスに対し、魔王は破壊によって焦土を作り、そこに魔族がなだれ込む形で領土を拡大していた。
魔王の持つ規格外な力を都合よく利用する事もあったが、世界統一完了を目前とした今となっては存在自体が弊害でしかない。
彼女は魔王というより、破壊神と表現したほうが適切とすら感じさせる規模の力を有していた。
このままでは全てが破壊し尽くされ、この地から生物が消えてしまうだろう。
「ワタシが悪いんか!? 少しは言われた通りにしてるぞ⁉ 破壊ビームは一日一回までにしてるではないか!」
魔王はラゴニウスの訴えを全く理解できていなかった。
毎朝彼女が寝室の窓辺から放つ破壊の魔法は、世界のどこかを日々ランダムに破壊している。
その矛先が支配下の国だろうが、魔族の集落だろうが、人間牧場だろうが関係ない。一切お構いなしだ。
そして彼女は「なんだか部下に怒られてる気がする──」という、印象的な要素しか頭に入っていなかった。
端的に受け取り全容を把握しきれていないため、言い訳じみた稚拙な正当化しかできない。
彼女にとって一歩二歩先の計画は思考の範囲外である。
全てがどうにでもなる個人の圧倒的力の前では、壁や行き止まりなどが存在しないからだ。
「……それでは死んで頂きます」
会話が成り立たない魔王に対して、ラゴニウスは冷徹かつ一方的に計画を実行させた──。
玉座の手前、最前線で跪いていた魔王軍魔法隊の隊長ベルゼが勢いよく立ち上がり、極限まで鍛錬を積んだ最高位の魔族のみが生涯で一度のみ発動できる大魔法を魔王へと目掛けて放つ。
「〈愚者の怨念〉!!」
その効力は、浴びせられる対象がこれまで殺してきた魔族の数だけ強くなるというもので、元々は英雄級の人類に特化した対人魔法であったが、魔王は人類のみならず、魔族までも大量に殺害してきたため、威力は絶大となって反映された。勿論、先ほど彼女が睨みつけたことによって死んだ魔族達もカウントされている。
漆黒の巨大な柱のような法撃が、魔王の全身を包み込みながら玉座背後の壁を突き破り、魔王城の外──空の彼方へと放出されていく。
「──あばばばばば」
同胞の死のエネルギーを大量に纏った怨念の一撃に魔王は若干の振動を感じたため、その身体の震えによって変化した自分の声を楽しんでいた。
やがて魔法が収束すると、衝撃に耐えきれなかったバカンス用の衣服だけが消え去り、全裸と化した魔王が塵の中から姿を現す。
「お前なァ~! 服が無くなったではないか!」
呆れた魔王が指をさした瞬間、ベルゼは木っ端微塵に砕け散り、灰となった。
しかし、これもラゴニウスの計画の内である。
「──魔王様、少しの間動かないで頂きます」
灰と化し崩れ去ったベルゼは、不自然な動きで宙を舞う黒い霧となり、死後に発動する束縛魔法の化身となって魔王の全身を包み込む。
「(……おお、動けんのう)」
その魔法は、どんな生物であろうと死に至るまで永久に動きを封じる強力な呪縛であるが、魔王に対しては数秒のみ効果を発揮する。
以前、戯れと称して行った実験で実証済みである。その際に犠牲となった魔族は、ベルゼと同等の魔力を保有する次期隊長候補の幹部であった。
使用者の魔力総量と、身に受けた攻撃の威力によって束縛の効力が高まる。
貴重な人材を犠牲にしてまで得たのはたった数秒──。だが、ラゴニウスにとってはそれで充分だった。
魔剣ディアボロスルイナ──。
魔王が愛用するその剣は、攻撃箇所に振りかざす事によって切断したという結果だけを具現化させる、規格外の存在に相応しい型破りの武装であった。
攻撃の意思を以て振りかざせば、山や雲、空間すらも切り開く事が可能である。
彼女が常日頃から口内に収納し持ち歩いているそれは、玉座へと座る際のみ、その横の定位置にいつも突き刺している。
なぜいつもそこに突き刺すのかとラゴニウスが訊ねると「ハッハッハ! かっこいいからじゃ!」と、いつかの魔王は笑顔で答えていた。
その習慣を利用しない手はない。
「──今です! 怪力のヴォルゴス!」
「ウゴォォオオオオ!」
