となりに咲く約束
もとこう
第1話
アラームが鳴る三秒前、
枕元のスマホ画面には「7:29」。いつもぎりぎり。それでも遅刻はしないあたり、妙な才能があるのかもしれない。
部屋の隅に置いた制服に袖を通し、洗面台で寝ぐせを手で押さえる。
鏡の中の自分は、いつも通り無気力そうで、どこかぼんやりしていた。
リビングに降りると、テーブルの上に母の置き手紙。
『仕事早いから先に出るね。冷蔵庫の卵焼き使って』
パンを焼く余裕もなく、トーストをそのままかじりながら玄関を開けた瞬間——
「おーい、蓮! またギリギリじゃん!」
向かいの家の玄関から飛び出してきたのは
ポニーテールを揺らしながら、鞄を片手に笑う。制服のリボンが少し曲がっていて、蓮は反射的に直してやる。
「ほら、また慌ててるだろ」
「う……そっちこそ、寝坊した顔してるくせに」
「俺は計算通り。寝坊じゃない」
「その理屈、学校には通用しないよ」
二人は顔を見合わせ、思わず笑った。
この通学路を並んで歩くのが、もう十年以上の日課だ。
小学校から高校まで、ずっと隣同士の家。
気づけば、春木蓮の朝には、風間葵の声があって当然になっていた。
初夏の朝の空気はやわらかく、遠くで鳥の声がする。
「……そういえばさ、今日小テストあるって知ってる?」と葵が言った。
「え、マジで? そんなの昨日言ってないぞ」
「言ったよ! “数学の小テスト、範囲は二次関数”って!」
「えー……俺その時間、たぶん夢の中にいた」
「だろうね!」
呆れつつ、葵が頬を膨らませる。
「ほんともう、成績落ちたら私のせいにしないでよ」
「安心しろ。俺の才能はそんなテストごときじゃ揺るがない」
「その自信どこから来るのよ……」
肩を並べて歩くと、二人の影が重なって伸びる。
葵の髪先が朝日を受けて、淡い金に光った。
「……今日、髪結び方、違う?」と蓮。
「えっ、わかる? この前動画で見て、ちょっと練習したの。誰にも気づかれないかと思ったけど」
「まぁ俺は観察力が鋭いから」
「へぇ、テストにもその観察力使ってくれたらいいのに」
「ぐぅの音も出ません」
笑い合いながら信号を渡る。
何気ない会話のはずなのに、葵の言葉一つ一つが、胸の奥で不意に響くのを蓮は感じていた。
けれど、その正体を詮索するほど繊細じゃない。
ただ「葵と話すと楽しい」という単純な感情だけがそこにあった。
「学校まであと五分だね」
「お前、時計ばっか見てんな」
「だって蓮がいっつもギリギリなんだもん!」
「今日もセーフなら、それはもう勝ちだろ」
「はいはい、負けず嫌いー」
二人はそのまま走り出した。
涼しい朝風の中に笑い声が混ざる。
通り過ぎるおばあさんが微笑ましそうに振り向く。
校門が見えてくる頃には、二人とも息が弾んでいた。
「……ふぅ、間に合ったな」
「毎回スリル満点だよ、蓮の朝は」
葵が額の汗をハンカチで拭う。ポニーテールの隙間から香るシャンプーの匂いに、一瞬、蓮の視線が逸れた。
「葵、なんか今日、いい匂いするな」
「ちょ、急に何!?」
「え、シャンプーだろ?」
「い、言うなそういうのっ!」
顔を真っ赤にする葵に、蓮は首を傾げる。
「褒めただけなのに……」
「もういい! 次から感想禁止!」
ホームルームのチャイムが鳴り、教室はざわめきに包まれる。
席に着いた葵は、ちらっと蓮の方を見て、ノートの端に小さなハートを書いた。
誰にも見られないように、それをすぐ消しゴムでこすった後、ひとり小さく笑う。
放課後、夕暮れ。
二人はいつもの帰り道を歩いていた。
オレンジ色の光が並木道を照らし、影が二人分、長く伸びている。
「ねぇ、蓮」
「ん?」
「もしさ、いつか同じ学校じゃなくなっても、私のこと忘れないでよ」
「なに急に。そんな遠回しなフラグみたいなこと言うなよ」
「ちがうもん。ただ……なんとなく」
「まぁ、忘れるわけないだろ。毎朝うるさい声がなくなったら、
静かすぎて寂しいと思うし」
「誰がうるさいって!?」
怒ったふりをしながらも、葵の顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
その笑顔を見ながら蓮は思う——
本当は、ずっと知っている。
この関係が、ただの「幼馴染」だけで終わるはずがないってことを。
でも、言葉にした瞬間、何かが壊れてしまいそうで——。
夕焼けの下、二人の影だけが寄り添うように重なっていた。
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となりに咲く約束 もとこう @motokou0629
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