第2話 通知欄の不明水

 雨の日の放課後。


 サオリはスマートフォンの画面を指で激しく弾き飛ばしていた。



「マジで無理。誰これ? 全然知らないアカウントから『今日もお疲れ!』とかDM届くんだけど…………私のプライベート管に勝手に入り込んでこないで欲しいわ」



 窓の外の土砂降りを見つめていたマキが、気だるそうに振り返る。



「あー、それ。完全に『不明水』じゃん。雨の日にどさくさに紛れて、ヒビ割れた隙間から侵入してくる系のやつっしょ?」



 サオリがムムムと眉をひそめる。



「不明水?」


「そうだよ、サオリ」



 ユイがノートを閉じ、眼鏡のブリッジを押し上げた。



「下水道っていうのは本来、私たちの家庭から出る『汚水』だけを運ぶべきもの。でもね、雨が降ると、老朽化した管の隙間や、間違った接続先から、処理場が想定していない水が流れ込んでくることがあるの。それが不明水よ」


「そうそう!」


 

 マキが身を乗り出す。



「今のサオリのDM欄、マジでそれ。どこから来たか分かんない、処理する必要のない『無駄な情報』でキャパオーバーしてんの。まさに雨の日の処理場並みにパンク寸前!」


「えっ……じゃあ私のメンタルが最近モヤモヤすんのも、不明水のせい?」


「間違いないね」



 サオリの疑問に対して、ユイが断言する。



「不明水は処理場のコストを無駄に上げ、最悪の場合は未処理のまま溢れ出させる(オーバーフローとも言う)。サオリも、その得体の知れないDMにリソースを割きすぎて、本当に大事な『推しの情報』を処理しきれなくなってるんじゃない?」



 サオリはハッとして、自分の通知欄を見つめ直した。



「……確かに。この知らない男からの『お疲れ!』に、何て返そうか3分も悩んでた。私の人生という名の水再生センターが、こんな無色透明な無駄水に占領されてたなんて…………!」


「気づくのが遅かったね」



 マキが不敵に笑う。



「今すぐそのアカウント、止水ブロックしな? 隙間をコンクリで固めるみたいにさ」



 サオリは無言で「ブロック」ボタンをタップした。


 その瞬間、雨脚が少し弱まった気がした。



「……ふぅ。なんか一気にBOD(汚れの濃度のこと)が安定した気がする」


「でしょ? 健全な経営は、まず不明水のカットから。これ鉄則だから」



 三人は雨上がりのアスファルトから立ち上る独特の匂い――――下水道がすべてを飲み込み、街を清潔に保っている証拠の香りと表現してもいい――――を胸いっぱいに吸い込んだ。



「結局、どこから来たか分からないものに、私たちは振り回されすぎなんだよね…………」



 水たまりを飛び越えるサオリの足取りは、分流式下水道の設計図のように軽やかだった。



【JKでもわかる下水用語解説】


今回の用語:不明水(英語で言うところのInflow and Infiltration)



 不明水っていうのは、汚水だけを運ぶはずの「分流式下水道」に、なぜか入り込んでしまう正体不明の水のことだよ。



 主な原因は古くなった管のひび割れから地下水が染み込んだり、雨水管に繋ぐべき雨どいを間違えて汚水管に繋いじゃったりすること。


 これが原因で、雨の日には処理場に届く水の量がいつもの数倍になっちゃうこともあるんだ。



 処理する必要のない水まで綺麗にしなきゃいけないから、電気代や薬代がムダにかかって、自治体のお財布を直撃する隠れた大問題なんだよ。

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アウトフォールに恋をして 高坂あおい @kousakaao

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