鉄の女と銀の犬。貧乏令嬢の次のバイトは、公爵令嬢の影武者でした。~時給よし、食事よし、ただしご主人様の性癖に難あり~
山本条太郎
第1話 「その日暮らしの貧乏子爵令嬢、税金で詰む」
「——あぁ、お腹すいた」
その言葉は、風切り音と断末魔にかき消された。
場所は王都から少し離れた岩山。
ごつごつとした岩肌を、銀色の髪が舞う。
アリア・フォン・ベルンシュタインは、自分よりも五倍は巨大な「
鉄喰い熊は、その名の通り鉄鉱石を主食とする魔物だ。
その毛皮は鋼鉄よりも硬く、並の冒険者の剣など爪楊枝のように弾き返す。
王都の騎士団でさえ、討伐には小隊を組むレベルの災害指定種である。
だが、アリアにとってそれは、単なる「歩く金貨」でしかなかった。
「そこどいてよ! あんたの毛皮を売らないと、明日のパンも買えないの!」
アリアの細い腕が唸りを上げる。
彼女は武器を持っていない。
厳密には、安物の剣を持っていたが、開始三秒で折れてしまったのだ。
だから今は、拳ひとつ。
無意識のうちに全開になった魔力が、彼女の拳を青白く輝かせる。
――ドォォォォン!!
大砲が着弾したような轟音。
鋼鉄の皮膚ごと、鉄喰い熊の巨体が宙を舞い、背後の岩盤にめり込んだ。
熊は白目を剥いてピクピクと痙攣している。
「ふぅ……。よし、鮮度良好。これなら高く売れるはず」
アリアは額の汗を拭うと、アメジスト色の瞳を輝かせた。
彼女の着ている服は、ところどころ継ぎ接ぎだらけの冒険者服。
とてもではないが、腐っても貴族――子爵家の令嬢には見えない。
彼女は、ベルンシュタイン子爵家のたった一人の跡取り娘だ。
両親は借金を残して蒸発。
残されたのは、ボケてしまった祖父と、傾いた屋敷と、莫大な借金だけ。
「これで……これでやっと、王立学園の入学金が貯まるかも!」
アリアは巨大な熊の足首を掴むと、ズルズルと引きずりながら山を下り始めた。
その背中からは、悲壮感とたくましさが同居する、奇妙なオーラが漂っていた。
◇
「はい、こちらが今回の討伐報酬、金貨五枚になります」
冒険者ギルドのカウンター。受付嬢が笑顔で革袋を差し出した。
金貨五枚。
一般市民なら三ヶ月は遊んで暮らせる大金。
アリアの顔がほころぶ。
「ありがとうございます! これでおじいちゃんに美味しいお肉を……」
「――ですが」
受付嬢の笑顔が、事務的な鉄仮面に切り替わった。
「ベルンシュタイン家には、王国への税金未納分がございます。また、先日の魔道具破損の賠償金、領地の固定資産税、冒険者登録の更新料、それから……」
受付嬢は手元の書類に凄まじい速度でスタンプを押していく。
ガシャン、ガシャン、ガシャン。
その音は、アリアにとっては処刑台の足音のように聞こえた。
「差し引きまして、手取りは銅貨八枚となります」
「……え?」
カウンターに置かれたのは、掌に乗るだけの、錆びた銅貨八枚。
金貨ではない。
銀貨ですらない。
銅貨だ。
パンが三つ買えるかどうかの
「う、嘘ですよね? あんなに命がけで熊を殴ったのに!?」
「王国法により、貴族の皆様には高潔な
受付嬢は申し訳無さそうに眉を下げる。
彼女に罪はない。
悪いのは、この国の腐敗した経済と、逃げた両親。
アリアは震える手で銅貨を握りしめた。
王立学園の入学金は、金貨百枚。
このペースで貯めるには、あと何百年かかるだろうか。
「そんな……。学園に入らないと、子爵家を継げないのに……」
王国では、貴族の子弟は王立学園を卒業しなければ、家督を継ぐ資格を得られない。
もしアリアが入学できなければ、ベルンシュタイン家は取り潰し。
屋敷は没収され、アリアと祖父は路頭に迷うことになる。
とぼとぼとギルドを出るアリア。
王都のメインストリートは賑わっているが、その繁栄は一部の富裕層だけのもの。
