未知

沢田和早

未知


 自転車のペダルが重い。買いすぎちゃったかな。前カゴも背中のリュックもパスタで一杯だ。

 最近米が高いので食事は業務スーパーのパスタばかり。今日も買い出しに出かけたら思いがけなく賞味期限間近の見切り品が半額で大量に売られていたので大量に買い込んでしまった。これから数カ月はパスタばかりだな。


「おい、何をチンタラ走っているんだ。もっと気合いを入れて漕げ」

「これが精一杯ですよ。向かい風だし上り坂だし、無茶言わないでください」

「己の不甲斐なさを風と坂のせいにするな。この軟弱者め」


 後ろから容赦ない罵詈雑言を浴びせてくるのは僕の先輩だ。

 先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩は一年浪人してしまったからだ。

 同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。


「ところで先輩、明日は何の日か知っていますか」

「何の日かだと。記念日も忌日も語呂合わせもイベントも大量にあるからな。一言では言えぬ」

「ああそうですか」


 聞くだけ無駄だったか。わかってはいたけどね。気を取り直してペダルを踏む。突然、頭に衝撃を感じた。


 ――ガツン!

「痛てっ!」


 思わずブレーキレバーを握った。急停止する自転車。先輩が叫ぶ。


「おい何をしているんだ。危ないじゃないか。道路交通法第24条で急ブレーキは禁止されているんだぞ。罰金を払え。警察にではなく俺にだ」

「それはやむを得ない場合を除いてでしょう。頭に何か当たったんですよ」

「ほう。あれか」


 振り向くと数メートル後方に何か転がっている。銀灰色でこぶし大の塊だ。


「隕石かな。ヘルメットを被っていてよかった」

「そうだろう。俺のおかげだな」


 これに関しては先輩に感謝するしかない。ヘルメット着用が努力義務化された時、

「SGマーク付きは高すぎて手が出ないなあ」

 と愚痴っていたら、

「だったら俺が1000円で作ってやろう」

 と申し出てヘルメットを製作してくれたのだ。

 アフリカ象に踏まれても大丈夫とか言っていたがあながち大ぼらではなかったようだ。頭にはコブひとつできていない。


「これ、本当に隕石かな」


 自転車を降りて頭を直撃した何かを手に取ってみた。石にしては滑らかで光沢がある。しかも一面に模様がある。こんなモノ見たことがない。


「まるで未知の物質みたいだ」

「ふっ、何が未知だ。おまえは無知だな」

「先輩にはこれが何かわかるんですか」

「ああわかるとも。無知なおまえには未知でも既知な俺には未知ではない。これはこの世界のモノではない。異世界のモノだ。ミスハルタイトという鉱石で高級武器の材料となる」


 またいい加減なことを言い出した。よくもこんな作り話が咄嗟にできるもんだ。


「じゃあこの模様は何ですか」

「これは模様ではない。文字だ。魔族領北東辺境地に生息するウンボア族の言語だな」

「何て書いてあるんです」

「南に5234メートル西に3014メートル巨大松の根元に行け、と書いてある」

「それだけ? 模様の数は100個以上あるのにたった数十文字の文章なんですか」

「翻訳しているからな。原文では南という意味を表すのに『昼と夜が等しくなる日の朝、昇り始めた日輪に向かって立った時、偉大なる魔王様への供物を捧げ持つ腕の方角』と書いているのだ。ウンボア族の表現は回りくどくてかなわん」

「それ、本当なんでしょうね」

「本当だ」


 とても信じられないがまったくのデタラメとも思えない。なにしろ先輩には魔王クロノス・パワードの魂が宿っているのだ。そのおかげでこれまで何度も常識外れな出来事に巻き込まれている。この未知なる石が異世界から飛んできてこんな命令をするのも何か意味があるのかもしれない。ここはひとまず従ってみるか。


「わかりました。それほど遠くないし行ってみましょう」

「だな」


 そして漕ぐこと数十分、僕らは松の大木の根元に立っていた。


「本当に松の木がありましたね。あっ、あそこに未知なる物質が転がっていますよ」

「だから未知ではなく既知なるミスハルタイトだと言っているだろう。おう、また模様があるな。どれどれ、ふむふむ」

「何て書いてあるんですか」

「東に3014メートル北に5234メートル埋められた箱を開けろ、と書いてある」

「箱ですか。これは期待が持てますね」

「だな」


 そして僕らは再び自転車を漕いだ。漕いでいる途中で気がついた。ちょっと待てよ、これって来た道を戻っているんじゃないか。そして最終的にたどり着いたのは未知の石が頭を直撃したあの場所だった。