ラゴニウスの合図によって魔王戦士隊の隊長ヴォルゴスは声を荒げながら駆けだし、玉座の横に突き刺さる魔剣を握りしめて引き抜こうとする──が、魔族随一の怪力をもってしても剣は引き抜けなかった。
「ハッハッハ! ヴァッカめ! 抜けぬじゃろう! かっこいい剣はかっこいい者にしか扱えないのじゃ~!!」
呪縛によって身動きが取れないはずの魔王は、既に高笑いを発せられる程には動けるようになっていた。
ラゴニウスが練った計画の中で唯一の不確定要素であり、最も不安を感じていた段階がこれである。
「──やむおえませんね。魔法隊幹部は各々の持つ最大威力の風属性魔法を魔王様に向けて打ち込んでください。穴の開いた壁の真下──場合によっては次なる予定地へと魔王様を落とします。戦士隊幹部各員はヴォルゴスに肉体強化の魔法を付与し続けてください。訓練通りにお願いしますよ!」
各魔族が、ラゴニウスの指示に従って団結する。
魔族にはそもそも協力という概念がないはずであったが、現魔王の失脚という目的の一致が結果的に前代未聞の連携へと繋がっていた。
あるいは魔王とは違い、人間由来の魔族達であるためだろうか。脅威に晒され危機に瀕した状況下で進化し、多少の連携が可能となったのかもしれない。
数百年、数千年。もはや誰もが知りえないほどの太古から君臨し続けた現魔王は、人類の脅威でもあるが、魔族にとっても同じであった。
破壊の対象に種族が関係ないからだ。
近年では、どちらかというと魔族のほうが多く消されている。
「ウゴォォオオオオ!」
部下からの強化魔法を一身に受けたヴォルゴスが、ついにその魔剣を引き抜く。
全身に力を込め過ぎた結果、身体の所々から血が霧となって吹き出していた。
「頼みますヴォルゴス!」
ラゴニウスはヴォルゴスに向けて更なる強化魔法を施す。すると全身からの出血は収まり、おぼつかない足取りではあるが、かろうじて剣を振れる程度の肉体に仕上がっていった。
魔剣の重みに引っ張られながらも、ヴォルゴスは渾身の横薙ぎを魔王に向けて放つ。
「惜しいのぅ~」
呪縛から解き放たれつつある魔王は瞬時に魔法を唱え、漆黒の戦闘服を着用した。
しかしそれは、魔剣による攻撃を防ぐためではなく、ただ単に裸で居続けるのがかっこ悪いからという理由で発動させた具現化魔法である。
そもそも魔剣による切断は魔王であっても防御が不可能。
だが余裕で躱せる攻撃だと判断して、身支度を優先したのだ。
「(──ここからです!)」
長年魔王と共に過ごしてきたラゴニウスは、彼女の行動の全てを熟知していた。
魔王は後退による回避を好まない。剣が振られれば前へと進んで懐に入り、その持ち主を瞬時に殴り殺す。
通常ではありえない事だが、万が一後ろへと飛び跳ねて回避した場合は、先ほどから放たれている風の魔法の圧によって、穴の空いた壁から魔王城の外へと押し出される。
その際は、殺害成功の期待値が変わらないまま次のフェーズへと移行するだけだ。
「ウゴォォォオオオオ!」
ヴォルゴスが放つ横薙ぎに対し魔王が取った行動は、ラゴニウスの予想通り、懐に入る──であった。
破壊の闇を纏った魔王の右拳がヴォルゴスの腹を目掛けて突き出されようとした刹那、ヴォルゴスの足元の床のみが少しばかり陥没する。
それにより、ヴォルゴスの斬撃の軌道が若干下へとずれこみ、丁度、懐へと入った魔王の頭部に重なった。
「──おおっ⁉」
魔王は驚いた。自らの攻撃が届くよりも先に、魔剣による斬撃が自身の頭部に到達するほうが早い。
ヴォルゴスの足元の床が若干窪んだが、大地を変動させる類の土魔法の探知を怠った覚えはなかった。
「かかりましたね魔王様。それは私が直々に仕組んだ物理的なカラクリです。魔力の類は一切含まれておりません故、気が付かなかったでしょう」
床にある起動スイッチから足を離したラゴニウスが、不的に笑う。
緊急事態に陥った魔王は即座にかがみこみ、頭部に直撃する寸前の横薙ぎの更に下へと潜り込んだが──遅かった。
力の源である角の一片が、部下が振るう自らの愛剣によって切断される。
「──なァあああ‼ ワ、ワタシのかっこいい角がァ~!!」
