リマから来たビクーニャ

増田朋美

リマから来たビクーニャ

冬になって、北海道とか青森では、大雪が降っているという天気になった。雪の代わりに、静岡では雨が降っている。これはまあ、自然なことなんだけど、土砂降りのような大雨になっているのが、ちょっと気になるところである。

その日、蘭は、用事があって、富士駅を訪れていた。車椅子で電車を降りて、ホームを移動してという作業は、実は、結構一苦労するものでもあった。その日も蘭は駅員さんに手伝ってもらって、東海道線のホームから、改札口まで移動したのであるが、改札を通るのもまた苦労するので、いつも自動改札は通らないで、駅員に通してもらっているのだった。

蘭が、駅員に車椅子を押してもらって、改札口を通らせてもらって駅の構内を移動していたときのこと。蘭は、バス乗り場の近くに、黒色のストールが落ちているのを見つけた。いわゆる、身体全体を覆うことができる、大判のストールだ。拾い上げたときの手触りも、素晴らしく良いもので、化繊では到底追いつけないような高級感のあるものであった。蘭は、これは多分、ビクーニャの毛でできていると直感的にわかったのである。この日本でもし購入したのなら、何十万もしてしまうような素材だろう。神の繊維と呼ばれている、希少価値のある繊維のストールだ。言ってみれば天人の羽衣と同じくらい価値があるもの。蘭は、何故かわからないけれど、このストールを交番に届けようと言う気持ちにはなれず、そのままバス乗り場からバスに乗り、ビクーニャの毛でできているストールを持って帰ってしまった。

蘭は自宅に持ち帰って、それをストーブで乾かし、改めて素材表記などはないか確認してみたが、それらしいものは一つもなかった。それどころか、規格品の大判ストールに比べると随分小さな大きさで、多分これは手作りで作ったものだと言うことがわかった。そうなると、一般的な日本人が使用するのはちょっと厳しいが、小柄なひとであれば使えるかもしれない。それでは、このストールを、誰かにあげてしまえば良いのではないかと蘭は思いついた。そこで、ストールを丁寧にアイロンがけし、ビニール袋に入れて包装紙で包んだ。

それから数時間たって、蘭の家のインターフォンがなった。なんだろうと思って蘭が出てみると、一人の外国人と思われる顔立ちをした男性がそこに立っていた。男性は、左手に傘をもち、右手にカバンを持っている。そのカバンがよく売られている化学繊維のカバンではなく、なんだかモザイク画のような文様がついていたので、蘭はアンデスの文様だとわかった。そのひとは、ペルーとか、ボリビアとか、そういうところからきたんだなとすぐわかった。

「初めまして。僕、タケと申します。」

彼は、ちょっと不明瞭な発音でそういった。ということはある程度、日本語もわかる人なんだろうなとすぐわかった。

「ああどうぞ、上がってください。」

蘭はとりあえずそういって、彼を部屋の中に通した。彼はちゃんと靴を脱いで、部屋に入った。

「すみません。あの、伊能蘭さんでいらっしゃいますよね?僕の襟巻き、持っていったと、駅員さんに聞きました。」

と彼は言った。蘭は、こういうとき車椅子というのは目立つんだなとちょっと嫌な気持ちになったが、

「はい。それがどうしたの?」

「いえ、そのまま濡れていたら、大惨事になるところでしたんで、持って帰ってくれてすごく嬉しかったです。」

蘭がそう言うと彼は言った。そういう幸福な解釈をしてしまえるところが、蘭は、すごいと思った。

「あなた、どこからきたんですか?なんだか白人と言うわけでも無さそうですね。文明化もあまりされていない、少数民族のように見えます。」

蘭は思わずそう聞いてみる。

「はい。僕は、リマからです。リマのケチュア族の村から来て、あの襟巻きは、母が日本に来るときに持たせてくれたものです。」

そういう彼に、蘭は、ますます天人の羽衣を手に入れた主人公と同じような錯覚に陥った。なるほど、そういう人たちであれば、言葉は悪いがあまり文化的な生活はしていないのだろう。だったら、自分たちのほうが優れているのではないか。

「そういうわけですから、あの襟巻き返してくれませんか。ビクーニャを捕まえることは本当に大変ですから、そこから毛を取るのも本当に大変なんです。」

「でも、ケチュア人の間では日常的にビクーニャの毛皮を着ているのでしょう?それじゃあちょっと、不平等ですね。」

蘭は、そう彼に言ってしまった。自分でも何をしているのかわからなかったけど、そう言ってしまったのである。

「不平等って?」

と、タケさんが聞く。

「だから、日本では、ほとんど手に入れられないものを、貴方がたは平気で使用しているってことがです。」

蘭はそう言った。タケさんは、それでは叱られていると思ったのだろうか、

「はい。すみません。それは、他の人にも言われてきました。」

と言った。ということは、白人や他の民族に、ケチュア人として贅沢すぎるとか、そういうことを言われているのだろうと蘭は思った。

「謝らなくて良いんです。ただ僕は、ビクーニャの毛皮というのは、日本では非常に高価なもので、それを、貴方がたは日常的に身に着けているのは不平等であると言っただけです。それは、言われているんでしょう?確かに、貴方がたとしてみたら、日常生活を突然侵入者に取られて悔しいと思っているかもしれないけれど、きっとすごい贅沢な生活をしていたからだと思いますよ。」

これはある意味では歴史的な問題だった。ちなみにインカ帝国では冶金技術がすごかったという。それを、スペイン人たちは贅沢だと思ったかもしれない。

「じゃあ、僕はどうしたら良いんですか。」

蘭は、できれば羽衣をこっちによこせと言いたいところであったが、いきなり本題を話してしまうのではなく、徐々に徐々に話していくことにした。蘭はそういったタケさんに、こう話を切り出した。

「仕事は何をしていらっしゃるんですか?それとも外国人ということで、なにか公的福祉を受けているの?」

「一応、生活保護みたいなものはやってもらっています。」

そういったタケさんに蘭は、羽衣はこっちのものだと思いつき、優越感に浸って、こういったのであった。

「じゃあ、これはお返ししますが、一つお願いしたいことがあるのです。実は僕の知り合いがやっている福祉施設なんですが、大渕の富士山エコトピアというところのすぐ近くにありまして、そこが、ちょうど庭の掃除をしてくれるひとを募集していますから、そこで働いてもらえませんかね?」

「そうですか、でも、庭の掃除なんて果たしてできるでしょうか?」

そういうタケさんに、

「直ぐにできますよ。庭は広いからちょっと苦労するかもしれないけれど、すぐに慣れる仕事だと思います。」

と蘭はにこやかに言った。

その次の日。杉ちゃんはいつも通り製鉄所に行って、利用者たちとちょっと喋ったり、本業である着物を縫う作業をしたりしていたのであるが、いきなり、ごめんくださいと下手な日本語で声がしたのでびっくりする。

「お前さん誰じゃい?」

杉ちゃんが言うと、

「はい。タケと申します。ここで、従業員募集をしているというのでこさせてもらいました。」

と、いいながらタケさんが玄関の引き戸を開けた。

「お前さん日本人じゃないな。どっから来た?」

杉ちゃんがそうきくと、

「リマから。」

と、タケさんは答える。

「リマですか。確かペルーにある街ですね。結構賑やかなところですよね。」

水穂さんがやってきて、そういったため、タケさんはハイと言った。

「それで、お前さんいわゆる白人という感じでも無さそうだな。浅黒い顔してるしさ。一体、どっから来たんだよ。」

杉ちゃんが聞くと、

「それは言わなくてもいいじゃありませんか。もしかしたら、劣等感を持っているかもしれませんしね。どうして、こちらでお手伝いを募集していることを知ったんですか?」

水穂さんが、杉ちゃんの質問を取り消すように言った。

「はい。ある人が教えてくれたんです。」

と、タケさんはしっかり答えた。

「そうなんですね。人伝いで、こちらを知ってくれるというのはよくあるんだが、お前さん、庭掃除や料理の手伝いはできそうかな?」

杉ちゃんがそうきくと、タケさんはハイと答えた。

「じゃあ、日本の箒を持ったこともないような男だが、とりあえず、庭掃除をしてもらうか。いいよ。入れ。」

杉ちゃんにそう言われてタケさんは靴を脱いで製鉄所の建物に入った。上がり框がないのですぐに入れてしまうのが、製鉄所の特徴でもあった。車椅子の杉ちゃんに続いてタケさんは製鉄所の中庭に行った。

「これで、中庭の落ち葉を掃いてくれ。」

杉ちゃんは、タケさんに箒を渡した。タケさんは箒を受け取って、庭の掃除を開始した。確かに、大木が植えてある庭なので、落ち葉は大量に落ちている。これを掃くのはかなりの時間がかかると思われたが、タケさんは、嫌がらずにそれをやった。