「先輩、ここは元の場所じゃないですか」

「今頃何を寝ぼけたことを言っているのだ。そんなことは2番目の石の命令を聞いた時にわかっていただろう」


 それはそうだけど、ふつう、そこまでしっかり距離と方角を覚えてはいないでしょう。なんだか石にからかわれているみたいだ。それに石の目的が依然として未知のままなのが不気味すぎる。


「とにかくそこを掘ってみろ」

「はい」


 転がっていた棒切れを使って最初の石が落ちていた辺りの土をほじくり返してみた。ほどなく何かが出てきた。石と同じく銀灰色で手のひらにのるほどの直方体の箱、未知の箱だ。


「よし、開けろ」


 平然と言い放つ先輩。しかしどうにも嫌な予感しかしない。無意味な命令を読まされて無駄に自転車で走らされた事実を考えると、あの石には明らかに悪意がある。悪意のある石が用意した箱に善意があるとはとても思えない。もしかしてこの箱はミミックで、開けた者を食ってしまうのではないか。


「えっと、僕じゃなく先輩が開けてくれませんか」

「断る。石がぶち当たったのはおまえの頭だ。つまり石はおまえを選んだのだ。箱を開ける役目はおまえが担うべきであろう」

「こんな未知数だらけの箱を開けるのは嫌です」

「開けなければどうなるかもまた未知数だぞ。同じ未知数ならば開けたほうがいいだろう」

「でも……」

「つべこべ言わずに開けろ!」


 こうなると先輩は決して引き下がらない。ええい、どうにでもなれ。僕は箱の蓋を開けた。


「えっ?」


 中に入っていたのは紐で結わえられた巾着袋とメッセージカード。カードには日本語で「誕生日おめでとう」と書かれている。


「これ、まさか先輩が……」

「そうだ。明日はおまえの誕生日だろう。俺からのプレゼントだ」


 覚えていてくれたんだ。すっかり忘れていると思っていたのに。嬉しさが込み上げてきた。


「じゃあ僕の頭に石をぶつけたのは」

「俺だ」

「松の木の根元に石を置いたのは」

「俺だ」

「ここにこの箱を埋めたのは」

「俺だ」

「はあ~、なんてこった」


 ため息がでてしまった。未知でも何でもなかった。先輩の手のひらの上で転がされていただけだったのだ。


「どうしてこんな回りくどいことをするんですか。直接くれればいいのに」

「おまえは俺のプレゼントを全然喜ばんからな。少しでも有難く思えるようにちょっとイジワルしてみたのさ」


 先輩の贈り物を素直に喜べないのは微妙なモノばかりだからだ。確か去年は甘いお菓子が食べたいなあと言ったら上白糖を5キロくれたっけ。


「砂糖は賞味期限がないのだ。死ぬまで食えるぞ。まさに一生モノだな。わっはっは」


 と笑っていたけどこっちは全然笑えなかったなあ。


「その気遣いは嬉しいですけど騙されたみたいで複雑な気分です」

「騙す? おいおい人聞きの悪いことを言うんじゃない。俺はおまえを騙してなどいないぞ」

「ミスハルタイトとかウンボア族とか作り話ばかりしていたじゃないですか」

「どちらも本当のことだ。魔界から鉱石を取り寄せてウンボア族の言葉を俺が刻んだ。嘘はひとつもついていない」


 それについては反論できない。嘘だと証明するためには魔界に行って確かめなくてはならないのだから。そんなことは不可能だ。


「だけど、それ以外にも……」


 と言いかけてやめた。確かに先輩の言葉に嘘はなかった。ただ真実を伏せていただけだ。それを見破れなかった自分を反省すべきだろう。


「わかりました。有難く受け取っておきます。プレゼントはこの巾着袋の中にあるんですね」

「そうだ。今年は俺が一年かけて仕上げた逸品だぞ」


 紐を解いて袋を開ける。透明な小瓶が入っていた。瓶の中は黒褐色の固形状のモノで満たされている。これまた未知の物質だ。


「何ですかこれ。また魔界のモノですか」

「いいや。それは俺の爪の垢だ。煎じて飲むがよい。おまえの未知はたちまち既知へと変わるだろう。はっはっは」


 小瓶を叩きつけて粉々にしてやりたくなったがなんとか思いとどまった。プレゼントは中身より気持ちが大切……とわかってはいてもまったく喜べない。


「全然嬉しくないよおおー!」


 空に向かって雄叫びを上げる僕を先輩は満足そうに眺めていた。先輩の未知は計り知れない。













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