竜ヶ崎哉の取材簿
差し水醤油
反対少女
第一話
「反対少女」
世界には、
「正しくないもの」が溢れている。
だが不思議なことに、
それらは必ずしも間違ってはいない。
普通と呼ばれない身体。
理解されない感情。
説明できない選択。
それらはただ、
物語になっていないだけだ。
――僕は、そう思っている。
誰かを救う力は持っていない。
現実を変える魔法もない。
僕にできるのは、
見て、聞いて、考えて、
それを物語に変換することだけだ。
フィクションは嘘だと言う人がいる。
だが、
事実だけが真実だと、
誰が決めた?
事実は無言だ。
語らなければ、何も伝えない。
物語は語る。
歪んでいても、
誇張されていても、
誰かの心に届く。
だから僕は、
現実をそのまま世に出さない。
取材した事実は、
一度、僕の中で壊し、
組み替え、
名前を変え、
フィクションとして差し出す。
そこに「リアリティ」を見出す。
それが、
僕なりの誠実だ。
これは、
僕が出会った「奇妙な現実」の記録であり、
同時に、
それらを物語にしてしまった罪の記録でもある。
僕の名前は
漫画家であり、小説家。
簡単に言えば作家だ。
某日、某所。
「フィクション」はいつもそこからだ。
新作のアイデアのため哉が取材に向かったのは、
ある少女だった。
名前は
年齢は十歳。
同年代と比べると少し小柄。
現在不登校。
そして――言葉が、逆さまになる。
「先生……本日は、取材お願いします……」
「いえいえ。こちらこそ」
そう返した瞬間だった。
「――はちにんこ」
「……?」
「……! すまいいてっおま、したわ」
なるほど
哉は驚かなかった。
メモを取る手も止めない。
言語処理が反転しているだけか。
意味は通じているし、知能にも問題はない。
部屋を来る前にあった掲示板にはポスターやチラシがあった。
そのほとんどが「配慮」で始まっていた。
それは実に好都合だ。
配慮、ね
喉から出かかった独り言を思い出しながら会話を続ける。
「緊張してる?」
「……んせまてしうょちんき、き」
「そうか。無理しなくていい」
彼女は少し安心したように、小さく頷いた。
取材は静かに進んだ。
学校の話。
友達の話。
好きな食べ物の話。
どれも普通だ。
――言葉以外は。
「真央は……きっと、また、いじめられます!」
同席していた母親が、突然そう言った。
声が震えている。
「このままじゃ……普通に、生きられない……」
真央は俯いたまま、何も言わない。
哉は、少しだけ考えてから口を開いた。
「――それが、現実というものだ」
母親が息を呑む。
「ど、どうにか……どうにか出来ませんか……?」
「君ね……」
哉は優しく、だがはっきりと言った。
「僕を、何だと思っているんだ」
母親は言葉を失った。
「僕は魔法使いじゃない。
ジャーナリストでもなければ、
シンガーソングライターでもない」
哉は真央を見る。
「僕はただ、
文字と絵を、物語に乗せて伝える――
それしか出来ない“作家”だ」
静かな沈黙。
「伝えるための地位も、名誉も、実力も、環境もある。
だが――伝え方を、フィクション以外に知らない」
それは言い訳のようで、
宣言でもあった。
「それが、僕という人間であり、
僕が選んだ生き方なんだ」
そして、哉は問いかける。
「……その上で、問おう」
母親と、真央に。
「これを、
“僕のアイデア”として消化していいかね?」
真央が、ゆっくり顔を上げた。
瞳が、哉を見る。
「……いい、すで」
「ありがとう」
哉は微笑んだ。
「僕は“フィクション”という形で、世の中に伝える」
数ヶ月後。
書店に並んだ新作短編は、
**『反対言葉の少女』**というタイトルだった。
少女は呪いを受けて生まれ、
言葉が反転する。
周囲は彼女を恐れ、
排除しようとする。
だが物語の最後、
彼女の言葉は――
“ウソのつけない力”として描かれた。
ある読者は泣き、
または考え、
時に議論した。
「これは差別の告発だ」
「いや、これは個性の肯定だ」
「フィクションに逃げているだけだ」
インタビューではどれにも答えなかった。
備考
真央ちゃんは今では学校に通っているようだ。
それでも、僕のやり方は正しかったのか。
それは僕にはわからない。
なぜならそれ以上関わることは、
僕の仕事ではない。
それでも、傲慢な願いだが真央ちゃんが幸せに生きることを願う。
僕はこれ以上深く考えることはなかった。
だってこれは、
「フィクション」だからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます