第2話 ②


「ルミナ、起きてください」


 ふいに、優しい声が聞こえた。


「うぅ……」


「バイタルチェック、異常なし。おはようございます。気分はどうでしょうか?」


「ふわぁ……おはよう。眠れた」


 ルミナは耳をくすぐるような声に目を覚まし、ぼんやりと真っ黒なモニターを見つめる。


「…………んう?」


 そして何やら首を左右にかしげて、自身の髪を揺らしていた。


 画面に映るのは、明るいオレンジを帯びた黄色い髪。

 その前髪の片側には白と灰が違和感なく混ざっていた。

 頭のてっぺんからは愛嬌のある、ぴょこんと跳ねた髪の毛。


 そんな特徴的な小さな子供が、ぱっちりとした藍色の瞳でじっとこちらの容姿を見つめていた。


 言うなれば、自分の姿を物珍しそうに見ているのだ。

 

 その子供が真っ黒の画面に指を刺しながら、

  

「……これは、僕?」


 ぽかんとした顔でハテナマークを浮かべていき、これにはイロナも、

 

「そうですよ? もしかして素顔を知らないので?」


「ん、始めて。びっくり」 


「これはこれは……」 

 

 珍獣を見つけたかのような気持ちになってしまう。

 よほどの箱入り娘なのか、まるで外界から隔離されて育てられた子供のようだった。

 現に、その珍獣は自分の跳ねた髪の毛を摘まんで、不思議そうに弄っているではないか。


(ようやくの思いで接触した人物が自分自身を知らないなんて。よほどおかしな話ですね)

 

 ルミナの奇矯な行動をよそにして、イロナはこれからの行動について思案する。


 様子を見るに、彼女経由で外を知るのは皆無に等しいだろう。

 たとえ質問したとしても、イロナが望む情報は得られないと見ていい。

 

(……それに、治療する際に見かけた注射痕の数々。どうやら、かなり曰く付きのご様子でしょう)


 エクツァーに搭載するメディカルカプセルでは、ルミナは多数の有害物質を検出していた。

 それから絶え間なく薬剤を流し込むことで体内の毒素を中和させたのだ。

 想像するまでもなく、過去に彼女は相当酷い治験実験を受けていたのだろうと理解できた。


 となれば。


(人と会う際にも注意が必要ですね。もしかしたら、ルミナを狙う輩と会敵する可能性が出るはず……。あぁ、先が長いものです……)


 本来ならば、ルミナの情報を基に外部勢力との接触。

 あわよくばエクツァーを回収するまでの計画プランを立てていた。

 

 だがそれは、現時点では考えるだけ無駄であった。


 ならば、次なる手は。


「――……ルミナ、外に出ませんか?」


「んぅ? 外?」


 行き当たりばったり。

 自然に身を任せて、なるようにするしかない。

 その考えはイロナの前任者、旧パートナーとの経験によって学んだものであった。


「私もルミナと同様に、外界の情報が不明。このままいても進展が皆無なのです」


「確かに」


「それで、まずは文明圏を探しません?」


「いいけど……歩ける? イロナ、埋まってた」


 ルミナは昨夜に見たエクツァーを思い出して眉をひそめた。

 

 エクツァーは無数のケーブルが複雑に絡みつき、瓦礫の山で埋もれている。

 その二十メートルもの及ぶ巨体は完全に押さえ込まれ、自力で動かすことなど到底できそうになかった。

 

「最悪、機体は廃棄するつもりですよ。それで、昨日見せた縮退炉結晶しゅくたいろけっしょうと私本体を持たせてもらいます」


「イロナ、ちっちゃい?」


「私はあなたの小さな手の平ぐらいの大きさです。持ちやすい形なので、首にぶら下げてください」


 操縦桿の下からイロナの本体が現れた。

 少し大きめなペンダントの装飾具だ。壊れないよう頑丈に作られていた。


 ルミナはそれを首にかけ、小さく唇を尖らせながら、


「むぅ……。この船? で、人がいれば」


 などと、ため息をつく。


 ルミナの言うことは確かにそうである。

 人と出会えさえすれば一気に問題が解決するだろう。


 しかしここは人里離れた魔境だ。

 よほどのことがない限り、来ないものだと思っていい。


 かと言って、その魔境の中を無暗に歩くのは余りにも無謀だった。

 機械のイロナには補給など不要だが、ルミナは人間だ。

 水や食料といった必需品は欠かせない。

 意外と活動可能な時間は限られていた。


「少なくとも、あなた以外に来た人は居ませんでしたよ?」


「僕と会った。二度目はある、はず」


「そうそう都合の良い展開なんてありませんよ。そもそも私はルミナと出会うこと自体、奇跡の産物だと――――」


 パタパタパタ。


 直後、天井から謎の音が響き渡る。

 ぱらぱらと埃が舞い落ち、やがてその音は大きくなっていく。


 しばらくすると――


「ぬわあああああぁぁぁぁぁっっっっっ――――!?!?」


 瓦礫と共に人が落ちてきた。


「あったね」


「……会いましたね」

 

