戦後の記録室で言葉を選ぶ【異世界】
zakuro
第1話 戦死理由欄
軍務省地下の記録室は、いつ来ても同じ匂いがした。
紙とインクと、乾ききらない魔導灯の熱が混ざった匂いだ。外が昼か夜かは分からない。分かる必要もなかった。
「次、第三歩兵団の件です」
書記のヨモギが淡々と告げ、机の上に一枚の書類を置いた。
文官シャルロットはそれを受け取り、流れるように目を走らせる。
「死亡確認。時刻不詳。場所、前線北区画……」
彼女は一度、そこで止まった。「戦死理由欄が空白ですね」
「未記入です」
ヨモギは事実だけを言う。
若い士官クラストは、二人の横に立ったまま、視線を机から逸らしていた。
この書類に書かれる名前の顔を、彼は知っている気がした。確信はない。
「では、文言を決めましょう」
シャルロットはペンを取る。
「前例では……」
ヨモギが控えめに言う。「“勇敢なる行動中の戦死”が最も多いです」
「無難ですね」
シャルロットは頷いた。
クラストの喉が、小さく鳴った。
「……その兵が、勇敢だったかどうかは」
シャルロットはペンを止めたが、クラストを見なかった。
「確認できますか?」
「……できません」
「では問題ありません」
彼女はそのまま書き始める。
インクが紙に染みていく音が、妙にはっきり聞こえた。
「“名誉ある戦死”も付けますか?」
ヨモギが尋ねる。
「そうですね。遺族向け文書と整合します」
シャルロットは迷いなく言った。
クラストは、言葉を選ぼうとした。
「名誉、というのは……」
「基準語です」
シャルロットは即座に答える。「意味を問う語ではありません」
沈黙が落ちる。
記録室の奥で、別の文官が紙束を揃える音だけが響いた。
「では、“勇敢にして名誉ある戦死”」
シャルロットが最終確認をする。
「了解しました」
ヨモギが復唱し、別紙に転記する。
クラストは、机の端に置かれた戦死報告書を見つめていた。
そこには、状況も経緯も書かれていない。ただ、整った文字だけがある。
「他に修正点は?」
シャルロットが問う。
「ありません」
ヨモギ。
クラストは首を振った。
修正すべき言葉を、彼は持っていなかった。
「では次へ」
シャルロットは書類を重ねる。
その瞬間、記録室の扉が軋む音を立てて開いた。
負傷帰還兵が、杖をつきながら入ってくる。
「……証言の件で呼ばれた」
彼はそれだけ言った。
「次の話になります」
シャルロットは一瞥だけ向ける。「今は書類整理中です」
帰還兵は何も言わず、壁際に立った。
机の上では、戦死理由欄が埋まった報告書が、静かに積み重なっていく。
その文字が、何を覆っているのかを気にする者はいなかった。
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