この世の片隅で
片桐いろは
第1話 私の部屋
私の膝の上に頭を乗せ、2人掛けのソファに窮屈そうに脚を曲げて寝転ぶ
「恋愛は、すべてタイミングだから」
そう言って葵を遠ざけてきたのは私だった。
当日彼氏がいた私に、猛アプローチをかけてくれていた葵に、私はそう言って断り続けた。
少し、モラハラ気質で、セックスのときは暴力的だった元カレのことをあまりよく思っていなかった葵は、何度も別れろと言ってきた。
「私と付き合いたいからって、そういうこと言わないでよ」
その都度、葵の意思を遠ざけてきた。
そんな元カレに嫌気がさし、ようやく別れることができた頃には、葵には同級生の彼女ができていた。
同じサークルのひとつ下の葵。
同じサークルのひとつ下の友梨奈。
お似合いのカップルだった。
サークル内でも、そうよく言われている。
同じサークルのひとつ上の元カレ。
私は、クズな男が好きなのかと、サークル内ではよく呆れられていた。
別に私は元カレのことをクズとは思っていない。別れた今でも、元カレのいいところを知っているのは私だけだと思っているし、元カレにだけ見せてきた自分もいっぱいある。
「
膝枕で横になる葵が、私の脚をさすっていた。
その手はゆっくりと、太ももの内側へと添えられる。
暖かい手だった。嫌ではなかった。
今なら、葵のすべての要求を、受け止めてあげられる気がした。
「酔ってない? 気持ち悪くない?」
「大丈夫。友梨奈は?」
葵は、ここがまだ居酒屋だと思っているのだろうか。この場に恋人である友梨奈がいると思っている。
サークルの忘年会だった今日は、2次会で葵の横に座り、別れ話に付き合ってということで、たくさんお酒に付き合ってもらった。
お酒に格別強くないと知って、飲ませたのは私。
2次会も終わり、これから朝までカラオケという流れの中、帰る組の流れに乗り、友梨奈に気付かれないように葵を連れ帰ったのは、私だ。
ここは、私の部屋。
友梨奈はいるはずがなかった。
葵よりも早く酔いが覚めた私の頭の中は、混乱していた。
どうして、こんなことをしてしまったのだろう。
恋愛はすべてタイミングのはずなのに。
葵には、既に恋人がいるのに。
「百花さん、泣いてる?」
膝の上にいる葵の目と、視線が重なる。
私は慌てて目を逸らし、瞼に触れるが、涙は確認できなかった。
「何でもないよ。ただ、どうすれば葵がまた振り返ってくれるかなって、思って」
はっと、我に帰る。
今の言葉は、頭の中で言ったものなのか、実際に発してしまったものなのか、わからなかった。
ごめん、何でもない。と付け加えるが、葵はゆっくりと体を起こした。
目が合う。気まずくなり目を逸らす。
「ずっと、俺も思ってたことだよ」
もう一度、目を合わせる。
葵の視線は、まっすぐ私の瞳を捉えていた。
「どうしたら振り返ってくれるかなって、ずっと思ってたのは、俺の方ですよ」
葵に肩を抱かれ、抱き寄せられる。
抵抗しようとする腕を何とか自分の意思で静止させた。
ゆっくり抱きしめられる。
葵の息遣いが、耳をかすめる。
友梨奈の顔が頭に浮かんだ。
私は何をしているのだろうか。
私のことをずっと好きだった後輩の葵を酔わせ、連れて帰り。
慕ってくれる後輩の友梨奈を裏切るような行動を取り、
葵を惑わすような発言をし、抱きしめてくれるその腕を今、解こうとしている。
私は何がしたいのだろうか。
「何で、今なんですか?」
葵の声は震えていた。
背中をさすってやりたい。
抱きしめ返してやりたい。
こんなにも、葵のことを愛おしいと思ったことは今までなかった。
でも、私の両腕は重力に負けてだらんと下に落としたままだった。
素直に抱きしめ返さないのは、葵を戸惑わせた罪、友梨奈を裏切った罪に対する、自分なりの罪悪感の表れなのだろう。
「恋愛はタイミングっていつも言って、俺のタイミングは考えてもくれなかったのに。こういう時だけ、何で」
息が詰まりそうになる。
胸が苦しくなる。
ごめんなさい、そう自然と言葉が漏れた。
「ただ、友梨奈のところに帰ってく葵を見たら、正気ではいられない気がした。だから、誰よりも早く私が連れて帰った」
素直な言葉だった。
自分の頭の中の言葉を、何のフィルターも通さず、補正もかけず、そのままを口にした。
気づけば、私は泣いていた。
葵の腕から解放されて、向かい合う。
お互い涙が頬を伝っていた。
「葵、もうどこにも行かないで」
私は傲慢だ。
元カレとの関係が続けられていたのも、葵が私のことをずっと見ていてくれたからかもしれない。
その葵が他人のものになったとき、帰る場所、心の拠り所を失った私は、疲弊していた元カレとの関係に耐えられなくなり、別れてしまった。
今思えば、すべて葵のおかげだったのかもしれない。
「もう一度だけ、私のことを見て」
涙が溢れる。
「私も、葵から目を離さないから」
言葉も止まらなかった。
頭の中で、友梨奈に肩を掴まれている気がした。
でも、止められなかった。
「お願いだから、もう一度、私を見て」
枯れかけた言葉を遮るように、
私の願いに応えるように、
唇が重ねられた。
涙の味が混じる。
しょっぱい、でも温かく甘くもある神秘的なその味は、一生忘れないだろう。
お互いの腕が、背中に添えられる。
私はそっと目を閉じ、
彼からの愛無をすべて受け入れた。
(完結)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます