灰の村と最後の希望

らーむ

プロローグ

 この日、僕は気づいた。日常なんてものは、儚くてすぐに壊れてしまうということを。

 

 僕はナーリア村で過ごすごく平凡な平民、エルディン・クローディア。

 いつも通り実家のパン屋を手伝い、母が残したパンの耳をかじりながら広場へ向かう。

 子どもたちと遊んで、夕方は散歩。

 そんな日々も、悪くないと思っていた。


「うわっ」


 いつも通りの散歩中。

 稲妻のような白い線が空気を割いた。

 何度見ても見慣れない光景だ。

 ヒビが現れる理由は誰も知らない。

 異世界との境目が壊れる前触れだとか、魔力の乱れだとか、色々な説があるけれどどれも確かじゃない。僕はまぁ、神様の意地悪じゃないかと思ってる。


 ただ1つ言えるのは――あれが出たあとには、必ずモンスターが現れる。

 このヒビの大きさは見慣れてる。多分ゴブリンだ。まずはあれを王国兵に言わないとな。王国兵は、王国から派遣される門番のようなもの…らしい。

 

「エルディン、おはよう」

 

 彼女はファミニア・メニーナ。朝日のようにきれいなオレンジ色の目。深夜のように深い黒髪。人の話を聞くとき少しだけ眉間にしわを寄せる。それもが愛おしかった。退屈な人生に彩りを加えてくれる唯一の人。あの日までは、彼女が“生きている”ということ自体が、僕の世界の証明だった。春の花畑のような匂いがした。

 

「メニーナ、おはよう。これパンね。」


 メニーナはパンを受け取るとき指が当たらないように少し手を引っ込める。いつもそれが可笑しくて笑ってしまう。

 

 メニーナは心配そうな顔をしながら言った。

 

「今日も散歩してるの?王国の人たちが危ないから辞めたほうがいいって言ってたじゃん。」


「まぁ昨日もどうもしてないし、僕強いから大丈夫。」


「じゃあこれ持ってって。」


 メニーナが飴を渡してきた。


「はい、これ。家でたまに婆ちゃんが作ってくれる癒し糖って言う飴。疲れた時に食べると元気になるよ。」

 

「ありがと。じゃあまた散歩行くわ。」

 

「また明日会おうね。」


 彼女は少しだけ照れたように笑った。

 その笑顔が、どうしても頭から離れなかった。

 僕はその明日が来ることを、当たり前だと思っていた。

 

 

「ん?」

 

 おかしい。昨日まで青々と葉を茂らせていた木が1本だけ枯れ果てていた。その周りでは風もないのに砂や葉っぱが宙を舞っている。

 

「なんだ…?」

 

 ピキッ

 

 木に近づいた瞬間、空間にクモの巣状のヒビが入った。空気が裂ける音。地が揺らぎ、爆発的な魔力を感じた。

 

「なんだ?いつものゴブリンが出てくる時とは違う…」

 

 距離をとって様子を見よう。そう思った時には背中に木が迫って来ていた。

 

「まずい!」


 

 世界が霞む。音が遠ざかる。

 背中を打った瞬間、息が抜けた。

 世界が揺らぎ、意識が遠のく。

 恐怖よりも先に、ただ「寒い」と感じた。

 ……死ぬのは、こんなに静かなのか。

 

 鼓動だけが、自分がまだ生きている証のようだった。

 そんな視界の隅に奴が映った。大木を束ねたような影。こんな生物がいていいのか。奴の魔力の圧だけでも臓器が潰れそうになる。呼吸をしようとするたび、世界が軋む。視界が霞む。

 

「メニーナ…」

 

 ここで意識が途切れた。

 どれくらい経っただろうか。

 全身が悲鳴を上げている。また意識が飛びそうだ。そうだ、みんなは無事だろうか。

 

「あいつは…?」

 

 辺りを見渡すと――燃えて崩れる家。暴れる巨大な影。聞こえたのは――耳をつんざく悲鳴と謎の化け物モンスターの唸り声。

 世界が壊れていく音がした。

 

