ウロボロス

有塩 月

第1話

 いただきます。

 

 視界の端を這っていた腹が減って腹が減って仕方ない御器噛を捕まえてカサカサカサカサ中切歯で食いちぎるとボリボリボリボリボリボリ奇異な汁気が垂れ、ブチュブチュブチュブチュ舌の上に頭部が転がりゴロゴロゴロゴロゴロ触覚が舌背を刺激する。ゴロゴロゴロゴロゴロ半分になった胴体部分モゾモゾモゾモゾモゾがまだ活きが良いままモゾモゾモゾモゾモゾ脚を動かしていたのでモゾモゾモゾモゾモゾ踊り食いすると口の中ゾリゾリゾリゾリゾリで蠢めき、汁を口内に広ゾリゾリゾリゾリゾリがらせる。ゾリゾリ奥歯で磨り潰すようにゴリゴリゴリゴリゴリゴリ咀嚼するとゴリゴリゴリ薄い膜を噛み砕くようバリバリバリバリバリバリな軽い食感があり、昔バリバリバリバリバリ食した芝海老の天麩羅バリバリバリバリバリの尻尾を思い出した。バリバリバリバリバリ汁と唾液が混じり合っズリュズリュズリュた何とも言えない濃厚ズリュズリュズリュズリュな風味。ズリュそのまま嚥下すると、ゴクゴクゴクゴクゴクまだ噛み切れていなかゴクゴクゴクゴクゴクったのか棘のある脚がゴクゴクゴクゴクゴク喉奥に引っ掛かる。ゴクゴクゴクゴク噎せつつ異物感と痛みゴホゴホゴホゴホゴホに耐え無理矢理唾液でゴホゴホゴホゴホゴホ流し込もうとするが、ゴホゴホゴホゴホゴ上手くいかなかった。ゴホゴホゴホゴホゴホ水を求めて文字通り這ズルズルズルズルズルう這うの体で匍っていズルズルズルズルズルると掌がなにやら液体ズルズルズルズルズルに触れた。ズルズル好機と思い犬のようにビチャビチャビチャ液体を啜り、喉の渇きビチャビチャビチャと脚を取り除いて人心ビチャビチャビチャ地つく。ビチャ

 

 あの肉を食べてからだ。

 

 畳を食べてみたが青臭さが口に広がり、い草が歯に挟まっただけで飢えは癒せなかった。柱を食べてみたが木の苦味と共に木片が口内を切り裂き、頬を貫いて終わった。食器を食べてみたが嚥下するたびに食道を切り裂き、自身の血で窒息するだけだった。


 この飢えは癒せない。

 

 空腹になってから、食せるものは全て食べてきたが腹の音は鳴り止まない。

 給仕された料理、食材そのもの、庭に生えている木の実、観賞用の鯉、迷い混んだ野良猫、野山を彷徨く猪、地面を耕す蚯蚓。ひいては人間。


 食べても食べても飢えは止まない。

 束の間の安寧、すぐに空腹が襲いかかる。


 先刻、喉を潤した水溜まりを見ると、水溜まりではなく糞尿の混じった血だまりだった。あぁ、まだ食い残しがあったかと悦びに、そして血だまりに浸る。


 ほどよく混ざりあった吸い物を味わい、次に手近な肉に取りかかる。足先を持ってふくらはぎに歯をたて、渾身の力を入れると、自分の顎が砕けるとの一緒に噛み切れた。

 芳醇な血の香が広がり、砕けた顎の端から滴り落ちる。顎が再生すると、犬歯で肉の繊維が断ち切る歯ごたえを味わう。肉は女に限る。


 足の歯応えから始まり、柔らかな臀部と乳房、臓物の濃厚な風味、胃酸の汁、体液を啜り骨を舐め、指先の肉と爪の食感の対比、耳の軟骨、目玉、舌の弾力、髪は好きではないが手入れされているものは喉越しが良い。

 

 夢中で貪っていると、朝焼けが頬を染め夜が明けたことを知らせる。全て食い尽くした地面を朝日が照らす。

 

 朝露で舌を洗い流して幾ばくかするとまた空腹が鳴り出す。腹が減った。飢え。飢え。止まらぬ飢餓。

 次の食材を探し求めるが、満足するような獲物が見つからない。虫、虫、虫。こんな小物では飢えを満たせなくなってきた。獣はもはや私に寄り付かず、追いかけても獣の脚には敵わない。


 何処かに!

