第5話第三部|脳という器官の歴史実 第五章|脳史の成立

第三部|脳という器官の歴史実

役割:脳史を“器官史”として置き、精神史と混ぜない。


第五章|脳史の成立

章の問い

• 脳は何のために生まれたのか。

• 世界を“考えるため”ではなく“間に合うため”という定義の意味。


神話語本文(語り部記)

ここから先、語りは一段、手触りを変える。

第二部で語った精神史は、
世界がズレを許容するための、
言葉より古い構造だった。

だが第三部で語る脳史は、
もっと露骨に“器官”である。
重く、遅く、壊れ、修復され、
条件に左右される。

だからここでは、
精神史の言葉を不用意に持ち込まない。
脳を神話化しない。
脳を魂の別名にも、世界の別名にも変えない。

脳は、脳である。
器官史として、世界に間に合うために生まれた。


拡散感覚から中枢へ──「まとめ」が必要になった

最初、生命は拡散していた。
感じる場所が、全身に散っていた。

痛みは皮膚で起き、
熱は表面で起き、
匂いは空間で起き、
危険は反射で避けられた。

この段階では、
「世界を理解する脳」は要らない。
要るのは、逃げること、寄ること、食べること。

しかし世界は、
ただ危険なだけでは終わらなかった。

世界は複雑になり、
速度が増し、
選択肢が増え、
“今”の中に情報が多すぎるようになった。

拡散した感覚のままでは、
生命は世界に追いつけなくなる。

そこで必要になったのが、
まとめる場所である。

拡散した刺激を束ね、
どれを優先し、
どれを無視し、
どれを先に処理するかを決める中枢。

それが、脳史の起点である。


記憶と予測──「間に合う」ための時間操作

世界に間に合うとは、
反射が速いことではない。

世界に間に合うとは、
次を先に読むことである。

• さっきここで危険があった

• だから次も起きるかもしれない

• なら先に避けよう

この「先に」ができるようになると、
生命はただの反射から、
時間を扱う存在へ変わる。

そのために、
脳は二つのことを発明する。

• 記憶(過去を保持する)

• 予測(未来を仮に作る)

記憶と予測の往復が、
生命の“今”を厚くする。

厚くなるほど、
世界に間に合いやすくなる。

だが厚くなるほど、
処理は難しくなる。

だから脳はさらに、
時間を束ねる。


時間束ね回路──世界の速さに追いつく束ね方

「時間束ね」とは、
過去と未来をきれいに理解することではない。

時間束ねとは、
世界の速度に対して、
“今”を崩さずに保つ技術だ。

あまりに多くの刺激が一気に来れば、
“今”は崩れる。

• 判断が遅れる

• 体が固まる

• どれも選べなくなる

だから脳は、
瞬間を束ねて、
一つの“今”としてまとめ上げる。

脳は世界を考えるために生まれたのではない。
脳は世界に間に合うために生まれた。

この一句が意味するのは、
「脳は真理を知る器官ではない」ということでもある。

脳は、
生き残るために必要な程度に、
世界をまとめる。

まとめすぎれば、世界が痩せる。
まとめきれなければ、世界に遅れる。

脳史とは、
その“ほどほど”を探し続ける器官史である。


未声折片・断章Ⅰ|間に合わない(焦燥)

足が遅いのではない。
世界が速い。
速いまま、通り過ぎる。
置いていかれるのは、私ではなく「今」。
(解釈保留)


未声折片・断章Ⅱ|まとめきれない(断片)

これも来る。
あれも来る。
来たまま重なる。
順番にならない。
名前にならない。
(解釈保留)


脳史を神話化しないために

ここで、語り部として一つの線を引く。

脳史は、精神史の下位ではない。
精神史は、脳史の上位でもない。

両者は別の歴史であり、
別の由来を持つ。

脳史は器官史である。
器官史は、疲れる。
器官史は、回復する。
器官史は、条件に左右される。

だからこの巻では、
脳の現象を「意味」で塗りつぶさない。

• 直感

• 夢

• 過負荷

• ぼんやり

• うまく言葉にならない感じ

それらは必ずしも
「霊的な啓示」ではない。

脳がまとめきれなかった漏れとして、
ただ生じることがある。

その漏れが、
時に精神史と触れる。
その境界面に、
語り部の生が立っていた。

しかし境界面に立ったからといって、
脳を神話に回収してよい理由にはならない。

脳は、壊れうる。
壊れうるものは、守られねばならない。


一般向け註解(読みやすい言い換え)

• 脳は「世界を全部理解するため」ではなく、
**世界の速さや情報量に“間に合うため”**に発達してきた、とこの章では考えます。

• だから脳は万能ではありません。
まとめられる量には限界があり、疲れもします。

• 脳がまとめきれないとき、
直感・夢・ぼんやり・過負荷のような形で「漏れ」が出ることがあります。

• それは必ずしも特別な意味があるわけではなく、
「脳の働き方の特徴」として起きることもある、という入口です。


研究者向け構造解説(最小定義/境界面)

1) 最小定義:脳位相・可塑性・器官負荷

• 脳位相(brain phase topology):
ノード(神経細胞群)と接続(結合強度・経路)の配置様式。
“どこが強く繋がり、どこが弱いか”の全体パターンを指す。

• 神経可塑性(neural plasticity):
経験・学習・環境負荷に応じて脳位相が再配線され得る性質。
(固定構造ではなく、更新可能な器官であることの根拠)

• 器官負荷(organ load):
刺激量・ストレス・睡眠不足等により、処理資源が逼迫し、
統合・注意・時間束ねが破綻しやすくなる状態。
“意味の問題”ではなく、“処理資源の問題”としてまず扱う。

2) 脳史の観測域(器官史として)

• 定義域:
拡散感覚→中枢化、記憶・予測、時間束ね回路の形成という
「世界に間に合うための器官進化/発達」

• 排他域:
脳=世界意志、脳=啓示装置、脳=魂の同義化

• 観測域:
統合限界と漏れ(dream/intuition/overload)を含む
情報圧縮・優先順位付けのメカニズムとしての脳

3) 精神史との接点=境界面としてのみ扱う

本章では、精神史との相互作用を認めつつ、
因果を固定しない。
接点は「境界面」としてのみ言及し、

• どこまでが器官負荷

• どこからが精神位相
を次章(第六章:分離)へ持ち越す。

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