第2話 「イマシュゴト(雷光幻影)!!」
放課後の光が、アカデミーの古い石畳の上に長い影を落としている。
一人、憂鬱な足取りで寮へと向かう道。周囲の学生たちの笑い声が、遠く、寂しく聞こえた。
「おっ!『いきなり落第生』だ!」
背後から野太い声がかけられ、同時に背中をドンッと強く押された。
転びそうなところをなんとか耐えて振り返ると、そこには、早くもクラスのカースト上位の立場を築き上げたブロンドのイケメン、メイルザーと、その取り巻きたちが立っていた。
「やめなよー。可哀そうだよー」
ブロンド巻き毛の派手な女子生徒ザークレシアが、虫を見るような目で笑う。
「でも、ダサいよね」
短髪のルズガーナが、冷たい視線を送ってくる。栗色の髪のチャラ男、ロシュテルが「毒舌ぅ!」と手を叩く。
まさに開幕三日で地獄絵図。『いきなり落第生』という不名誉な渾名は、もう僕の背中に張り付いて離れない。退学してもいいんじゃないだろうか、と心が折れそうになる。
だけど……負けてたまるか。
両親が必死に働いて貯めてくれたお金で入った名門だ。卒業できれば、人生のアドバンテージは計り知れない。
幸い、入学時の適性検査で、僕には微かな「雷駆魔法」の才能があることが判明した。これを伸ばせば、宮廷魔術師か、売れっ子冒険者か。両手に花でモテモテ間違いなしだ!
(だから、この程度の困難が何だ!)
僕は自分を奮い立たせ、愛想笑いを浮かべて彼らの元を離れた。
メイルザーたちが寮の前でたむろしている間に、僕は急いで自分の部屋に駆け込んだ。
「はぁ……。キャラづくり、完全に失敗したなぁ」
僕は深いため息をつき、部屋のドアを閉めた。振り返った瞬間、僕の視線は釘付けになった。
「なっ……」
そこには、なぜか全裸のヴェナが立っていた。
夕焼けの淡い光が差し込む部屋の中央。彼女は湯あみ布を手に持ち、呆然とこちらを見ていた。
湯気を帯びた濡れた黒髪。水滴のついた柔らかそうな肌。しずくが伝う鎖骨、緩やかな曲線を描く腰つき。
息を飲むほど美しかった。まるで神話の女神だ。
僕の部屋でシャワーを借りたのか?!いや、そもそもなんで?!
僕はパニックになりつつも、画家の悲しき性(さが)か、その肢体をしっかりと網膜に焼き付けてしまった。ヴェナは信じられないという顔で僕を見ると、顔を真っ赤にして近くのシーツを体に巻き付けた。
「ぼ、暴漢!?」
「いやっ、ここ……僕の部屋!」
僕は慌てて部屋を見渡す。
……あれ?レイアウトが違う。ここは――206号室!?
「ここはボクの部屋!!」
ドゴッ!
ヴェナが投げつけた枕が顔面にめり込み、僕は廊下へと弾き出された。
……やってしまった。
不法侵入に、覗き。ヴェナが訴えたら、強姦未遂魔の烙印を押されて即退学だ。人生のアドどころか、断崖絶壁からのフリーフォールだ。
それにしても……彼女、着痩せするタイプだったんだな。意外と良いものを持っていた。
(人の事を言えないが、彼女も誰かとつるんでいるところをみたことがない。変わり者だからなのだろうけど……可愛いし。仲良くなりたいな)
僕は自室(今度は正真正銘205号室)に戻り、一人机に向かいながら頭を振った。
不純な妄想が頭を埋め尽くす。
あの濡れた黒髪、恥じらう表情、そして柔らかそうな肌……。
「ダメだ!多感な少年たちを、親元離れて一人暮らしさせるこの学校のシステムが悪い!他に勉強が遅れてる奴はいないんだ!集中、集中!」
僕は
だが、「魔力操作のコツ:雌牛の乳を搾るように」という一文を読んだ瞬間、僕の想像力はあらぬ方向へと暴走した。
雌牛の乳……搾り出す……柔らかそうな肌……。
(ダメだ。勉強なんて手につかない!こうなったら、このパッションを昇華するしかない!)
僕は、旅の荷物から愛用の木製画材を取り出し、キャンバスをセットした。
微かに油絵具の匂いが部屋に広がる。
勿論描こうとしているものは、先ほどの光景――裸婦画だ。
僕の視界は狭まり、一気に自分の世界に没頭した。
■ ■ ■
翌朝。
教室にて。徹夜明けの頭は腐ったヨーグルトのようにドロドロだった。
昨日、あの衝撃的な光景を目撃した僕は、そのパッションを抑えきれず、朝方までキャンバスに向かってしまった。お陰で傑作が完成したが、猛烈に眠い。
隣の席のヴェナは、昨日のことなど無かったかのように突っ伏して寝ている。
……本物だ。昨日の絵のモデルが、すぐ隣にいる。
僕は自分が描いたあの絵と、実物のヴェナを見比べてしまいそうで、猛烈に気恥ずかしくなり、慌てて視線を逸らした。
僕も限界だ。隣が寝てるなら、僕も便乗して……。
「アストン!!アストン・カッシアン!」
「は、はいっ!」
またこのパターンだ!体が反射的に跳ね起きる。
教卓には、ヴァーノン先生が鬼のような形相で立っていた。
メイルザー達が、待ってましたとばかりにわざとらしく大げさに笑う。その笑い声が、耳障りな雑音のように響く。
「貴様、私の授業で居眠りとはいい度胸だな。……よろしい、ならば挽回のチャンスをやろう。お前にはサービス問題だ」
先生は杖を振り上げ、黒板に描かれた雷の魔法陣を叩いた。
「雷駆魔法の基礎において、魔力による放電現象を利用し、大気を励起(れいき)させることで、己の脳裏にあるイメージを空間に投影させる術式。この名称を答えよ」
いや、この時点で全然サービス問題じゃないから!
