OLD SQUAD

如月 睦月

第1話 その山、危険につき

国会議事堂を見下ろす高層ビルの最上階。分厚い防音ガラスの向こうで、都心は昼の喧騒を続けていた。


『ここは景色がいいでしょう、磯山いそやま先生。東京は、上から見ると随分と素直だ』


大東京開発だいとうきょうかいはつ代表取締役、江戸川辰巳えどがわたつみはグラスを傾けながら言った。琥珀色の液体がゆっくりと揺れる。


『素直なのは数字だけだ。人間はいつも厄介だよ』


磯山鉄二はネクタイを緩めもせず、ソファに深く腰を下ろしていた。与党内でも「重鎮じゅうちん」と呼ばれる男の目は、都市ではなく、その先にある“地図”を見ている。


『今回の件だがね江戸川くん』

『例の山…ですか…先生』


『ああ。国立公園の指定からは外れている。文化財指定もない。環境アセスメントも……まあ、やりようはいくらでもある』


磯山はそう言って、机の上に置かれた薄いファイルを指でトントンと叩いた。


林野庁りんやちょうも、県も、こちらで話は通してある。問題は“住民”だ』


『ご心配ありません、三世帯だけ…と聞いています』

『数が少ないほど声は大きくなるんだよ江戸川君。だから――』


『“事故”や“自然消滅”という形が望ましい…ですね?』


二人の視線が交差し、どちらからともなく小さく笑った。


『先生、で、その山の後のホテルとレジャーランドですが』

『地方創生、観光振興、雇用創出。言葉はいくらでも用意できる』


『助かります。こちらも、献金の件は例年通り』


『政治とはな江戸川君、金で動くんじゃない。金で“滑らかになる”だけだ』


『勉強になります先生』


乾いた音を立ててグラスが触れ合った。



【数日後】


山道は舗装もされておらず、四輪駆動車が唸り声を上げながら進んでいた。窓を開けると、湿った土と腐葉土の匂いが一気に車内に流れ込む。


『……電波、完全に死んでますね』


助手席の若い社員がスマートフォンを振りながら言った。


『地図上じゃ“無名峰むめいほう”だ。だから選ばれたんだろ』


後部座席で資料をめくっていた現地調査責任者が答える。樹齢数十年はあろう杉が空を覆い、昼間だというのに足元は薄暗い。


『この辺り一帯を伐採、整地して――ここがホテル棟、尾根側がレジャー施設』


説明は滑らかだったが、声の端に微かな緊張が滲んでいた。


その時だった。


『……あれ、家じゃないですか?』


道なき道を分け入った先、開けた小さな平地に、三軒の古い家屋が並んでいた。瓦は黒ずみ、柱は歪み、しかし不思議なことに、崩れ落ちてはいない。


『部落……?聞いてないぞ』


『いや、資料には“無住”と……』


風が吹き抜け、軋むような音が家々から漏れた。人の気配はない。だが、生活の痕跡だけが、妙に新しい。


『おかしいですね。洗濯物の跡もある』


『まだ住んでるってことか……三世帯ってのはこれか』


責任者は唾を飲み込んだ。


『……江戸川社長は、磯山先生が話をつけている…と』


『政治家の言う“話がついている”ほど、信用ならんものはない』


その時、背後で小枝が折れる音がした。


一同が振り返る。

杉林の奥、影の中に、誰かが立っている。


老人だった。


深く刻まれた皺。山に溶け込むような無言の佇まい。視線だけが、異様なほど鋭い。


『……こんにちは』


誰かがそう言ったが、返事はなかった。


ただ、三軒の家の縁側に、いつの間にか同じような老人が二人、腰を下ろしていた。


まるで――

最初から、そこで“待っていた”かのように。

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