嵐の夜の一杯
@PandaGarasu
10月10日
夕方過ぎ、島からの最後の定期船が桟橋を離れると同時に、空は一気に荒れ始めた。
横殴りの雨。
唸りを上げる風。
島はその瞬間、外界から切り離された。
崖の上に建つ小さなペンションには、6人が取り残されていた。
ペンションのオーナーと、若いメイド。
そして四人の宿泊客。
103号室の若い男は、乱暴そうな態度でソファに腰を下ろしている。
104号室には、不動産会社の社長。
204号室には、東京から休暇で来ていた女探偵。
206号室には、白髪混じりの老警察官。
夕食後、探偵は食堂にあったスティックのインスタントで作ったコーヒーを片手に、ロビーで1人飲んでいた。
向かいの椅子に、老眼鏡を首から下げた老警察官が腰を下ろす。
「よくこのペンションへは来てるんですか?」
探偵の何気ない問いに、老警察官は少しだけ驚いた顔をした。
「ああ。毎年な」
「毎年ですか!
日にちも決まってるんですか?」
「10月10日だ」
「何か思い出の日なんですか?」
老警察官は、小さく笑った。
「まあ、そんなところだよ。部屋も、いつも同じだ」
「206号室?」
「よう知ってるな」
「部屋番号、覚えるのが得意なんです」
探偵はそれ以上踏み込まず、カップに口をつけた。
午後九時。
――リリリリリリリリン!
突如、甲高い電子音が廊下に響き渡った。
「うるせぇな!!」
103号室のドアが勢いよく開き、若い男が顔を出す。
「誰だよ!うるせぇな!早く止めろって!」
音の出所は、104号室だった。
若い男が激しくドアを叩いても、一向に止まる気配はない。
怒鳴り声に引き寄せられるように、他の客も104号室に集まった。
そこへ、オーナーとメイドが駆けつけた。
「マスターキーで開けよう」
オーナーの言葉に、メイドは震える手で鍵を差し込んだ。
鍵が回り、ドアが開く。
――リリリリリリリリン!
耳をつんざく目覚まし時計の音が、廊下になだれ込んできた。
「きゃあああああああっ!!」
アラームの音をかき消すほどの悲鳴を上げ、メイドが後ずさる。
部屋の奥、机の前の椅子に、不動産会社社長が崩れるようにもたれかかっていた。
首は不自然に傾き、床には倒れたマグカップ。
インスタントコーヒーの苦い匂いが漂っている。
探偵は一歩踏み出し、静かに言った。
「……すでに亡くなってます」
老警察官がすぐに目覚ましを止めた。
「この島は運悪く圏外だ。
それに、この嵐で外部との連絡は取れないだろう。
だが、明日警察が来るまで現場は保全させてもらう」
簡易的な確認で、死因はすぐに判明した。
口から臭うアーモンド臭が青酸カリ中毒であることを裏付けた。
部屋は内鍵がかかっており、密室だった。
「死後硬直が始まって間もないことから、おそらく死後1時間程度。19時半から20時と言ったところですね。」
老警察官が問いかけた。
「あなたは一体…?」
「申し遅れました。私は東京で私立探偵をやっているものです。
今回の事件、いくつか奇妙な点があるので、ぜひ捜査に協力させていただきたいです」
「そうでしたか…
わかりました。よろしくお願いします。」
⸻
ロビーで老警察官と女探偵は1人ずつ事情聴取を始めた。
まず初めにオーナーから話を聞いた。
「まず、島に来た順番を確認させてもらえます?」
探偵が口を開く。
「私が2日前から。
警察官さんが今日の朝一番。
104号室の社長さんがその次の便。
103号室のお客さんは、その後の正午過ぎでした。」
探偵は小さく頷く。
「次に、社長さんが到着した時のことですが……」
不意に、オーナーが首を傾げた。
「そういえば……」
「社長さん、チェックインの時に聞いてきたんです。
『コーヒーはどこですか』って」
「その後すぐ、食堂へ行かれましたよ」
探偵は、その何気ない会話を心に留めた。
「コーヒーはカフェイン入りと、カフェインレス、両方置いてあるんですか?」
オーナーは首を横に振った。
「いいえ。昨年の12月から、カフェインレスだけです。うちオリジナルのコーヒーなんですよ。」
続いて午後九時前後の行動確認を行った。
「私はずっと厨房にいました。
夕食の片付けをしていて……9時頃はちょうど洗い物をしていました」
「被害者とトラブルは?」
「いえ……特にありません。今回初めてお泊まりになられるはずですし…」
「最後に一つ、出入り口はロビーの扉以外にありますか?」
「厨房にありますが、昨日1週間分の食材を置いたので外からは入れないと思います…」
続いて、103号室の男の話を聞いた。
「俺は8時から8時半まで風呂で、その後はすぐ寝ただよ。
あの目覚ましがなきゃ、朝までぐっすりだったのによ」
「被害者とは?」
「おい、俺は犯人じゃねえぞ。
言っとくけど、ここに来たのは今回が初めてだし、
亡くなったおっさんとは食堂で顔合わせた程度だからな」
「最後に、部屋にいる際に何か物音などはありませんでしたか?」
「そういえば、8時前にラジオが隣から聞こえたから壁を叩いたぜ。すぐに音は聞こえなくなったけどな。