魔王は落ちた角をすぐに拾い上げ、うるうるとした瞳で悲しみながら崩れ落ち、ぺたりと座り込む。
全身全霊を込めて魔剣を振り終えたヴォルゴスは、その剣の重みに引っ張られて玉座階段の下へと転がり落ち、力尽きて倒れていた。
首を撥ねるまでには至らなかったが、魔王の大幅な弱体化に成功したラゴニウスは、手のひらで頭を押さえながら笑いだす。
「フッフッフ……ようやく……ようやくこの時が来ました! ついに魔王様を弱体化できました! こ、これならば……‼ ──皆様! 最大出力の風魔法をもう一度お願いします!」
「「──はっ!」」
おいおいと泣きじゃくる魔王に対し、魔法隊幹部の魔族達は改めて一斉に風の魔法を射出する。
魔族たるシンボルの消失によりショックを受けて対処どこではない魔王は、先ほどとは違い、簡単に魔王城の外へと吹き飛ばされていった。
作戦成功による下々共の喝采をその身に浴びながら下へと落ちる中、彼女はふと考える。
「(も、もう無理じゃ~。角が欠けた魔王なんてかっこ悪いんじゃ~……)」
魔王が脳内で思い悩んだのは、あまりにもくだらない事であった。
裏切られた事、失脚させられた事、仲間が居ない事。
普通であれば、そういった現実を悲しむのだろう。
しかし、魔王にとってそれらは心底どうでもよかった。
勝手に称え、勝手に担ぎ、勝手に着いてきた下等生物を大切に思った事など一度たりともない。
最強、孤高、史上最悪、世界の宿敵。
魔王とは、かくあるべきである。
「んよォ~し! 全員ぶっ殺す!」
即座に思考を切り替えた魔王──マリスは、切断された角を口の中へと放り、ゴクンと飲み込んだ。
飲んだからといって失った力が戻る訳ではないが、腹の中はマリスにとって大切な物を仕舞う宝箱のようなものでる。
やがて背中に闇の翼を出現させ、魔王城の麓の大地にふわりと降り立つ。
そこには、ラゴニウスが事前に配備したであろう強力な魔族の他、支配下にある人間の魔導士、更にはエルフ族の聖職者なども待機していた。
「──来たぞ! 各々、ラゴニウス様の指示通りの魔法を放て!」
「「おお──!」」
眼前の脅威に対し結束を求めて叫び出したのはラゴニウスの右腕、ギマリスであった。
次代魔王がラゴニウスであるならば、その腹心はこのギマリスになる。
知力、能力、統率力、全てがバランスよく備わっており、部下からの信頼も厚い。
管理している国は数カ所に及び、魔族だけでなく、下等な魔物に対しても食料──つまりは人間の一部を分け与えるような器の広さを持つ。
そんな将来性のあるギマリスの胴体に、突如として大きな穴が空いた。
「ハッハッハ! 一人目じゃ~!」
魔王マリスがそう言うと、ギマリスは灰となって消え去る。
彼の背後のずっと奥にある山脈の一部にも、不自然な穴が出現していた。
目に見えない衝撃波が、風や音を発生させることなく一瞬にして放たれたのだろうか。
弱体化したとはいえ、その気になれば世界を滅ぼせる力が、幾つかの国を同時に滅ぼせる程度に落ちただけである。
辺りは静寂に包まれた。
「ギ……ギマリス様の無念を晴らすぞ! うぉぉおおお!!」
魔族の誰かがそう叫ぶと、各自、指示通りの魔法を順番に解き放つ。
「お、なんじゃなんじゃ~?」
魔王マリスに対し放たれた最初の魔法は、魔族の集団によるものであった。
「〈炎獄の柱〉〈水獄の柱〉〈風獄の柱〉〈土獄の柱〉」
各属性最強の魔法が、魔を極めし種族の強者達によって詠唱された。
全ての属性の柱が彼女を包み込み、こそばゆい感覚を与える。
「くすぐったいのォ~」
「──次を放て!」
代理の指令者が人間の魔導士連中に指示を出す。
放たれようとするその魔法は、魔族にとっては最大の弱点となる、人類から発せられる光属性の魔法であった。
「〈光天の柱〉!!」
魔王マリスの周囲が白く輝きはじめ、地面の石や砂といった粒が宙へと浮き上がる。
やがて天空より降り注いだ巨大な光の柱は、その周囲に立っていた魔族をも巻き添えにする形で放たれた。
「んおおおおお~!結構痛いなぁ~これ!」
