第20話

振り付けの日。


 リンクに流れたのは、静かで、切ない旋律だった。

 恋に落ちて、すれ違い、想いを抱えたまま進んでいく——

 そんな物語を持つ曲。


 ——恋愛系。


 それだけで、胸の奥がざわつく。


「最初から通してみましょう」


 コーチの合図で、二人は滑り出す。


 たけるのリフトは安定している。

 ステップも正確だ。


 けれど。


「ストップ」


 音楽が止められる。


 コーチは腕を組み、たけるを見た。


「技術はいいわ」

「でも——」


 一拍、間を置いて。


「たける、恋愛的な表現がまだまだ足りない」


 空気が、張りつめる。


「守るだけじゃダメ」

「“惹かれている”のが伝わらない」


 たけるは、何も言わずにうなずいた。


 その横顔は、悔しさを押し殺しているみたいだった。


 ——そんな顔、させたくない。


 でも、まなみ自身も、集中しきれていなかった。


 休憩の合図が出る。


 まなみは、水のボトルを手に取り、たけるのところへ向かった。


「はい」


「ありがとうございます」


 受け取る手が、少しだけ力なく見える。


 たけるは、ボトルを開けながら、小さく笑った。


「すみません」

「僕、恋愛系の曲、苦手なんですよ……」


「……そうなんだ」


 氷の上で、二人並んで腰を下ろす。


「正直、恋愛って、あんまりよく分かんなくて」


 何気ない口調。


「そんなに経験もないですし……」


 ——え?


 まなみの思考が、一瞬止まる。


「……え?」


 思わず声が漏れた。


「そんなに驚かないでくださいよ」


 たけるは、照れたように視線を逸らす。


「得意じゃないんです、そういうの」


 ——じゃあ。


 じゃあ、さゆりちゃんは?


 付き合ってたんじゃ、ないの?


 喉まで出かかった言葉を、まなみは飲み込む。


 聞きたい。

 でも、聞けない。


 もし違ったら。

 もし、本当だったら。


 どちらにしても、今の自分は——

 その答えを受け止める準備ができていなかった。


「……そっか」


 それだけ言って、まなみはボトルに視線を落とす。


 氷の上に、二人の影が並んで映る。


 近いのに。

 大切なのに。


 どこか、踏み込めない距離。


 音楽が、再び流れ出す。


 ——恋愛の物語。


 まなみは、胸の奥の揺れを押さえ込みながら、立ち上がった。


 今は、滑るしかない。


 この感情の正体を、

 まだ、名前にできないまま。

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