「みんながッ」

 

 みんなを守らなければ。僕が守らなければ。立ち上がろうとした瞬間に意識が遠のいた。

 

 「そうだ、村だ。村は…どうなっている。」

 

 僕が目を覚ました時には手遅れだった。無音の村はなんだか変だった。

 いつもどおりの楽しそうなみんなの声は聞こえない。

 あんなに賑やかだったのに。

 

「ゲボッ」


 喉の奥から熱いものが込み上げてきた。口から血が垂れる。胸の奥が焼かれるように痛い。臓器が悲鳴を上げているのがわかった。呼吸をするたびに肺が軋む。体が重い。視界が霞む。寒い。

 ……死にたくない。

 告白……できなかった…


 ふと、ポケットに手を入れると、指先に何かが触れた。

 

 メニーナにもらった――癒し糖。

 

『疲れた時に食べるといいよ』

 あの時の彼女の声が、遠くで響く。


 震える指で包み紙を破り、飴を口に入れる。

 

 ほんのり甘くて、温かい。

 舌の奥に、メニーナの声が蘇った気がした。

「疲れた時に食べるといいよ」

 ……もうその声は、届かないのに。


 それだけのことなのに涙があふれた。

 ――僕はまだ生きていていいのか。そう思った。


 不思議と、胸の奥がざわついた。

 空気が重い。風が止んでいる。

 嫌な予感がした。

 僕はふらつく足で、村の広場に向かった。

 手のひらの血が滲む。全身が痛い、癒し飴のおかげで少しは和らいでいるだろうが、それでも痛い。足が真っすぐ動かない。ようやくだ。ようやく村の広場に着いた。


 そこには顔に布をかけられた村人達が並べられていた。母、父、メニーナ、村の人達…。懐かしい、ここの広場でよくメニーナと隠れんぼをしてたなぁ。そんな場所がこんな悲惨な場所になるとは…

 

「嘘だろ?……夢…だろ?」

 

 どうやらこれは現実らしい。

 

「もしかして…エルディン・クローディアさんですか?これ…ファミニア・メニーナさんがこれを…」


「え?」

 

 渡されたのは一つの指輪といくつかの癒し糖だ。

 

「メニーナ…」


 指輪と癒し糖をポケットに入れた。飴は手の中で温かく、指輪は冷たかった。その小さな温度差が胸に刺さり、壊れた世界の中でまだ守られた一瞬があると、思わせた。


「生存者は……居ないんですか…?」

 

「ここの村は全滅です…生存者はあなたのみ…」


 王国兵の声が遠く聞こえた。僕は何も守れなかった。

 

「……え?そんなわけないだろ!

 こんなときに冗談はよせよッ!

 頼むから…頼むから皆を…守ってくれよ…

 王国兵だろ…

 お前らがしっかり戦っていればッ!

 お前らがいる意味なんかねぇじゃねぇかよッ!」

 

「………俺らが着いた時にはもうこうなってたんだよッ!」

 

 足が震えた。視界には地面しか映らなかった。体温と心拍数が上がるのを感じた。家に帰りたい。焼け落ちた村を見渡しながら実家の跡地へ向かう。

 ――どれほど歩いただろうか。いつもなら五分に感じる距離が一時間にも感じられた。

 

「…ん?何かある…」

 

 瓦礫のあいだから微かに銀色の光が見えた。瓦礫をかき分けるとネックレスを見つけた。泥まみれの手が震えるのを感じた。これは、母の物だ。今となっては形見。ネックレスを首にかけ、指輪を指に通した。

 そよ風が吹いた。音も、家も、今までの賑わいもない場所に一人で立ち尽くした。


「絶対にもう奪わせない…どんな手を使ってでも。」


 焼け跡の中で風が止んだ。

 世界の音が消える中、僕だけが、生き残っていた。

 

 ――この日、僕の日常は謎の化け物モンスターによって奪われた。

 誰かの幸せを奪われるのを、もう二度と見たくない。僕は奴らを滅ぼす。

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