僅かながら魔王の身体に傷がつく。
人類とは本来、増え過ぎた魔族に対して脅威となる力を持っている。
その生息数が減れば減るほど、強い力を宿した人間が生まれる傾向があった。
世界における不変の理とも言えるそのシステムは、基本能力が弱い人類に対してのみ反映される救済処置のようなものだった。
魔族が支配を強める現代、この世界に暮らす魔族と人類の比率は九対一。
ラゴニウスは脅威となりうる人類に対しての洗脳を徹底し、その力を管理下に置くことで反抗を抑制しつつ、魔族の領地を堅実に増やしてきた。
この場にいる人類のほとんどが、ラゴニウスが統治する国々の人間牧場で育成された忠実な者達だ。
誰もかもが、光の無い目をしていた。
「次ィ! 聖職者共ォ!」
指示を受けた各国の上位聖職者、人間の司教やエルフの大司教といった役職の者達が前へと出る。
本来エルフは人類や魔族といった表舞台の生物には干渉せず、その永寿をもって神の意思を考え導き出し、人里離れた影から単族行動によって世界の均衡を支える使命を背負った希少種であったが、ラゴニウスの恐怖改革によって捕らえられ、強制的に人類側へと配属されていた。
その永寿と神の知識を宗教利用し、変動なき信仰を続けさせるためである。
信仰される宗教は、元々人類が各国の都合で若干の改変を加えて信仰していたものを、本来エルフ族が影より言い伝えてきた信仰するべき正しき形に復元して統一したものである。
数千年、あるいは数万年。エルフ族が代々作成してきた聖典に記されている神の名で統一してあるため、信仰度合いが由来となる聖典魔法の効力は問題なく強力となって発揮される。
ラゴニウスの施した介入というのは、単純に、正しき信仰から発せられる聖典の力の矛先を、自らの意思でコントロールできるようにしたものだ。
本を開いた聖職者達がその一節を読み上げ、空へと手を翳す。
「この地を大いなる神の眼前とする──〈聖なる大審院〉!!」
魔王の周囲を、神々しい建造物を模した光が包み込んだ。
「はぁ……ワタシ、これ嫌いなんだよなぁ~」
聖なる大審院。
不変的摂理──神の御業が見守る大地を強制的にここのみとする、エルフ族が開発した究極の聖典魔法である。
発動には、全世界の上位聖職者が、正しき聖典の一節を同時に読み上げる必要があった。
その光の内部だけが世界の全体として神に認識されるため、例えば強い魔族がそこに居れば、弱い人類が均衡を保つように強者として立ち入る事が可能となる。
いわば世界のシステムを利用した決闘場のようなものだ。
どちらが存在として正しいかが決定されるまで、解除されることはない。
理の範囲外である魔剣ディアボロスルイナさえあれば摂理を無視してこじ開ける事が可能ではあるが、それは魔王城に置いてきてしまった。
神の目を欺くように世界の不具合を利用しつつ、数百年の歳月を費やしてまで彼女がその剣を作成した理由は、この聖なる大審院といった神業級の魔法を突破するためであった。
大審院内部においてマリスは〝魔王〟という単一の存在としてのみ認識されているため、武装の不備や弱体化具合などは考慮されていない。
それはつまり、ここに立ち入る人類種が完全武装かつ万全の状態であるのならば、状況は圧倒的に不利となる。
「神って案外適当なんだよなァ……だから嫌なのじゃ」
目くそ鼻くそを笑うような魔王マリスは、一見適当そうに思えるが、実際は魔王という立場を完璧にこなす、魔族の頂点にあって鑑ともいえる純然たる悪魔であった。
何も考えず破壊し、生きとし生ける全ての生物から敵対されていたが、結果として世界全体の勢力バランスを保とうとしていた。
適当であり、正統でもある。
人類のみならず魔族をも殺していたのも、悪の化身として、悪意によってしか成しえない間引きのようなものであった。
無自覚ではあるが、それは神から与えられた使命であり、存在意義でもあった。
魔王とは、本能のままに生きてこそ正しい。
つまりはこの神の御前、聖なる大審院の内部において、その存在の正しさから圧倒的な力を有する事に相違はないのだが──。