雷駆魔法……そうだ、入学時の検査で僕に唯一「微弱な適性」があると言われた属性だ。だが、だからといって勉強しているわけじゃない!
わからん!わからんけど……それはすごい魔法だ。頭の中にある絵を具現化できたら、想像の世界が無限に広がるかもしれない。
絵描きの端くれとして、僕はそんなことを一瞬で妄想した。
そんな僕とは裏腹に、クラスの中から「無理だよあいつに」「何も知らない馬鹿だからな」と嘲笑う声が聞こえてくる。
その時……。
「……雷光幻影(イマゴシュト)」
隣から、鉛筆で紙をこするような、小さな声が聞こえた。
突っ伏して寝ているはずの、ヴェナの声だ。
「い、イマゴシュト……です!」
僕は一か八か、オウム返しに叫んだ。
「……ほう、正解だ」
ヴァーノン先生は意表を突かれたような反応を示し、引き下がった。僕が答えられないことを願っていたクラスの連中は、つまらないものを見るかのように、僕を一瞥し、すぐに授業に戻る。
「ああいうノリ嫌い」
気づくと、突っ伏していたヴェナは、そのままの格好で、ぼそりと呟いた。
「……あ、ありがとう」
思いも寄らない彼女の心遣いに、僕の胸は高鳴った。
ヤバい。
生まれてこのかた、母親以外の女性から優しくされたことがない僕に……そんな事したら。しかも、あんなに美しい裸を見た翌日に、こんな優しさを見せられたら。
(惚れてしまうだろう!!!)
その後、授業の内容など1ミリも頭に入ってこなかった。彼女の黒い髪の匂いと、さっきの優しい声だけが、僕の意識を占めていた。
「ではアストン!そのイマゴシュトを使って、このリンゴを投影してみせろ」
意地悪な先生の声で現実に引き戻される。教卓には赤いリンゴ。
教室中からの嘲笑。
やるしかない。僕は震える足で教卓の前に立った。教科書には「雌牛の乳を搾るように、魔力を優しく絞り出す」と書いてあったはずだ。
頭の中のイメージを、魔力に乗せて押し出すんだ。雷の適性があるなら、きっと出来るはず……!
(リンゴ、リンゴ、リンゴ……)
僕は目を閉じ、魔力を集中させる。
だが、徹夜明けの朦朧とした頭には、リンゴの赤色よりも、もっと強烈で、もっと鮮明で、昨晩何時間も見つめ続けた「あの色彩」がこびりついて離れなかった。
湯気を帯びた肌色。濡れた黒髪。恥じらうような潤んだ瞳。
僕の画家の魂が、勝手に筆を走らせるように、魔力を形作っていく。
皮肉にも、僕の持つ雷の適性が、そのイメージを忠実に再現しようと唸りを上げた。
「――出ろぉぉぉッ!」
僕は渾身の力で魔力を放出した。
バチバチッ!と静電気が弾ける音がして、教卓の上にホログラムのような光の映像が浮かび上がる。
それは、リンゴではなかった。
淡い光の中に浮かび上がったのは、シーツを胸元で抱え、恥じらいながらこちらを見つめる、一糸まとわぬ美少女の姿。
その顔立ちは、どう見ても――
「…………は?」
教室の時間が止まった。
男子生徒たちは目を見開き、女子生徒たちは悲鳴を上げかけ、手で口を覆う。
その映像は、雷魔法の光粒子によってあまりにも高精細に描かれ、美術的に完成されており、そして何よりモデルが誰か一目瞭然だった。
「……アストン?」
地獄の底から響くような声。
恐る恐る振り返ると、いつの間にか目を覚ましたヴェナが、能面のような無表情でこちらを見ていた。
その周囲には、目に見えるほどの殺気(どす黒いオーラ)が渦巻いている。
「ち、違う!これは、その、芸術的な観点からの……!」
「死ね」
ドォォォォン!!
ヴェナの指先から放たれた風の塊(ソニックブーム)が、僕の投影した傑作もろとも、僕自身を教室の壁まで吹き飛ばした。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!!」
僕の悲鳴が木霊する。
こうして僕は、「いきなり落第生」の称号に加え、「変態芸術家(エロ・マエストロ)」という、さらに不名誉な二つ名を手に入れることになったのだった。
※本作は、長編『溟海のイル』の側面を描いたスピンオフ短編(全3話)です。 本編では、この少女「イル」と、彼女に憑依する幽霊「ルト」の視点で物語が進みます。 気になった方は、ぜひ本編もご覧ください! (https://kakuyomu.jp/works/822139841430093938)
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