人間観測

こよい はるか @PLEC所属

第1話 サラリーマン

 ある夏の日、僕は都会の駅に出た。


 普段住んでいるのは、そこら辺の何の変哲もない住宅街。

 クリーニング屋だとか小さな公園だとか、そういうのが多い場所。




 僕は物書きだ。


 もちろん書籍化なんて雲の上だ。そんな大層なものは望んでいない。

 ただ趣味として書いているだけだ。




 そしてスランプに陥った。


 いつも愛用のパソコンと向き合えば言葉が降ってきたのに、今は考えが渦巻くばかり。

 そんな日々に刺激が欲しくて、ネタが欲しいというのもあるが、僕は部活のない放課後は少し遠出をして人間観察をすることにしている。




 今日も僕は既に定位置と化した構内の壁に身を預け、目の前を見渡す。

 この県のメインともいえる都市にある駅のため、人通りがとても多い。


 その中で僕は、どこにでもいそうなサラリーマンを見つけた。


 一日一人ターゲットを決めると、まずは外見の記憶だ。


 朝ちょっとだけ水で濡らしました、とでも言いたげな無造作に後ろに掻き上げられた髪。

 眉は太くて面長。黒縁眼鏡が似合っている。ほんの少しだけ口角が上がっている。


 四角ばった黒いリュックを背負っていて、右手で肩ひもをきつく持っているあたり、見るからに重そうだ。


 うっすらと髭が生えていて、左手にはどこかのケーキ屋の袋がげられている。一人分にしては大きめだった。

 少しだけ、胸が暖かくなった気がした。


 ……と、そんなところを観察している間に、サラリーマンは他の人の波に溶けて見えなくなってしまった。


 僕はこのルーティーンを始めた頃に作ったテンプレートに合わせて、彼の特徴を手帳に書き込んでいく。


 今日はこの人だけで充分だな。いつもよりも色々な考えができそうだ。

 そんなことを考えながら、片道三十分の帰路についた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 家に着いても、まだ時刻は午後七時。この家の夕飯は毎日午後八時半からだ。

 僕はいつもそれまでの時間ずーっと、その日見つけた人のことを考えている。


 さて、どこから始めようか。


 まずはリュックについてだ。肩ひもを持ち重そうに歩いていた。四角かったことからも考えて、きっとあの中には電子機器が入っているのだと思う。それもパーソナルコンピューターくらい、大きなもの。

 素材も柔らかそうだったし、きっと衝撃を抑えるためにあのリュックを通勤用にしたのだろう。


 ケーキ屋の袋を持っていたことから考えて、彼には家族が居る。きっと会社で何か良いことがあったから、自分と家族へのご褒美に、ケーキを買って行ったのではないだろうか。

 髪や髭のことを考えても、多分見栄えをあまり気にしないのだろう。それはきっと、外見だけでなく中身を愛してくれる素敵な奥さんが居るのだ。


 なんて仲睦まじい家族なんだろう。

 僕にはまだ、わからない。


 あのサラリーマンが自宅で妻や子供と笑い合っている様子を想像して、少しだけ羨ましくなる。


 ここまで考えたら、あとは記録だ。駅で書きこんでおいた外見のメモの下に、僕が考えたことをまとめて追記する。


『彼には家族がおり、ご褒美として全員分のケーキを買って行ったと思われる。そこまで見栄えも気にしないようだし、愛が深く優しい、内面まで見てくれる優しい奥さんが居ると考えられる。これからも仲良く、時には助け合いながら毎日を過ごしてほしい』


 まあ、こんなのは全てただの推測なのだが。


 最後の文を書いているとき、ふと紙が凹んでいるのを確認した。

 力加減を間違えたのだ。自分が書いたところだけ、潰されたようになっている。


 筆圧が強いと見栄えも悪くなるものだ。僕が必死になって全身全霊を込めて書いた字は、ほぼ全てが紙を凹ませていた。


 その凹みが嫌で、上を見上げる。後ろから当たる扇風機の風が心地良い。


 さて、書き終わったことだしテレビでも見ようか。


 天井から視線を戻すと、ぺら、という音がして手帳のページが捲られた。

 僕が書いたページの裏だ。


 凹みが妙に深く見えて、僕は乱雑に手帳を閉じた。

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