この世界にはもう一人、それと並ぶ存在力を持つものが居る。
「……そうきたか」
「……」
大審院の内部に入って来たのはたった一人。
首輪や足枷をつけ、奴隷服を着用した小汚い少年であった。
髪は黒く目は青。歳は十を過ぎて何年かといった所だろう。
痩せこけたその手には、魔族随一の怪力であったヴォルゴスが一振りのみしか繰り出せなかったあの魔剣──ディアボロスルイナが、刃先が地面に触れない程度にはしっかりと握られていた。
「……笑えんのう。全然勇者っぽくないぞ、オマエ」
「……」
その少年は、魔王という存在の座標を有するマリスと同じく、人類として唯一存在できる勇者の座標を宿していた。
「……ぼ、僕は勇者ではありません」
勇者の卵は、弱々しくそう呟いた。
「謙遜するなよクソ勇者。オマエとワタシは似たようなもんだ。だからこそ分かる。しかしなんだ、言葉を話せる程度には教育されておるのか?」
マリスは少年が勇者であると確信していた。同じくして唯一の存在であるためか、直感で分かる。
しかし、存在自体が魔族の脅威になりうる勇者の座標を有した個体を人として真っ当に育成するのは慎重なラゴニウスらしくない。
外部でコミュニケーションを取った結果、魔族と人類の勢力がすぐさま一変する可能性を大いに孕んでいるからだ。
勇者という存在は、それほどまでに厄介なのである。
「い、いえ……言葉は誰も教えてくれませんでしたが、聞く事で覚えました。人の前で喋ったのは今日が初めてで──」
「──ワタシは魔族、魔王じゃ。人ではない」
マリスは会話を続ける前に、まずは切り込むように訂正した。
「……まぁよい。じゃがオマエ死ぬぞ。明らかに勇者として正しい形を成しておらん。未熟者め……なんだそのザコそうな肉体は。指パッチンで死にそうじゃのう。ワタシが何度も殺してきた勇者等はもっと立派な図体と武装をしておったし、戦いもまぁまぁ楽しかった。本来拮抗する立場同士であるが、ワタシが創り上げた特異点たるその魔剣があったから余裕で勝てた。しかしオマエがその勝利の鍵を握っていたとしても──弱体化されていたとしてもワタシは負けんぞ? 魔剣だけに……」
「ははは、魔王さんって面白いんですね。でもそれだと、負けない剣を持っている僕が勝つ事になりますよ」
「はァん⁉」
彼の持つ感性は、違和感を覚えるほどに豊かであった。
人間牧場で生まれ、母を知らぬまま育てられ、生存を許された数少ない人類から奴隷のように扱われ、偶然にも勇者の座標を有していたからといって、毛も生えぬ年頃のままこのような死地へと繰り出された、何も知らないはずの無様で哀れな汚い子供。
にしては卓越した、温かみのある何かを心に強く宿していた。
まるで、最初から持ち合わせていたかのように──。
選ばれし勇者とは、かくあるべきである。
が、とはいえそれは、その調子で将来を迎えた場合の話だ。
「魔王さん……僕はこの世界を、人類、魔族を含めた誰もが楽しく過ごせる幸せな場所にしたいんです。ここで貴方を殺したからといって、今の世の中でそれが叶わない事は分かっています。だから──」
「──おいおい待て待て、ワタシを殺す? まずその仮定からして不可能じゃろ。角が一つ欠けているとはいえ、魔剣を持たぬとはいえ──小便臭いガキんちょの見習い勇者ごときに負ける魔王様ではないわい」
「もう一つの角が無くなっても……ですか?」
勇者の卵がそう言うと、マリスに残されていたもう一つの角が地面へと落ちた。
「……あっ! ええ⁉ ちょっとぉぉおおお‼」
マリスはすぐさましゃがみ込み、落ちた角を両手で拾い上げて焦りだす。
禍々しい角が両方ともなくなって、ちょっと意地悪そうな、ピンクの髪が可愛らしい、ぐるぐるとした黒い瞳の女児のような風貌となった。
「……ごめんなさい魔王さん。僕の話を聞いてください。──貴方を殺したとしても、また新たな魔王が生まれるだけです。このあとラゴニウス様が魔王という役職に就いたとしても、それは魔王であって魔王ではない──ただの一番偉い魔族です。数年後、あるいは数十年後には崩壊することでしょう。そして、世界の理によって新たに顕現する生粋の魔王が、貴方のような正しい悪──必要悪とは限りません。もしかするとラゴニウス様のような卓越した知性と狡猾な性質を持っていて、今よりも酷い状況になるかもしれません。ですから──」