 ルミナの希望通り、都合のいいことが舞い込んできたのだ。


「ここ、人気?」


「まさか。墜落してからの来客数は全くのゼロ。寂れてます」


「じゃあ、見落としてた?」


「この船全域にアンテナを貼ってますので、もし来ていたら歓迎してましたよ? 巡り合わせが良くなったと思いましょう」


「うむ」


 二転三転と変化する状況を見て、イロナは深く考えるのを諦めた。

 なるようにするには分析など必要ない。


「っと、接触する前に自衛用として単分子ナイフを渡します」


「ん、ありがと」


 イロナはエクツァーに有している重力操作を操って単分子ナイフを渡す。

 

「行く」


「ハッチを開けます。足元に気を付けて」


「イロナの作った靴、あるから平気。ありがと」


「時間が出来たら上着も作っておきましょう。穴だらけの服のままでは風邪を引きます」


 ルミナはハッチが開くのと同時にエクツァーから降りた。

 そしてすぐに物影へと身を隠し、落ちた人物を観察する。


「いたた……。串刺しにならなくてよかった……!」

 

 天井から落ちたのは、ポニーテールで纏めた長い黒髪の女性だった。

 背丈はルミナより高く、軽装な恰好。

 軽さを重視した見た目で、その背中にはリュックサックを背負っていた。


 しかし日の当たらない所で立ち止まっているせいか、肝心の容貌は見えない。

 分かるのはここまでだった。


「薄暗いので詳細は分かりませんね。敵意があるのかどうか……」


「むっ、へーきそう。行く」


「マジですか」


 ここでルミナは黒髪の女性に気付かせて貰うよう、わざと小さな足音を鳴らしながら歩く。


「……――っ! だれっ!?」

 

 黒髪の少女は素早く銃を取り出し、ルミナの方へと向ける。

 未知の領域へと踏み入れているので、警戒心を残したまま睨んでいた。


「えっと、襲わない……よ?」


「か、可愛い……。てか、何でこんなところにいるの? ……い、いや違う! 野盗か!? こんなボロボロな恰好で潜んで!」


「……忘れてた」


 ここでルミナとイロナは失念する。


 ファーストコンタクト、どうすればいいのかと。


 客観的に整理してみよう。

 人っ子一存在しない辺鄙へんぴな所で急に現れ、その時に話すべき会話など、かなり限られている。


 そしてルミナの格好も問題だった。

 着ているものはボロ同然の服装であり、見るからに浮浪者の姿。

 急ごしらえで作られた靴を履いているが、それだけで無害だと判断するのは難しいだろう。


 終いには、ルミナに持たせた単分子ナイフ。

 それが目立つように曝け出しているが故に、誤解が悪い方へと生まれてしまった。

 

 側から見れば困窮した食い詰め少女。

 詰まる所、お前を襲って身ぐるみ剥がしてやろう、といった光景である。


 このようなシチュエーション、他者から見て怪しんでしまうのは当たり前だった。


(まっずい……! 善性で友好的の人だったら嬉しいなとは思っていましたが……。肝心の誤解を解く方法を考えていませんでした!)


 イロナは普段の冷静さが嘘のように、かなり慌てていた。

 

 実はこれも旧パートナーとの生活で学んだ悪いうっかりであった。

 その影響でイロナの得意分野である行動予測を怠ってしまったのだ。


「くっ! 仕方ないけど、ここで立ち止まるつもりはない! 今すぐ離れて!」


「えっと……僕は悪く、ない」


「悪くないって……!? そうやって油断した隙を狙って襲うつもりなのね!」


「う、うがー!」


 さらなる誤解が加速する。

 このままだと収拾つかなくなり、確実にルミナは不幸なこととなるだろう。


 なるようになると思ってたツケがここで回ってきたのか。

 巡り合わせが良くなったからとはいえ、見通しが甘ければ痛い目を見る証拠だった。


「違います! 違います! 襲わないです! 戦う意思は無いです!」


 起こりうる嫌な光景を阻止すべく、イロナは首飾りを大袈裟に動かした。


「あ、えっ? き、機械兵器!?」


「遭難者! 遭難者二人です! 保護を求めます!」


「……しかも正常な状態。思考回路が壊れている様子は無さそう……か?」


 イロナの必死な説得によって少したじろぐ黒髪の女性。

 だが、まだ警戒は解いていない。銃口はルミナに向けたままだ。


「生まれて一度もエラーなんか起こしていませんよ! そこらの機械と一緒にしないで欲しいですね!

 壊れてない証明に、早口言葉を言えばいいですか!? いいですよ! 一万も二万も!

 もしそれで撃ったら盛大に呪ってやりますからね!」


「うん、無害だ。そこまで流暢に喋る機械なんて見たことない」


「た、助かったぁ……!」


 やけくそ気味のイロナが捨て台詞みたいに並べ立てた結果、一触即発の空気は嘘のように和らいだ。


 幸いにも、不幸な巡り合わせは避けられたのだった。

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