ニコさんの奇蹟

Bamse_TKE

ニコさんの奇蹟

「・・・・・・、こんにちわ」


 指定されたホテルのドアは軋む音すら立てず、あたしの後ろで静かに閉じた。あたしはこの暖かい清潔なホテルの一室に、自分をお金に換えに来た。ホテルのベッドに座る大柄な男性、白髪もかなりボリュームがあるけど、後ろ姿でも隠し切れない白髭が凄い。白い肌着を着ているけど、負けず劣らず白いその肌は御餅みたいにむちむちに見えた。あの人の名前は、もちろん本名じゃないだろうけど。あれがもうすぐあたしの身体にのしかかってくるのかと思うと、正直身の毛がよだつ。止まらない嫌悪感に震える声で、あたしはもう一度この大きな背中のおじいさんに話しかけた。


「こんにちわ」


 あたしが勇気を振り絞って二度あいさつしたのに、帰ってきたのは深いため息だけだった。あたしは気に入られていないのかも知れない。でも、もう時間がない。この人からお金をもらって妹たちが待つ家に帰らなきゃ。守るつもりも無かったあたしの純潔と引き換えに。


**


 運が悪いのは今に始まったことじゃない。お母さんが早くに亡くなったときから、あたしはなんとなく世の中の不条理を知った。それでもお父さんは小さな工場こうばを切り盛りしつつ、一所懸命にあたしたち三姉妹を育ててくれた、文字通り男で一つで。でも工場は材料費の高騰と、賃金の高騰、そして景気の悪さにどんどんと傾いていった。お父さんは資金繰りに駆け回っていた。あたしたち子供にもわかるほど、お父さんは必死だった。


 でも、やっぱりあたしは星の巡りが悪いみたい。お父さんの工場は借金にまみれ、にっちもさっちも行かなくなった。そしてついには漫画みたいに怖い顔した借金取りが家まで押しかけてきて、有無を言わさずお父さんを連れて行ってしまった。なにもクリスマスの直前に連れて行かなくてもいいじゃない。


「せめて、これを・・・・・・」


 あたしはなけなしの三万円を借金取りに渡すことしか出来なかった。これで少しはお父さんへの責めが和らぐかもと。借金取りは鼻で笑いながらも、あたしの三万円を持ち帰った。お父さんがお金の工面に走り回っているのを知ってたから、あたしは学校サボってバイトして、どうにかクリスマスパーティーに必要な三万円を稼ぎ出した。ささやかでもクリスマスのお祝いをするために、まだ幼い妹たちにクリスマスパーティーを開いてあげるために。ケーキもチキンも、そしてお父さんと妹たちへのプレゼントも手配済み。足りなくなったのは、そう、お金だけ。あたしの決断は早かった。お父さんが居なくなった今、あたしたち姉妹だけでは暮らせない。今度のクリスマスは、妹たちと過ごせる最後のクリスマス。それを成立させるには、あたしを頑張るしかなかった。あたしはよからぬ出会いをマッチングさせるアプリに、自分を三万円で売り出した。


 登録完了と同時に、神憑りな早さでというユーザー名の買い手がついた。そしてあたしはニコさんを名乗る人に呼び出され、いまこの部屋で絶望を隠した笑顔を振りまいている。いまだこちらを見ようともしない、大きなおじいさんの後ろで。


**


「なんでこんなことをするんだね?」


 よく聞く話は本当だったとあたしは実感した。自分で女を買っておきながら、あたしが自分を売る理由をわざわざ聞いてくるこのおじいさん、いやあたしの中ではくそじじい。


「お金が必要だからです」


 あたしは感情を抑えつつ、なるべく可愛らしく答えを発した。この人に嫌われたら、お金をもらえなかったら、そう思うとどんどん卑屈にならざるを得なくなっている自分が悲しい。


「お金が必要な訳を聞いているんだよ」


 優しい声で人の懐具合を探ってくるこのくそじじい、あたしは苛立ちを隠しきれなくなってきた。


「そんなこといいから、はやく始めてよ」


 そう言ってから自分が惨めになった。あたしは自分がサービス提供者なのに、なにから始めていいかも知らないしわからない。このくそじじいに流れを任せるしかない、そんな自分が心底惨めでならなかった。