「う、うう……」
涙を流しながらうんうんと頷くマリスは、自慢の両角を失い戦意を喪失したせいか、完全に勇者と認めざるを得ない少年の話を一言一句しっかりと頭に入れていた。
人の話を真剣に聞いたのは、数千年生きてきた中でこれが初めての事である。
弱体化しているとはいえ、魔王を遥かに上回る強者。
人類のみならず、魔族の幸せをも考慮する器量。
たった数分で急成長する卓越した知性。
その青い瞳が、どれほどまで先を見越しているのか、見当もつかなった。
ラゴニウスの政策により大幅に数を減らした人類の尊厳が束となり、まとまった反動となってこの少年ただ一人に注がれているような、とてつもない脅威を感じた。
そんな勇者は若干、魔王を不憫に思ったのだろうか。先にその非礼に対する償いを口に出す。
「あの、魔王さん。僕はこのあとすぐに死にますから、それで許してください」
「うェ?ほんと?」
しゃがみ込んでいたマリスは顔を上げ、涙をぬぐって立ち上がったかと思うと、腰に手をあて偉そうに仁王立ちをした。
「……よし、殺す! 早く殺したいので続きを喋るがよい」
「ははは、ありがとうございます。……あの、その前に。両方の角が生え揃うまでにどれくらいかかりますか?」
殺害を告げられたにも関わらず、少年は平然として質問を投げかける。
「そうじゃなぁ……三百年といった所かのう。その頃には両方とも同じ長さでピッチリ揃うぞ‼」
勇者によって切断された魔王の角は、最初にヴォルゴスが切断した角と寸分の狂いなく同じ高さであった。マリスは気が付かなかったが、これは勇者少年の配慮によるものである。
「分かりました。では魔王さん……三つほど約束をさせてください」
「や、やくそくゥ⁉」
マリスは目を見開いて驚いた。誰にも縛られずただひたすらに悪意をばら撒く存在である孤高の魔王が、他人と約束を交わすなどもっての外であった。
「ハッハッハ! ワタシは魔王! 天上天下無双! 唯我独尊! 孤高の存在である! 約束なんぞするかヴァッカめ!」
高笑いを決めながら断固として拒絶するマリス。
すると彼女の髪の毛の先々が、少年の繰り出す魔剣の捌きによってぱらりと切られる。
とても愛らしい、お姫様のような髪型へと整えられた。
「……あっ! ええ⁉ ちょっとぉぉおお‼」
再びしゃがみ込んだマリスは、落ちた髪の毛を次々と口へと運んで飲み込み始めた。
魔王にとって自身の身体の一部は、この世でもっとも価値のある至宝なのだ。
「魔王さん……ごめんなさい。時間がないんです。どうか約束を聞いてください。貴方にとって悪い話じゃないんですよ?」
「ああああああもうっ! なんじゃよォ~もォ~‼」
不貞腐れながらも話を聞くことにしたマリスは、しおらしく姿勢を整えた。
少年はにっこりと笑い、彼女と同じ目線の高さになるようその場に座り込んだ。
その笑顔は、勇者とはいえ、本当にただの人間の子供そのものだった。
「約束の一つ目。魔王さんにはこれから三百年間おとなしくしてもらいます。このあと封印──というか、仮死状態になってもらいます。角が生え揃う三百年後、僕のような人間がこの剣を担いで貴方を万全な状態で解き放ちに来ますのでご安心ください」
「約束の二つ目。復活を遂げてからは、世界に生息する人類と〝現代とは違う魔物由来の魔族〟の数を五対五に調整し続けてください。貴方なら──いや、貴方だからこそできることです。魔族と人類、両方の幸せのため……これは絶対にお願いします」
「そして三つ目……。これは約束というか、できれば、なのですが──」
一つ一つの約束を、一本二本とその指を広げて示しながら話す少年であったが。
三本目を広げるのを躊躇している様子だった。
マリスは目元をピクピクさせながらもしっかりとその約束事を聞いていたのだが、ここで我慢の限界が訪れる。