「本当にありがとうございます。」

不意に声をかけられて、タケさんが振り向くと、水穂さんがいた。水穂さんは、青色に大きな井桁絣の銘仙の着物を着ている。

「いえ、ただ庭を掃いているだけですから。」

とタケさんはいうが、

「いえ、そんなことありません。庭を掃くのもなかなか一苦労するものですから。」

水穂さんはにこやかに言った。

「いいんですよ。僕らは、苦労することが当たり前だって、家族が言ってました。僕らの先祖は贅沢な暮らしをしていたから、バカにされたんだって言ってました。金で日常用具作ったり、文字も鉄も知らないのに繁栄したりして。」

タケさんがそう言うと、

「ああ、そういう過去を持ってらっしゃる民族なんですね。それ、なんとなくわかる気もしますよ。」

水穂さんは静かに言った。

「僕も、バカにされました。ここはお前が来るところじゃないって。学校は、白い人の為にあるって。」

タケさんは自分の過去を静かに語る。

「そうですか。僕も似たようなところがあるのかもしれません。銘仙の着物しか着られないですからね。」

水穂さんがそう言うと、

「日本でも、バカにされたりいじめられたりした民族がいたと言うことですか?日本はそのようなことは絶対ないって言われたけど?」

タケさんは驚いて言った。

「いいえ、どこの国でも人種差別はありますよ。だから、同じような者です。」

水穂さんは、そういったのであった。タケさんはありがとうございますと言って、ますます庭の掃除に精をだした。庭の掃除が終わると廊下の雑巾がけ、そして、縁側の窓ガラスを拭くなど、やることはたくさんあったが、タケさんは嫌がらずにそれをやってくれた。次の日も、その次の日もタケさんは製鉄所にやってきて、庭掃除や窓ガラス掃除、廊下の雑巾がけなどあらゆる掃除をしっかりやってくれた。

「本当によくやってくれますね。」

水穂さんは、床掃除をしているタケさんに声をかけた。

「いえ、これくらいなんでもありません。」

とタケさんは言うのであるが、

「いいえ、嫌がらずにやってくださるというだけで助かりますよ。本当に、助かります。ありがとうございます。」

水穂さんがそう言うと、

「それは、僕が、日本人ではないからそういうこと、言うんですかね?」

と、タケさんは言った。

「いいえ、違いますよ。掃除をすることと、民族が違うとか、そういうことはまた違いますでしょ。掃除は、誰でもすることでもありますし、どんな民族も関係ないでしょ。」

水穂さんはそういうのであるが、

「そうねえ。でもあたしは、水穂さんがそう言ってくれるからと言って、それに甘えるのはどうかなと思うんだけどなあ。いくらさあ、一生懸命やってくれると言っても、やっぱり浅黒くて、ちょっと違う顔をしている人なんだって気がしちゃうのよね。」

と、製鉄所の利用者の一人がそう発言した。すると、他の利用者も待っていたというばかりに、

「あたしも、日本人であれば通じることが通じないというのはどうかと思う。」

「なんか外国人って、結構気を使いすぎていると思うから疲れるわ。」

など発言した。水穂さんは彼女たちに、そのようなことはと言える力はなく、黙って彼女たちの話を聞いているしかできなかった。

「本当だったらね。外国から来て、理由のわからないところに住んでいるという人ではなくてさあ、日本人であってほしかったなあ。水穂さんは、必要以上に傷ついてきたんだし、かえって、そういうこと知らないひとにやってもらうのはどうかと思う。」

と、利用者はそういい出した。

「そうよねえ。あたしもそうするなあ。水穂さんはあたしたちに取って大事な人だから、言葉が通じるかどうかわからない外国人に世話をされては困るのよ。」

別の利用者もそういったのであった。

「だから、あなたではなくて、別の人を募集したいわね。水穂さんだってそう思ってるでしょ。」

と、3番目の利用者がそう言うと、利用者たちは一斉にそうだよねえといい出したのであった。

そういうふうに、異民族を受け付けがたいというのは日本人の悪いところなのかもしれない。

「どうなのよ。水穂さん。」

3番目の利用者にそう聞かれた水穂さんは、

「そんなことありませんけどね。」

と弱々しく答えた。その答え方が随分悲しそうというか弱々しい感じだったから、タケさんもそうなんだろうなと感じ取ってしまったらしい。

「そうですか。僕はやっぱり、ここでも認めてもらえないんですね。やっぱり、皆さん、僕のこと、外国人としかみなしていらっしゃらないんですね。」

タケさんは持っていた箒をぽとりと落とした。

「まあ、みなさないというかさあ。やっぱり、ここは日本であるわけだからあ。」

二番目の利用者がそう言うと、

「そうですよね。僕は、そうなんだと思います。日本は、いろんな人がいてどうのという文化ではないと聞きましたが、やはりこうなってしまうのですか。それは残念かもしれないですけど、まあ、仕方ないと言うことで。」

