第二章 『選択される死』
安楽死──現在の日本では、制度として導入されていないということは知っている。
安楽死というと、私のイメージは、「回復の見込みがない患者が、本人の意思に基づいて、医師の医療行為によって死に至ること」というイメージだ。
調べてみると、どうやら安楽死には2種類あるらしい。
1つは、医師が患者に致死薬を投与する「積極的安楽死」。
もう1つは、治療を行わないことによって死に至る「消極的安楽死」だ。
父が言っていた安楽死は、積極的安楽死にあたる。
しかし、どれだけ安楽死を望んでも、前述した通り、現在の日本では安楽死は制度として導入されていない。
日本で安楽死を導入した場合、ある懸念点が考えられる。
それは、日本人のある特徴が関係している。
日本人の特徴と言えば?
「空気を読む」のである。
例えば、難病を患い、治療には莫大な金がかかるとする。
家族に迷惑をかけてまで、生きたくない。だから、安楽死を選ぶ。
これは、はたして「選んだ死」と呼べるのだろうか。
私にはこれが、「選ばされた死」に思えるのだ。
死ぬ権利、死ぬ自由なんて言うけれど、ちっとも自由じゃない、そう思うのだ。
消極的安楽死──実は日本の医療現場で、それに近いことが名前を変えて行われている。
それが「尊厳死」だ。
延命治療を行わないという選択。
ここでの死因は病気であり、少なくとも「死を選んだ」という言葉は使われない。
この尊厳死という言葉に、私は違和感を覚える。
やっていることは消極的安楽死と変わりなく思えるのに、死に「尊厳」なんて言葉を付けて、わざわざ言い換えている。
本当に、尊厳ある死など、存在するだろうか。
尊厳という言葉で、死を納得させているようにさえ感じてしまう。
選択される死について、もう少し考えてみる。
保健体育の授業で習った、「妊娠中絶」の話。
中絶を行う理由はさまざまである。
妊娠をそのまま続けると母親の生命や健康に危険が及ぶといった、医学的な理由。
他にも、経済的な理由、望まない妊娠などが挙げられる。
中絶の場合、やむを得ない場合は医師の判断で行うこともあるが、だいたいは身体的負担がかかる母親の意思が尊重されるだろう。
この時、胎児は母体の一部として扱われる。
胎児に意思決定能力は無い。
医師や母親が、胎児の死を選択する。
あるいは制度や社会が、この選択を迫ったのだろうか。
もう1つだけ、例を挙げよう。
自ら死を選ぶという手段。「自殺」について。
自殺というと、社会問題にもなっている。
安楽死や妊娠中絶と違うところは、「制度の外で行われる死」というところ。
死を選択するのは、紛れもない自分。
ただ、自殺にも理由はあるわけで、精神的、社会的理由……本来なら安楽死を望んでいたかもしれない人が、安楽死制度がないために、自ら命を絶つということもある。
こうして見ると、選ばされた死と捉えることも、できるのではないかと思う。
さて、3つ例を挙げて選択される死について話してきたが、私は決して安楽死や妊娠中絶、自殺を肯定したり、否定したりしたいわけではない。
ただ、私の考えている死を、あなたにも考えてほしいのだ。
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