あの部屋値段が安いから予約したけど、壁が薄いのか、隣の音が筒抜けだから失敗したと思ったぜ」
続いて、メイドから話を聞いた。
「私は皆様が夕食を食べられる時から入り口近くの洗濯室でアイロン掛けなどをしていました。その後103号室の方の怒鳴り声が聞こえたのでオーナーと一緒に部屋に行きました。」
震える声だった。
「入り口から誰かが入って来たということはありませんか?」
「それは絶対にありえません。
ここの扉古いから開閉音が大きくて、特に雨風があると食堂にいても音が聞こえるんです。」
先ほどとは打って変わって、はっきりとした回答であった。
「わかりました。最後に、今日なにか変わったことはありませんでしたか?」
「特に…」
「あの、たいしたことではないのですか…」
「何でも仰ってください」
「今日はやけにコーヒーの減りが早いなとは思いました…」
全員の事情聴取が終わり、容疑者全員を一度部屋に帰した後、ロビーで話を整理してみたが、全員が死亡推定時刻にアリバイがあり、決定的な矛盾はない。
その最中、老警察官がぽつりと呟いた。
「被害者は眠気覚ましに、コーヒーでも飲んだのかね」
探偵の視線が、わずかに動いた。
深夜。
嵐は弱まる気配もない。
探偵は、再び全員をロビーに集めた。
「……そろそろ終わりにしましょか」
静かな声だった。
「この事件、外部犯の仕業ではありません」
「全員にアリバイがあるなら外部犯の仕業だろ」
若い男が声を上げた。
しかし、探偵は順に言葉を積み上げていく。
「このペンションの出入り口は二つ、一つはこのロビーからも見える古い扉ともう一つが厨房の勝手口です。
どちらも人目を盗んで入ることは難しく、またこの大雨の中外部から犯行を行うことは考えにくい」
探偵は続ける。
「犯人は事前に青酸カリ入りの『カフェイン入り』インスタントコーヒーを一つだけ用意し、元々あったカフェインレスをすべて回収しました。」
「また、犯人は被害者が到着後すぐコーヒーを飲むと分かっていました」
「実際、チェックインの際に場所を聞いています」
「その後、コーヒーが無くなったことに気づいたメイドさんが補充した。だから今は、しっかりと並べてある」
若い男が唸る。
「……確かに、辻褄は合う」
探偵は、静かに歩みを進め、老警察官の前に立った。
「あなたには、そのすべてが可能でした」
「このペンションの常連で、
一番早く島に来て、十分な準備時間があった」
「ちょっと待ってくれ、面白い推理だが、それならここのオーナーやメイドにだってチャンスはあったはずだろう?
なぜ私なんだね?根拠はあるのかい?私はこれでも警察官なんだよ?」
探偵は、はっきりと再現する。
「あなたを疑った決め手は、『眠気覚ましに、コーヒーでも飲んだのかね』というセリフです。」
「このペンションは、去年の12月からカフェインレスしか置いてない」
「“眠気覚まし”という発想が出てくるのは、
ここにカフェイン入りがあると思い込んでいた人間だけです。」
老警察官の表情が、わずかに歪む。
「初めて来た客なら、そんなことは考えません。
カフェインレスしかないと思えば、違和感もない。」
一歩、距離を詰める。
「でも、あなたは違う。
毎年ここでコーヒーを飲んでいたはずだ。
それに、カフェインレスという文字は非常に見づらい。老眼鏡を付けなければほとんど一緒のコーヒーに見えたはずだ。」
そして、静かに告げる。
「今、あなたのバッグを調べたら……
おそらく中には、カフェインレスのスティックコーヒーが入っているはずです」
沈黙のあと、老警察官は、ゆっくりと息を吐いた。
「……見なくてもいいですよ。」
その声は、ひどく疲れていた。
「探偵さんの言う通りだ。」
「警察官人生が長くても、人を殺める時は焦ってしまうもんなんだな…
カフェインレスに変わっていたなんて、探偵さんがオーナーに聞くまで全然思いもしなかったよ。」
「犯行動機は奥さんの死ですか」
「そこまでお見通しか…」
「さっきオーナーに聞いたら、あなたの奥さん、10年前に体調を崩してそれから…」
「そうだよ。
あの男が妻の実家の土地を無理矢理買い取ってしまったせいで、妻の両親は自殺をしてしまい、紹介した妻は罪悪感で体調を崩してしまって、そこからは早かったよ…
それからずっとあの男を探していて、今年偶然このペンションに泊まることがわかった時には、運命かと思ったよ。」
「あんたがこのペンションに泊まってなければ、こんな大雨でなければ、犯人だってバレなかったのかねぇ」
そう言い終えた老警察官は、背筋を支えていた何かを失ったように、ゆっくりと肩を落とした
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
嵐の音だけが、ロビーに残った。
孤島のペンションで起きた殺人事件は、
一杯の苦いコーヒーと、静かな自白によって幕を閉じた。
嵐の夜の一杯 @PandaGarasu
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