「・・・・・・」


 沈黙を続ける大きな背中、いつもまでもこうしてはいられない。仕方ないからあたしはベッドに登ってくそじじいの背中に抱き着いた。あたしの身体を密着させれば、きっとことが始まる。あたしはそんな期待を込めて、背中に自分の胸を押し付けた。さぁ、女が欲しくて呼んだんでしょ、さっさと始めなさいよ。あたしは吐き気をこらえながら、くそじじいの頬にキスしようとした。でもくそじじいは首を捻ってそれを避ける。あたしは我慢の限界だった。


「はやくしてよ、あたしが欲しいんでしょ」


 あたしは大きな背中から離れて、ベッドの上に立ち上がり叫んだ。するとくそじじいは悲しそうに呟いた。


「・・・・・・欲しいよ」


 ほら見なさい、エラそうに焦らさないで欲望をぶちまけなさいよ。もらうものはちゃんと貰うんだから。すると一呼吸してくそじじいは言い直した。


「幸せになって欲しい」


 幸せ?

 あたしはブチ切れた。幸せなんて今のあたしに訪れるわけないじゃない。もう我慢はおしまい、あたしは感情を爆発させた。


「あたしが幸せになれるわけないじゃない、知らないじいさんに体売って、お金貰って。大体人のことを物みたいに買うじいさんに、あたしの幸せなんて語って欲しくない」


 あたしはくやしさとみじめさに打ちのめされながら、涙をぼろぼろこぼして叫んだ。そしてベッドの上で跪き、両手で顔を覆いながらしゃくりあげるように心境を吐露した。


「仕方ないじゃん、お金ないと、ケーキも、チキンも、プレゼントも用意できないんだから」


「だからと言って、自分の身を犠牲にしなくても」


 どこまでも奇麗事を抜かすじじいにあたしは言った。


「じゃあどうやってお金用意するのよ。お父さんは借金取りに連れていかれた。妹たちにクリスマスのお祝いを用意できるのはあたしだけ」

「あたしだけなんだから・・・・・・」


 あたしは誰に話しているかも忘れて、嗚咽に声を震わせながら続けた。


「きっとこれからは、妹たちとは離れ離れ、これがあたしたちにとっては、最後のクリスマスパーティー・・・・・・」

「ラストクリスマスなんだから・・・・・・」


 するとじじいはため息をつきながら言った。


「ラストクリスマスは英語にすると、去年のクリスマスだね」

「去年のクリスマスは楽しかったかい」


 あたしは言い返すのにも疲れ果て、素直に答え始めた。


「・・・・・・、お父さんと妹たち、死んだお母さんの写真を飾って、楽しくクリスマスを過ごしたわよ」

「どうして今年はそうならないのかね?」


 感情の波が穏やかになりつつあったあたしは素直に答えた。


「お父さんの工場が、上手くいかなくって、借金取りがお父さんを連れて行っちゃった」

「クリスマスパーティーのために、ケーキもチキンもプレゼントも用意した」

「でも足りないのはお金、そして・・・・・・」


「そして?」


 じじいの問いにあたしは呟いた。


「・・・・・・お父さん」


「君の願いはそれなんだね」


 あたしが深く頷くと、後ろ向きのままそれを察したようにじじいは立ち上がった。そしてホテルのクローゼットからコートを取り出し始めた。あたしはこの目を疑った。そのコートは真っ赤で、袖口が白い。被る帽子も同じデザイン、座っていて気付かなかったが、これまた同じ色のモフモフとしたズボンを履いている。じいさんは初めてこちらを向いて、にこりとした。その途端に、あたしのスマホがメッセージの着信を告げた。妹たちからだ。


『お父さん、帰ってきたよ』

『お父さんが工場の金庫を開けたら、まるで誰かが投げ込んだみたいに、ずっしりした金貨入りの袋が三つも入ってたんだって!』

『借金取りのおじさんたち、お姉ちゃんの三万円も返してくれたよ』


 あたしが唖然としてメッセージを見ていると、おじいさんは赤を基調とした派手な格好のまま、ホテルのベランダに出た。どこからか、


リンリンリン


と鈴の音が聞こえ、空からソリが降りてきた。九頭引きのトナカイ付きで。あたしはもう言葉を失い、ただただソリに乗り込むおじいさんを見つめ続けた。


「メリークリスマス!」


 そう言うとソリは宙に浮いたまま進み始めた。


「さて今夜は大忙し、沢山の子供に幸せとプレゼントを届けなければ」


 そう言い残して、おじいさんは空へと消えていった。あたしは誰もいなくなったホテルの一室で一人呟いた。


「本当にあわてんぼうなのね、クリスマスイブは明日だよ」


 そう言ったあたしの声は歓喜の涙に震えていた。






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