タケさんはそういったのであった。

「すみません。僕も、そういうこと、考えないでこっちに来てしまったなというのは、知識不足ではありました。リマでは、いろんな人がいて当たり前で、それでいい家ですんじゃうようなことも、ここではだめなんだなあと言うことでしょうね。僕、やっぱり、ここでは無理なのかな。」

水穂さんが、そのようなことはないといったが、最後までいいきれる力はなく、咳き込んで座り込んでしまったのであった。それを3人の利用者たちは、次のように解釈した。

「ほらあ、こういうふうに、水穂さんにだって負担がかかるのよ。それなら、日本人同士のほうがやはり、早く伝わるんじゃないの?」

一番目の利用者の言葉を聞いたタケさんはそれを聞いて決断する。

「わかりました。やっぱりここで働くのは無理だったようです。ごめんなさい、水穂さん。」

そう言って彼は、箒とちりとりを掃除用具入れに戻した。そして、手早く雑巾で廊下を拭いた。その手つきだって、日本人より上手なのかもしれないのに、何故か、利用者たちは下手だと言っていた。

「僕はこれで失礼いたします。本当に、すみませんでした。」

そう言って、タケさんは荷物をまとめて、製鉄所を出ていこうとしたが、

「あの、水穂さん、最後にこれをもらってくれませんか。これ、ビクーニャっていう動物の毛皮でできているのですが、リマでもなかなか手に入らないのです。」

と水穂さんに持っていたストールを渡した。

「いえ、僕みたいな身分の人間が、このような高級なものを身につけることはできません。」

水穂さんはそう言ったが、他の利用者たちが、いいじゃないですか、もらっちゃえと言ったため渋々受け取った。水穂さんがそれを受け取ったのを確認すると、

「本当にありがとうございました。では、ごめんあぞばせ。」

とおぼえたばかりの日本式の挨拶をして、タケさんは製鉄所を出ていった。すぐ真っ直ぐに自宅へは帰らず、ある所へ立ち寄っていったのであった。

「で、水穂の様子はどうだった?」

蘭はとりあえずタケさんを部屋の中に入れて、そう聞いてみた。

「ええ、ずっと寝たきりの生活で、大変だったようです。」

タケさんは蘭にそう答えた。

「皆さんはやはり、こういう少数民族に対して、偏見が強いようでして、やはり日本人ではないとだめだと言われてしまいましたが、水穂さんは、それでも良いと言ってくださいました。だから、水穂さんに、あの襟巻きを使ってほしくて、お渡ししてきました。なぜなら、水穂さんが、薄っぺらの着物を着ていたからです。」

これを聞いた蘭は、なんだか自分のしたことが恥ずかしいというか、なんだか申し訳ないというか、変な気持ちになった。もちろん、自分の作戦は成功したのである。だけど、タケさんにしてみたらいちばん大事なものを水穂さんにやってしまって、果たしてどういう気持だったのか。それを考えると、自分はなんで、悪いことをしたのかなと蘭は思った。

「薄っぺらの着物って。」

蘭は思わずそう言うと、

「はい。すごく薄くて、これではリマでも耐えられないのではないかなと思われるくらい薄い着物を着ていました。日本の着物は、そういう生地でできているものなのでしょうか。なぜ、ビクーニャの毛皮を欲しがるのに、そんな薄い着物なのか、よくわかりませんね。」

とタケさんは答えるのであった。

「だからきっと、水穂さんはなにか事情があったんだろうなと思うことにしました。僕と同じか更につらい事情です。きっと、そういうことがあったんだろうと思います。」

そうやって一人で納得しているタケさんに、蘭は、水穂さんが抱えている歴史的な事情を説明しようか、どうしようか散々迷ったが、それは説明しないことに決めた。それを言ってしまったら、自分自身もそうだけど、タケさんが恥ずかしい思いをしてしまうのではないかと思ったからだった。蘭は、自分は本当に天人の羽衣をどうのということができる人間ではないなと思いながら、タケさんに一言だけ、

「ごめんね。」

と小さな声で言ったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リマから来たビクーニャ 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画