「ええいなんじゃ! はやく話せ! イライラしてくるなァ!」
「す、すみません。その……ぼ、僕の生まれ変わりと……一緒に過ごしてくれませんか……?」
「……はァん⁉」
マリスは理解に苦しんだ。
勇者はもじもじとしており、その乳臭い所作がマリスを更に苛立たせる。
一瞬拒絶反応を起こし、とにかく適当に暴れようとしたが必死にこらていた。
……少し、ほんの少しだが、この誰からも称えられず歓迎もされない、利用されるだけの勇者という唯一の存在に共感してしまったためだ。
孤高と孤独は紙一重である。
彼女が破壊衝動を我慢できたのはこれが初めての事である。日課の破壊ビームはまだ一撃も放っていない。
大きく息を吸い、あまり使ったことのない脳の隅々までを稼働させたマリスは、やがて口を開く。
「──一つ目の約束は理解できた。ワタシが消滅しなければ、確かにその新たな魔王とやらも発生せんからな。万全になるまで身を隠して、人と魔の目を欺き休眠状態となることにしよう。かっこ悪いが、悪だくみは大好きじゃ。いいじゃろう」
「二つ目の約束はまぁまぁ理解できた。そもそもワタシは破壊と悪事が大好きじゃ。というかそれしか知らん。今まで通り本能のまま適当に殺すより、本能を理解した上で計画的に殺すほうがトラブルも少なくなる……といった提案じゃろ? ──魔物由来の魔族というのはイマイチよく分からんが、覚えておこう。──ワタシだからこそできるというのは、それはそうじゃろうな。オマエは人類の勇者、そう簡単に人は殺せまい。殺害行為を他人に強要するような悪い子は大好きじゃ。まぁ……いいじゃろう」
「三つ目の約束は理解不能じゃ。邪魔でしかない。相性最悪どころか、反発しあう存在じゃ。どれくらい邪魔かというと、ワタシが復活した瞬間にオマエのその生まれ変わりとやらを、あくびや背伸びよりも先に殺すかもしれん。それほどまでに嫌悪感が凄いんじゃ。今だって殺したくてウズウズしてるしのォ~」
マリスが面倒そうな表情で話し終えたのを確認した少年は、思いつめながらも嬉しそうな顔でふっと息を吐き出し、まず先に感謝を述べた。
「はは……ありがとうございます魔王さん。では三つ目の約束は聞かなかったことにしてください」
目を細め、斜め下を見つめて残念そうな表情を浮かべていた少年を見たマリスは、よく分からない芽生えたばかりの感情を、脊髄反射で言語化した。
「ま、まぁ……オマエの生まれ変わりとやらが、ワタシに殺されない限りは一緒に居てやってもいいぞ」
「ほ、本当ですか⁉」
勇者の少年は、目をキラキラとさせながら魔王マリスを見つめていた。
勝手についてこようとしない者は、マリスにとって初めての存在であった。
「ア~うるさいのう、だがワタシは純然たる魔族の頂点としてガチガチに毎日殺すので、覚悟しておくことじゃな。まぁ……今のオマエに言っても意味はないか……」
残念そうなマリスを見かねた勇者がスッと立ち上がったと思うと、魔剣を天高く掲げた。
「……大丈夫ですよ魔王さん、この〝神に見放された剣〟を活用させて頂きますから」
「はァん?」
突拍子も無く、勇者らしい言葉選びでもって意味不明な発言を口にした少年に対し、マリスは睨みつけるような目で掲げられた魔剣を見つめる。
「その魔剣に記憶や肉体を持ち越すような便利な機能はないぞ? 例外なく何もかもをぶっ壊すためにつくった、ただの例外的な破壊兵器じゃ」
「魔王さん、その理から逸れた例外的な物質に僕の力を込めたらどうなると思いますか?」
勇者からの突然の問いに、マリスはまたも睨みつけるような目でダルそうに答えた。
「ア~ワタシは考えるのが苦手じゃ、オマエが言え」
「貴方が僕を勇者だと言ってくれた。仮にそうだとしたら、勇者の持つ力だけをこの剣に封じて温存する事ができるはずです。僕の魂が有する勇者の座標自体はどうにもできませんが……」
「はァん!? 言っている意味が分からん」
マリスは胡坐をかき手に顎をついて一蹴したが、勇者は話を続ける。
「──こういう事です」