路地裏には物乞いが溢れ、空気は澱んでいる。
「……ただいま」
街外れにある、
ドアを開けると、ギシギシと床が鳴った。
家具のほとんどは借金のカタに売払われており、広いホールはガランとしている。
「おお、帰ったか。アリアよ」
火は入っていない暖炉の前のロッキングチェアに、白髪の老人が座っていた。
アリアの祖父、かつては「剣聖」と呼ばれた男。
今はもう、その眼に正気の光は少ない。
「見てくれ、アリア。庭の木が魔物に見えてな。斬っておいたぞ」
「おじいちゃん……それ、隣の家との境界線の杭だよ……また弁償しなきゃ」
「そうかそうか。それで、学園はどうだ? 剣の腕は磨いているか?」
祖父はアリアの手を握りしめる。
その手は枯れ木のように細いが、温かい。
「ベルンシュタイン家の誇りを忘れるな。お前なら、立派な当主になれる……」
その言葉が、アリアの胸を締め付けた。
祖父は知らない。
もう家には金がなく、今日食べるものさえ困っていることを。
大好きなおじいちゃん。
男手一つでアリアを育ててくれた恩人。
この人の最期を、路地裏の野垂れ死にになんてさせるわけにはいかない。
「うん、任せておいて。私、絶対に学園に入るから」
アリアは祖父を安心させるように微笑み、銅貨八枚で買った堅い黒パンを夕食として出した。
自分は「外で食べてきたから」と嘘をついて、水だけで腹を膨らませた。
その夜。
空腹で眠れないアリアは、街の掲示板の前に立っていた。
ギルドの
もっと効率よく、短期間で稼げる仕事はないか探していた。
(薬草摘み? 単価が安すぎるわ。 ドブさらい? 先週やったばっかり。 治験バイト? 飲んだ薬のせいで三日間体が紫色になったのは、もう懲りごり!)
その時、一枚のチラシが風に吹かれて、アリアの足元に張り付いた。
『急募! 屋敷の住み込みメイド』
『経験不問・衣食住完備』
『特別手当あり。短期間で金貨五十枚も可能』
『※ただし、体力に自信のある方に限る』
「金貨……五十枚!?」
アリアの瞳が、獲物を見つけた猛獣のように輝いた。
(これだ。これしかない。 体力に自信? 私の唯一の取り柄じゃないの。 場所は……貴族街の一角にある大きなお屋敷?)
「住み込みなら食費も浮くし、おじいちゃんの世話代も払える。怪しいけど……背に腹は代えられない!」
アリアはそのチラシを胸に抱きしめた。
それが、運命の――そして地獄の――扉を開く鍵だとも知らずに。
◇
翌日。
アリアはお気に入りのワンピース(五年前に買ったものだが、まだ入る)を着て、指定された場所へと向かった。
そこには、鉄格子のついた重厚な馬車が待っていた。
「応募者の方ですね? さぁ、中へ」
御者の男の口元が、三日月のように歪んだのを、アリアは見逃した。
彼女の頭の中は、金貨と黒パンと、明るい未来で埋め尽くされていたからだ。
馬車の扉が閉まる。
カチャリ、と鍵がかかる音がした。
「え?」
走り出した馬車は、貴族街ではなく、歓楽街の裏通りへと進んでいく。
アリアの「次の仕事」が始まった。
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次回予告: 高額バイトの実態は、やっぱりアレだった! 拘束され、魔力を封じられたアリアの前に現れたのは、不気味な仮面の男。 「いい身体だ。素質がある」 絶体絶命のアリアに、男の指が這う。
次回、「金貨50枚のメイド募集? それ絶対怪しいやつです」
鉄の女と銀の犬。貧乏令嬢の次のバイトは、公爵令嬢の影武者でした。~時給よし、食事よし、ただしご主人様の性癖に難あり~ 山本条太郎 @YamamotoJT
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