昔から知らぬものがあるということがどうしても許せませんでした
鏡戸桃
第1話
一生で人は全てのものを知れるわけではない、未知のままの物もある。
そう知ってはいましたが、分かったのはほんのすこし前でした。それまでは、高慢にもこの世の全てを知って全知の神のようになるのではと心のどこかで思っていたのです。
それでも、それが私はどこか許せないのです。往生際が悪いことは承知の上です。でも、この世の何かを知らないまま死んでいくということがいまだに不条理な気がするのです。
北欧のオーディンという神は泉に片目を渡すことで全知を得ました。
私も片目と耳(感覚は好奇心を満たすのに欠かせません)と両腕(これなしでは文字も絵もかけなくなります)と脳味噌などそれ以外の生命維持に欠かせないもの(死んでは元も子もないので)以外なら何でも捧げてしまいそうです。しかし、それで満足できてしまえそうにないのが少々おそろしいとことです。
だって、あなた達は何にでもなれるのですよ、と言われてきていたのですよ。そうやって蝶よ花よと育てられてきていたというのに。
実際はこの時代とその空気に、甘露のような嘘を吐かれていたのです。
私が生まれたのは平成も残り三分の一を巡ったころ、そこでは、だんだん男女の差も血統の差も個人の資質には全く関わりない、ということがやっと広く信じられるようになっていました。
世襲の仕事が残っていないわけではありませんでしたが、それこそ日嗣のそれを除けば拘束力などなくなっております。下手な子よりも上手い他人がおりましたら、それを跡取りにするでしょう。
だから私達は、それを目指しさえすれば、平等に機会がありました。どんな生まれだろうが、それこそ妾の子でも殺人犯の子でも、自身の才覚で評価されるということになっているのですから。
だから私は分不相応な夢を見ました。かけっこではいつもびりっけつで、音楽では無意識に音とリズムをずらしていて、机のなかになにが入っているか分からないほど生活力もありませんでしたが、甘ったるい空気に侵されて、すこしの憧れのきらめきに目を奪われのです。
歴史が好きになりました。このことだけ考えて生きていけたらどれほど素敵だろうと思いました。
私は学問で身を立てようとしました。
それから、私にとっては随分と長い年月が経って小学生から高校生になりました。
私は身勝手という悪徳を持っておりましたので、世間様のお役に立とうという気はさらさらなく、自ら持て余すほどの好奇心の強さのまま、将来の夢を変えてはいませんでした。
できる保証はなにもありませんでしたが、できないと否定できる材料もありませんでしたので、この長い年月の間、誰も止めはしなかったのです。
それが幸福なことか不幸なことかは、これからの私で決まるでしょう。
本題はここからです。
私は身勝手なだけではなく、我儘で強欲でもあったので、なりたい将来は一つしかないというのに、なれない職ができることが許せませんでした。
自分には無限の可能性があると吹き込まれていたので、自分の可能性を狭めるということが、何かの侮蔑のような気がしたのです。
しかし、高校では自分が理系か文系かを選ばなくてはなりません。
私の志望では文系以外の選択肢はないようなものでしたので、文系にしました。
しかし進級し、授業が進むにつれ、私の心の内を後悔に似た感情が覆い始めました。
何度選択の機会を与えられても、きっと私は文系を選ぶでしょう。だから後悔というのは違うかもしれません。
ただ、損をしたような気がするのです。
文系になったら基礎のつかない理科も数学Cの三分の二も数学Ⅲもできません。理系も文系のいくつかの科目はできないのですが、英語は量も質も変わりません。
私はどこか腹が立ちました。できれば両方やりたかったのです。
理系の友人のどこか忙しそうな様子も余計心をささくれ立たせました。彼女達は悪くないことも分かっています。ここは私の独り相撲の場所なので悪いとすれば私だけです。忙しいことも本当なのでしょう。
ただ、どこか不条理な気がしました。そもそも払っている学費は同じだし、通う日数も同じで、なのにかかっている手間が違うことが彼女達と私の忙しさの差のように思いました。
それに、私は大学で理系を勉強する気はないだけなのです。なのに高校の理系の勉強もできないことってなんかおかしい気がします。受験はしますけど受験の為に勉強しているってわけではないのに。
別に自習でなんとかしろと言われればそれまでの話ですが。
そんなこんなで、どうやら文系になったら理系のことは未知のままのようです。
これが冒頭に申し上げた、一生未知のものもあると分かったということなのです。
これは、子供の頃の「無限の可能性」と言う特権を取り上げられしまったということなのかもしれません。いいや、「好きな夢をみていい」という特権かもしれない。
なんにせよ、大人になると色々与えられるものですが、子供の頃の特権と寛容はなくなっていくのです。
子供の頃にもらっていたファミリーレストランの玩具置き場の対象年齢をとっくに過ぎていたことに気づいたとき、博物館の小児割引がなくなってなぜか損した気分になるとき、私はとうに子供ではなくなったことを思い知らせられ、大人にならなくとはならないと責められるようで、言いようもなく不安な気持ちになるのです。
そして、もはや何にでもなれはしないと知るのです。
昔から知らぬものがあるということがどうしても許せませんでした 鏡戸桃 @kyoudomomo0127
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