Keep going!

かわかみC107西1ホールな20b

Keep going!

「私も月に行ってみたかったわねえ」


 窓から満月を眺めながら言うと、月に行くことができるのは四十歳未満の人間に権利があります、と返事があった。


「あなたは六十七歳です。月に行く権利はありません」

「そんなことはわかっているわよ、言われなくても。お前は人の気持ちがわからないわね」

「すみません。以後失礼な発言がないように気を付けます」

「そうお願いしたいものね」


 私の言葉に返事をしたのはロボットのモンドである。私は月渡航チームの研究に携わっている開発者であり、研究をし始めてもう四十年になる。六十歳の大台を過ぎても研究室に残り、月に情熱を傾けてきた。モンドは月の研究のために作られたもので、これから月に渡航する予定のロボットだった。


 私はかつて月に行きたかった。宇宙飛行士になるのが私の夢だったのだ。ただ、研究室にいる間に結婚したり、不妊治療をしたり、離婚したりして、結局月に行くチームに応募することはできなかった。月の夢を見たまま、私は先日六十七歳になった。モンドが言う通り、もう月に渡航できる年齢ではない。


「でもお前が月に行ってくれるから私は嬉しい」


 モンドは私の隣に立ち、今は人型をしていた。彼は二足歩行型、四足歩行型、球体型の三つの形態を自ら操ることができる。ごつごつとした月の表面を進むことだけではなく、人間と同じように作業もできる高性能なロボットである。月での無人探索を進めるために試行錯誤した形態で、私が作り続けてきたロボット達の中でも最高傑作ともいえた。


「私も博士と同じ気分だと思います。私は月に行くために作られたロボットなのですから」


 高度な思考補助性能を与えられるために、モンドは孤独な老人──つまり、開発責任者である私と──生活をさせられていた。一緒に暮らし始めた当初、モンドと私のやり取りは悲惨なものだったが、最近は言葉遣いやコミュニケーション技術、ウィットに富んだ会話内容を覚えて今やこの通りだ。パターン化された内容だけでなく、思いがけない珍回答が返ってくることもある。私に対する皮肉が飛んでくることもしばしばだ。長年の一人暮らしに慣れていた私にとっては久しぶりの感覚で、私はモンドと会話することが楽しみになっていた。


「月に何か持って行きたいものはある?」


 私の問いかけにロボットがぎこちなく首を振る。


「博士は甘納豆を持っていきたいのでしょうが、生憎、私は何を食べることもできません」

「食べる話はしてないじゃない」

「博士は先日、最新の宇宙食についてお話をされていました。その記憶があったので、私は食べ物について答えたのです」

「そんなことまで覚えているなんて、あなたは優秀だわね」


 この優秀で勤勉なロボットとやり取りをしていると、私にはもうこれ以上のロボットは作れないのではないかとふと思うことがある。性能としては最高傑作。それに加えて、モンドのコミュニケーション能力のしなやかさは私でも舌を巻くことがある。これからさらに老いていく私は、今のモンドを育てたような明るさで、再び次のロボットを育てることはできないのではないだろうか。


「博士が気になる宇宙食については、共に月に渡航する人間たちから話を聞かせていただく予定です。そのほかにも、月から戻ってきたならば、他のお話もさせていただきます。月の情報を持ち帰り、後任に受け継いでいくことも私の使命ですから」


 モンドは身振りを交えて私に言った。月での仕事に使命を持っているらしいモンドを私は誇らしく、また惜しくも思った。


 ***


 モンドが月へと旅立った。少し騒がしかった相棒がいなくなったことで私の隣はがらんとしている。センチメンタルな気分になりながらも、私は月渡航チームからのデータを回収して、日々地球でサポートにあたっていた。


 今は業務がひと段落してコーヒーを飲みながら月を眺めている。月への着陸はひとまず落ち着き、チームで手分けをして、月探索の準備を進めているところらしい。到着後の報告からモンドは無事月で活躍できていることが分かった。博士が有能なアシスタントを作ってくれたおかげです! と渡航した後輩は遠隔で私に話す。モンドは今、人間が入り込めない危険地帯での作業に従事しているのだった。


 私はモンドが地球に戻ってこないことを知っていた。ロボットの作業場所は人間が入り込むことができない裂溝や寒暖差の激しい地域、特殊な化学物質が噴き出している場所と決まっていた。私たちが踏み入れることができない場所に行くために、モンドは作り出されたのだ。彼をどんな場所でも歩み進める形に設計したのは私だ。


 モンドはきっと行ったきりだろう。どこでロストするともわからない。月で朽ち果てるまで過ごすのである。


 地球に帰ってきてから月のことを話す、というモンドの約束は守られることはないだろう。それを彼に知らせずに月に送り出してくれたことに関して、私は少し罪悪感があった。


「ここにいましたか! 探しましたよ」


 地球技術者の一人が私の元へとやってきた。先ほどモンドからのメッセージが届いたというのだ。ラボにいなかったため、技術者は私を探しに来てくれたらしい。


『こんにちは。博士。元気ですか。私は上手くやっています。』


 動画は先ほど録画されたものだった。その中で、モンドは大活躍していて、仲間からの信頼も厚く、月をエンジョイしていることを話した。


『ところで、私はきっと戻れないと思います。ここは危険地帯です。ここに入ったものは地球には戻れません。私はそれを聞いてびっくりしましたが、それもロボットの宿命だと思っています』


 モンドに返事をしたかった。しかし、録画された動画に話しかけても無駄だ。相槌を打つ相手もいないのにモンドは良く話す。私と暮らして大変なおしゃべりに成長していたらしい。


『最後に、博士と一緒にいる職員さん。後任のロボットによろしくお伝えください。博士の好きなものは甘納豆です。コーヒーを飲むときは用意してあげてください』


 それではまた今度、と言ってモンドからの通信は終わっていた。


「甘納豆でもどうですか」


 職員が私に個包装の甘納豆を渡す。モンドは私がしばらく開発室にこもることを予測して、甘納豆をストックしていたようだ。私はパッケージを受け取る。口の中に入れた豆の甘さは疲れた体にじんわりと沁みた。


 ──後任によろしくお伝えください、か。


 モンドは私がまたロボットを作ると思っているらしい。モンドの後任なんて、私が作らなければ後にはいないのだから。


 彼の期待に応えるためにもう一仕事してみるか。私は身体の中からエネルギーが湧くのを感じながら開発室へと戻ったのであった。

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