黄泉津大神3

 記憶。

 晴れた日。丘の上。大勢の元友人たちに向けて演説している。

 このわからず屋ども。

 頭の中は怨恨でいっぱいになり、罵詈雑言がグルグル回る。

 背中から、冷たいものが貫いて、それが高天原中を襲った。その光景を見て、異常に高揚感に満たされた。

 意識が消えていくとき、私は私を奪い取られて、新たな私を与えられた。

 想起。

 いつからだろうか。友人たちを恐怖の対象として見るようになったのは。

 もう覚えていない。

 震えが止まらない。

 誰も彼もが憤っている。神も人も、私を責める。

 私はただ…——。

 天之御中主神に全てを終わらせたいと言った。

 認めてもらえなかった。

 私が大鳥居の下で天之御中主神を見つけた時は、ただの記録に過ぎなかった。姿かたちは持っておらず、そこに在るだけの神力だった。

 自我が宿る前の天之御中主神ならば、私を解放してくれただろうか。

 回想。

 天照大御神に会った。最古の神の一柱。

 巫女をぞろぞろと引き連れて、澄んだ顔をしながらも、今日も疲れた目をしている。その空虚な瞳は、悠久の「無」を物語っていた。

 人を使役しながら、人を見ようとしない神。

 天照大御神は私を見ると私のもとまで寄ってきた。そして頭から威圧するような態度で、私への不満を捲し立てた。

 私は、天照大御神の笑った顔を、久しく見ていない。

 追憶。

 あの人が黄泉送りにされた。私が見ていない隙に。

 あの人は悪くない。全て私、私が悪い。始めたのは私なのだから。私がなんとかする。必ず。

 何度そう言っても、発端への執拗な追及は止まらなかった。

 あの人は最期、私を憎んだだろうか。

 胸のあたりが、絞られているかのように締め付けられて痛い。

 懐古。

 暖かい。陽だまりの中、人間と隣に座って話している。

 最近、ようやく笑うようになった。人相とは、こんなにも様変わりするものなのかと思った。

 伊邪那美命様は、お優しく、そしてお美しい。貴方様のために働けて、傍にいられて嬉しい。

 人間はそう言った。

 初めての感情。

 私もあなたの笑顔が、喜ぶ顔を見られるのなら……。

 ……。

 黄泉津大神が膝から崩れ落ちる。

「私は…、あなたに……」

 黄泉津大神は震えている。

「私は、一体なにを…」

 天照大御神は起き上がって、黄泉津大神に語り掛ける。

「伊邪那美、ごめんなさい。あたしはあなたのこと、もう責めない。許してなんて言えないけど、謝らせて。本当にごめんなさい」

「……」

 天照大御神は焼き切れてしまった個体に触れてごめんねと呟く。

「私は、あの人を、笑顔に…」

 黄泉津大神は見回す。

「違う…。どうして」

「一旦休もう?」

 天照大御神は黄泉津大神に近づいて抱きしめる。

「辛かったよね。苦しかったよね」

 天照大御神の肌が爛れる。

「ごめんね。あの時、わかってあげられなくて」

 黄泉津大神はやめろと口では言うが、抵抗しない。

「ごめんね、あたしが間違ってた」

 天之御中主神が春香に手招きをする。菊理媛神の神力で祥子の魂を繋ぎ留めてほしいと頼む。

 祥子は棺桶に入れられたおばあちゃんと同じ表情をしている。死人の顔。

 助かるのか。春香は質問する。

 神力が全て抜かれている。とにかく応急処置を。天之御中主神が指示する。

 春香は祥子の手を取る。空気のように重さが無い。神力が抜けた魂だけの存在。

 祥子の手を握る。

 黄泉津大神が春香たちの行っていることを見て絶望する。五百年前と同じように。

「私はなんのために」

 天照大御神を突き放す。そして頭を抱える。

「私は、ただ…」

 黄泉津大神の神力が大きく揺らいで、元人間たちが支配から解放される。

 辛い。苦しい。助けて。帰りたい。それぞれがそれぞれの思いを口にする。

 ごめんなさいと主人が悔いる。

 天之御中主神が自分の体に手を突っ込む。血は出ない。

「君を『黄泉津大神』にしたのは、僕だ」

 体の中から、あの鏡を取り出した。

「君を、伊邪那美命だったときは縛りつけて、黄泉津大神に変えてから更に苦しめた。でも、僕も変わったんだ。感情っていうのがわかるようになってきた」

 天之御中主神の神器が輝く。

「今の君は、どうしたい? 今の僕は、君を否定しない」

 黄泉津大神は天之御中主神を見上げる。

「あの人のところに、行きたい」

「わかった」

 天之御中主神は大きく息を吸う。

「『天之御中主神』は『黄泉津大神』を解放する」

 天之御中主神がそう宣言すると鏡が輝きはじめ、その光に照らされた黄泉津大神が霧散していく。キラキラした湯気のようなものを身体から出して、黄泉津大神の姿が徐々に透明になって消えていく。

「天之御中主神。最後に頼みごとをしていいでしょうか」

「僕にできることならいいよ」

「この子たちも解放してあげてください」

 黄泉津大神は近くにいた元人間を撫でた。

「わかった。約束する」

 天之御中主神の強い応答に黄泉津大神が少し安心したような表情になった。そしてごめんなさいとありがとうを言い残して完全に消えてしまった。

 黄泉津大神の支配から解放された元人間たちが一人二人と頭を掻きむしり苦しみ始めたと思ったら、春香たちに襲い掛かってきた。

「少し時間がかかるけど、君たちも解放してあげる。絶対に」

 天之御中主神が春香の手を引き、天照大御神が祥子をおんぶする。

「帰るよ」

 遠くから光が照らす。月明かりの様に柔らかい。その方向へ全員で急ぐ。瘴気で視界が悪いが一度通った道。はっきりとした導もある。

 途中途中で天照大御神が光を放ち、元人間たちの目を眩ませる。それでもいくらかの個体はずっと追いかけてくる。

 ラストスパート。急な上り坂を必死に登る。

 日の光の下に出た。

 背後で轟音がした。春香は振り返る。

 黄泉の国の入り口が大岩で塞がれた。それはかつて石長比売と紹介されたものだった。

 月読命が幾人かの神を引き連れて駆け寄ってくる。

「やっぱり君に頼んで正解だったよ」

 天之御中主神が肩で呼吸をする。

「あの人たちは? 閉じ込めちゃうの?」

 黄泉津大神に毒された、元々は人間だった人たち。春香の質問に天之御中主神が答える。

「一人ずつ、時間はかかるけど、黄泉の国の穢れを祓って逝かせてあげる。今すぐには難しいから待ってもらうことになるけど」

 天照大御神の背中から降ろされた祥子はぐったりとしたまま。春香はもう一度祥子の手を握って菊理媛神の神力を流すが全く変化が起きない。春香は焦る。

 その様子を見た天之御中主神が春香を止めた。

「もうだめだ」

「でもっ」

「それに、祥子さんがここで再び目を覚ましたとして、喜んでくれるかな」

「それは…」

「だから君の言うとおりにするよ」

「私の?」

「そう。家族の元に逝かせてあげる。人間の、祥子さんの思いをわかっていなかった。君が言うまでわからなかった」

 天之御中主神が高天原と現世を繋ぐ門を開く。

「現世に帰してあげよう。それで逝くことができる。場所は、祥子さん家族のお墓がいいかな?」

 春香に質問する。

「うん。いいと思う」

 頷く。

「祥子、お疲れ様」

 天照大御神が声を掛ける。

「さようなら」

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