第12話
利玖は、三号室には戻らずに、透について行って一号室に入った。
時計は一時半を指している。
眠さなどまったく感じなかった。
一号室も、三号室とほぼ同じ広さ、同じ内装だった。シャンデリアのデザインの違いが一番良く目立つ。三号室では、花がモチーフだったが、この部屋では、放射状に燭台を並べたような、クラシカルでオーソドックスなデザインだった。
透は、部屋の隅に寄せられていた荷物の中から、薄いが、頑丈そうな銀のアタッシュケースを持ってきて、それをベッドに乗せた。部屋にあるどんなテーブルよりも、そのアタッシュケースの方が大きいためだ。その後、サイドテーブルの位置をずらして、アタッシュケースの脇に寄せた。
利玖は反対側の壁際に立ち、じっとそれを見ていた。
無言でいる事で、彼女にプレッシャをかけているつもりだったが、透はそれを気にするどころか、リラックスしているような様子で、アタッシュケースから取り出したものをサイドテーブルに並べ始める。ざっと見た感じ、銃器のようだった。
それがわかると、利玖は目を逸らし、窓際に移動してソファに座った。透には、背を向ける格好になる。彼女が何を持ってきたのか、詳しく知らない方が良いだろう、と思ったからだ。
金属や、硬いプラスチック、高強度のファイバなどがふれ合うような音がしばらく続いた後、
「話しかけてもらっても大丈夫ですよ」
と透の声がした。
「さきほどのお話、どこまでが事実ですか?」利玖は窓を見ながら問う。室内の風景が反射し、透の上半身も、その中に映り込んでいる。
「はったりをかけた訳じゃありません。グレンは〈猫の王国〉の近衛士長、つまり、女王を警護するチームのリーダです。おいそれと嘘がつけるような相手ではないですよ」
「銀箭の事を、ご存知なのですね」
「ええ、まあ、腐れ縁というやつです」
「教えてください」
透は手を止めて、顔を上げ、窓硝子越しに利玖を見て苦笑した。
「どの程度?」
「すべて」利玖は即答する。
「それは、少々骨が折れますね」
「お金が必要なら用意します」利玖は立ち上がり、透の方へ向き直った。「お願いします。わたしは、少しでも多く、銀箭の事を知らなければならない」
透は、小さく息をつき、利玖に横顔を見せる形でベッドに腰かけた。
サイドテーブルの上には、もう何も乗っていない。その代わりに、彼女が着ているジャケットの内側に、銃を収めるホルダのようなパーツがあるのが見えた。
「長い話になりますから……」
透に、手で促され、利玖は再びソファに腰を下ろした。
「わたしが初めてここに来たのは、十五の時で、当時、わたしの保護者代わりだった人物が、ここへわたしを残したまま方々へ出かけていくものですから、やる事がなくて、そのうち、ホテルの仕事を手伝わせてもらうようになりました。七生と親しくなったのも、それがきっかけです。予約がなくて、手伝う仕事もない時は、よく、あのラウンジで本を読みました。寒い季節だったんだと思います。マグカップにたっぷりと入れてもらったミルクティーが美味しかった」
透は脚を組み、床を透かして階下を見るように、かすかに首を傾けた。
「あそこに並んでいる本は、ほとんどが原書ですが、子ども向けに日本語の解説が付いた本もあるんですよ。何と言っても、向こうは、おとぎ話と妖精の国ですからね。彼らにまつわる言い伝えをまとめて、図鑑みたいに仕上げた本もあった。妖精の名前、イラスト、プロフィール、それにちょっとした読み物なんかも載っているんです。わたしは、その中でも特に、チェンジリングについて書かれた章を、擦り切れるくらいに読み返しました」
透は体の後ろに両手をつき、体を反らして天井を仰いだ。
「母親が、子どもに対して、わざと冷たい態度を取ったり、体を傷つけたりする。時には、一歩間違えば、本当に死んでしまうような危険な目に遭わせる事もある。だけど、それは、自分の子どもではないと信じているから出来る事なんです。これは『
透は、目をつむり、崩れてゆきそうに脆い印象の微笑みを浮かべた。
「ある日、急に姿を消し、何日も経ってから、いなくなった時と同じ姿のままで戻ってくる。その間、どこで、誰と、何をしていたのか、上手く説明出来ない。そんな子どもが、母親からも気味悪がられるのは、海の向こうでも、昔から起きていた事なのだと知って……」
透は、そこで体を起こし、両腕を膝に乗せて利玖を見た。
「お兄さんがわたしを懇意にしてくださるのは、きっと、この事も無関係ではないのでしょう。一度、銀箭によって神隠しに遭い、生きて戻ってきた実例が目の前にいるのですから」
「そんな」利玖は叫ぶように言って、ソファから立ち上がる。しかし、足がふらつき、すぐに再び座り込んだ。「本当に、そんな事が……」
言いかけて、口をつぐむ。
部屋は十分に温まっているのに、カチカチと歯が鳴り、しばらく体の震えを止められなかった。目を閉じ、何度も深呼吸をして、ようやく喋り方を思い出す事が出来た。
「一つだけ……」利玖は人さし指を立てる。「銀箭だと断言出来る根拠は?」
「おお……、切り込んできますね」透は髪をかき上げて笑った。「どうして攫われのたか、とか、訊かないんですね」
「天災のようなものです」
「ああ、それは、確かに」透は頷く。「しかし、わたしの場合は、自業自得ですよ。まあ、家の根幹を成す秘事に関わる事なのです。今は時間が足りないので、お話し出来ませんが……。そういった事情を踏まえて考えれば、ほぼ間違いなく、銀箭だといえるのです」
「帰ったら、聞かせてくれますか?」
「ええ。機会を作って、さほど時間の経たないうちに」
利玖は頷き、立ち上がった。
それを見て、透もベッドを離れ、入り口の方へ近づく。先にドアを開け、利玖の方を振り返った。
「わたしはもう少し仕込みがあります。ここのシャンデリアも、朝までずっと点けておくつもりです。お部屋は、少し離れていますが、ホテル全体に意識を向けておきますから、安心してお休みになってください」
「ありがとうございます。そうさせて頂きます」利玖は一礼してから、透を見つめ、かすかに眉をひそめる。「でも、白津さんも、ちゃんと休憩してくださいね」
透はウィンクをした。
「ご心配なく。こういう時、神経をある程度、ハイな状態で維持する手段を、我々はいくつも持っているんですよ」
「あの、その言い方……」利玖は、そこでようやく、自然に笑う事が出来た。「なんだか、とっても怪しいと思います」
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