翔べ!リモコン

狭山千尋

翔べ!リモコン

  リモコンは飛ばない。ましてや翔ばない。仮に飛ぶとしても、それは投げられたとか外的な力によるものであって、それは飛ぶでも翔ぶでもなく、飛ばされるというのである。


  リモコンは飛ばない、これは確固たる事実であるから、例えば、「ペンギンが飛び得ないならば、リモコンは飛ばない」は成り立つ。これは、「リモコンが飛ぶならば、ペンギンも飛ぶ」が成り立つことと等しい。他のものについても同様である。 つまり、リモコンが飛ぶということは、他の何者も飛び得るということだ。


  昨日、私は万能のお守りを失くした。高校生の時に部活の先輩にもらったものを十年来ずっと大切に持っていたのだが、とうとう失くしてしまった。お守りと言ってもステッカーで、表に「何にでも効く」と書いてあるだけのものだった。スマホの透明ケースの裏に挟んでいたのだが、何処かに消えてしまった。ケースは外していないし、昨日の朝挟まっているままなのを見た。


  今日、リモコンが飛んでくれれば、お守りは確実に飛んで戻ってくるだろうし、寧ろ昨日万能のお守りはなくならない。何故なら、リモコンは飛ばないから。かといって、私はリモコンに飛んでほしいわけではない。リモコンに関して、私には嫌な記憶があるのだ。


  幼稚園児の頃に見た夢である。


  NHKの子供向け教育番組で子供が中にいるようなセットが、三つ、縦に並んでいる。一番手前の赤い一つに私はいて、一人で遊んでいる。別に遊具も何もなく、でも漠然と何かが楽しくて遊んでいる。気がつくと、私は隣の青いブースで遊んでいる。ここでそろそろ私も、周りに誰もいない、そして知らない場所だ、おかしい、と思う。しかしよくあることながら、これが夢だとは気づかない。どこか出口か別の場所に行こうと思って、立つと、向こうに黄色のブースがある。


  黄色のブースに行くと、急に不安な気持ちがしだす。しかし、逃げようにも、三つのブースの周りは闇で、赤と青のブースも急に遠ざかって、私は黄色のブースの中に孤立する。どうにもならず慌てているうちに、気がつくと、私は這うしかできなくなる―――そこに、リモコンが翔んでくるのである。巨大なリモコン様の物質が、遥か前方の上空(空なのかは分からないが)に現れ、しかし高速で迫ってくる。後一分で、やってくる。


  そして、これはただのリモコンではなく、怖いリモコンなのである。一体怖いリモコンが存在し得るかと聞くのは野暮である。現実には怖いリモコンという概念が存在しなくても、夢の中には存在し得る。しかも、夢の中でリモコンが飛んでいることからしても、そのリモコンは怖いリモコンであり得るのだ。


  そのリモコンは、精神攻撃を仕掛けてくる。私は幼稚園児として、自分が赤ちゃんみたくハイハイしているのは気に入らない。立とう立とうと頭ではもがくも、立ち上がれない。そこに、リモコンは私を嘲笑しながらやって来る。同時に、親や先生に自分を少しでもよく見せたい幼児だった私を、リモコンは、親のいないところで勝手に遊んでいると責めるのである。怒られていることへの怖さが胸に広がる。そこに、私を這わせているのはリモコン自体なのに、相手が巨大な、圧倒的な存在であり、自分は何もできないという悔しさが相まって、私の胸には、言いようもない不快感が広がっていく。


 そんなうちにもリモコンが近づいてきて、恐怖心が高まってゆく。リモコンが眼の前まで来て、今にも呑まれそうになり、未知のリモコンに対し、動けない私は理性のみならず命の危険も感じ、もうどうしようもないとパニックが頂点に達した時―――目が覚めるのだ。


  起きている今、そしてその夢を見なくなって二十年以上経った今では、滑稽な話だとも思える。しかし夢の中で、それが夢ともわからないまま、巨大な「怖いリモコン」が迫ってくる心地は、中々なものだと、分かって頂けるだろうか。


  そして今、お守りの方が飛んできた。お守りは飛ばない。なのに飛んできたということは、リモコンは飛ぶのである。リモコンとお守り、どちらが先に飛んだのだろう。なにはともあれ、リモコンが飛ぶということは、今、西の空の彼方から、怖いリモコンが翔んでくる。

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