勇者はそう言うと、剣の持ち手にぐっと力を込めた。
「──んォ⁉」
惰性で話を聞いていたマリスは、突如として光り出す自身の魔剣の様子を見て、目と口を大きく開いた。
魔剣ディアボロスルイナの形状──光り輝くシルエットが、みるみるうちに変貌していく。
やがて光が収まると、見違えるような形に変化した、魔と聖が混同しつつも、共存しているような神々しい剣が姿を現した。
「ぶ、ぶっっっっっさいくじゃのォ~~~~~‼」
まるでマズい物でも食べたかのように、舌を前へと大きく出しながら吐きそうな顔で苦情を呈するマリスであったが、対して少年は心の底から喜んでいた。
「……はぁ……はぁ……か、かっこいいと……思いますよ」
勇者は肩で息をしているようであった。魔剣に大半の力を移動させた結果だろう。
「い……いつか僕の生まれ変わりが……この剣を必ず握り締めます。その時、魔王さんとの約束を思い出す……はずです。そういう〝運命〟をこの剣に込めました……」
力なく崩れて跪いた勇者が、息を荒くしながら説明した。
神の監視外である例外的な剣に込められた力は、世界の摂理から外れた状態で維持される。
剣に込められたのは勇者の力、魔王との約束、そして巡りあわせの運命──。
その三つである。
マリスはため息を付いた。
「はぁ……殺す気が失せたわい。何もしなくても勝手に死にそうじゃし、放っておくとするかのう。んで、どうやってワタシを封印するんじゃ」
「ぼ……僕の手を握ってくれますか」
筋力すらも失いうつ伏せとなっていた少年が、ぷるぷると震えた手をマリスへと差し出す。
本当に力の殆どを剣へと注いだのだろう。
マリスは不機嫌そうな顔のまま少年に近寄り、その手を握ろうとしたが、一旦止まる。
躊躇したわけではない。手についた血や汚れを自らの服で雑に拭きとったあと、再び手を差し出した。
「ほれ、手じゃ」
魔王の手が眼前へと現れたことをかろうじて認識した勇者は、最後の力を振り絞って彼女の手を握る。
「……あの……な、名前を教えて頂いても……い、いいですか」
「マリスじゃ。お前は」
「──ははは、マリスさん。マリスさん……ごめんなさい……ぼ、僕に名前はありません」
勇者はそう言うと、申し訳なさそうな顔のまま目を瞑り、息を引き取った。
「……死んだか。過去最高に面白い勇者だったぞオマエ。殺し損ねたのは初めてじゃ」
その瞬間、マリスの全身を透明な石が覆い始める。
何も知らない、だが温かい。そんな色と感触をした煌びやかな宝石が、魔王マリスを優しく包み込んだ。
「……ほう、やるではないか少年。これは丁度、ワタシが万全となる三百年後に壊せそうな強度じゃな。魔力の放出も跳ね返って抑えられておる」
封印魔法の強固さにマリスが感心していると、聖なる大審院を形成していた神々しい建造物の囲いが崩れ始めた。
この場において、解除条件である正しさの決定が成されたからではない。
魔剣ディアボロスルイナ──いや、勇者の力が込められた特異点たる新たな剣が独りでに動き出し、聖なる大審院の天を軽々と突き破って、遠く離れたどこかへと吹き飛んでいったためだ。
外界から完全に遮断されたこの内部で何が起こっていたのかを知る者は、誰一人としていない。
崩れ去る光の破片に合わせ、マリスの肉体が次第に透明へと変わり、大地の内部へと移動しはじめた。
「(物体をもすり抜ける完全なる透明となって死を偽装しやりすごせ──ということかのう)」
マリスの脚、腹、胸、肩──。順番に、少しずつ地の底へと降りていく。
今後三百年間は使わないであろう真っ黒な瞳に映る最後の情景は、小さな勇者の、笑顔を浮かべた亡骸であった。
「……ふん、次に会う時は名前くらい考えてから来い──」
魔王城の地下深く。
夜空の星々のように光り輝く小さな石が散りばめられた、誰も知らない綺麗な洞窟。
魔王マリスは不機嫌そうな顔で勇者に文句を垂れたあと、静かに目を瞑った──。
魔王とは。 リウイチ @riuichi
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