 この飢えを癒すものは! この渇きを満たすものは!

 

 もはや時間も分からず、空腹に支配され慟哭を上げた時はたと気が付いた。


 ある。食欲を満たすもなぜ今まで気がつかなのが目の前に。それもかったのだろう。愚無限に。かな自分。

 天啓を得たように眼前こんなにも身近にこんの腕にかぶり付く、血なにも沢山こんなにも肉、どれよりも新鮮な新鮮で美味しそうなこ血肉。食べては食べてとこの上ない食材が目はたちどころに再生しの前にあったのに、甘永遠に飢えを満たす血美で美味で豊潤で芳醇肉。そして私は完全にで濃厚で滋味で余りになった。無限に食べ永も最上で至上の味わい遠に飢えを癒す。自分で噛めば噛むほど深みを咀嚼するだけで存在がでる。自分自身とはできる。完全に完結しここまで旨かったのか完成された存在。それ。中切歯で肉を剥ぎ犬から私は呼吸よりも無歯で骨を砕き臼歯で咀意識に自分自嚼し、汗の塩味を血の身を食べ続け安寧を得酸味を肉の甘味を骨のた。これが天からの祝苦味を舌先で舌背で舌福なのだと知る。の根で堪能する。

 食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べ、咀嚼し、嚥下し、食べて食べて食べて一瞬かはたまた悠久の時が流れた頃。


 完全なる世界に、音が聞こえた。



 食べつつ、音の方角に視線を流すと、錫杖を携えた僧侶が佇んでいた。いつかの私ならたちまち食そうとしていただろうが、最早その必要もない。


 僧侶はひとつ、昔話をしようと言う。

 霧の中に響く鈴の音の様に、妙に頭に響く声だった。


 ある時、大層見目麗しい姫君がいた。それはもうこの世のものとは美貌の持ち主で、時の権力者達が気を引こうとこぞってありとあらゆる富を献上した。ある日、一風変わった品が献上された。聞くと、人魚の肉だそうな。曰く、この肉を食べたものは不老不死になる、と。姫はよもやそれを信じていたわけではないが、おおよそそう伝えられるぐらい、希少で滋味に富む食材なのだろうと思い食した。

 

 私は聞いたことのないその話の続きを知っている。

 

 それから。それから、乱心した姫はあらゆる物を食べるようになり、動くもの動かぬもの全て喰い、ついに人を食べようしたところを斬られる。ところが斬られた傷はたちまち治り、斬られ刺され突かれども止まらず、全てを平らげた。


 そこで昔話が終わり、僧侶が言う。

 即ちね、人魚の肉は本物だったんだよ。尽きることない飢えと一緒に不老不死をもたらすものとしてね。と。

 そしてある時、その伝承を聞いた修行僧がその土地に赴くと、自らの体を食い続ける美しい女子がいた。

 自らの尾を喰う蛇のように、一にして全。円環。個で完結した、飢えの成れの果て。輪廻転生から外れた者。


 これにて昔話はおしまい。と、何かを唱えて、錫杖を掲げるとそれを私の喉に突き刺した。


 そして、咀嚼することできなくなった私の口から血が流れ、あぁ、もう食べなくていいのかと悟った。


 私は私であることを、人間だったことを思い出した。


 地面に倒れ曇天の空を仰ぎ見る私に、ゆっくりと迫ってくる物を見た。雪だ。


 ひとつの雪がはらりはらりと地面に降り立つと、徐々に後を追うように他の雪達も降り始める。


 動かない体、視線の先から軽やかに落ちてくる雪が徐々に近づき、私の睫に触れた。体温と瞬きで溶けたそれは雫となって視界を滲ませる。


 滲んだ空の中で、遠ざかる錫杖と足音が聞こえた。


 何者だったのだろうか。


 咀嚼音だけが響く世界から解放されてここまで世界は静謐だったのかと知る。


 はらりと、雪が頬に落ち冷たい感覚が何とか意識を繋ぎ止める。昇る白い息と落ちる雪を見て、最後に願いが叶うならば、どうか味わいたいと舌を空に伸ばす。


 舌先に雪が落ちた。もはや飲み込むことすらできないが、一瞬きの間に溶けた雪水、舌先で転がす。


 喉の内側から発した熱を冷やす温度。少し泥のような味の水。すぐに血と混ざり鉄の風味に変わる。


 それは人生の中で一番美味しい食事だった。


 ごちそうさま。

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