第22話

リンクに入った瞬間から、違和感があった。


 ——近い。


 たけるの視線が、やけに優しい。

 というより、愛おしいものを見る目だった。


 ……役に入り込んでるだけ、だよね。


 そう思おうとしたけれど、朝一番から様子がおかしい。


「先輩、荷物持ちます」


 気づけば、バッグは彼の手の中。


「ドア、開けますね」


 当たり前みたいに扉を押さえ、靴まで揃えてくれる。


「……ありがとう」


 それしか言えなかった。


 練習が始まると、さらに距離は縮まった。


 肩を抱かれる。

 ハグの回数が、明らかに多い。

 気づけば、ずっと手を繋いでいる。


 離れるタイミングが、ない。


 ——ち、近い。


 心臓が、うるさい。


 頭の中で、コーチの言葉がよみがえる。


 リンクの上では、恋人同士に見えなさい。

 どんなときも。

 リンクを出るまでは、恋人だと思いなさい。


 分かってる。


 分かってる、けど。


 長い間、先輩後輩だった私たちにとって、これは正直、恥ずかしい。


 でも——

 たけるは、もう迷っていないように見えた。


 その恥ずかしさを、乗り越えてしまったみたいに。


 ……そうだ。


 これは、演技。

 練習。


 自分に、何度も言い聞かせる。


 なのに。


「先輩、どうしました?」


 肩を抱かれたまま、顔を覗き込まれる。


 距離が、息がかかるほど近い。


 視線が、合う。


 ——だめ。


 頭が、真っ白になる。


 ああ、耐えられないかもしれない。


 彼が、優しすぎる。


 役の中の優しさなのか。

 それとも——。


 まなみは、ぎゅっと拳を握る。


 これは演技。


 そう言い聞かせながら、

 それでも心が、少しずつ彼に傾いていくのを止められなかった。

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