第一章 出会いと再会 ④

【マナ】

 世界樹と共に現在のこの世界を構成し象徴する、熱や衝撃、時には人の感情にさえ反応し、光の粒子として視覚される大地のエネルギー。世界樹は広大な範囲にその根を張り巡らせ、各地にその子供である【世界樹の枝】を生やした。その枝から空気中に散布され、採集されるその粒子は、もはや人々の生活とは切り離せない存在となっており、加工され、乗り物や光源などの動力源として活用されるだけでなく、世界樹がもたらした恩恵として信仰の対象ともされていた。そして武器としても。


 マナはただ人々に利用されるだけでなく、自然発生的に大気にばらまかれたそれは、さまざまな形となって人類の前に姿を現すことになる。この星のどこにも存在していなかった動植物を含むあらたな生態系を生み出し、かつて魔王によって一度は荒廃しかけた大地に新たな活気を与えていた。その様子は人類にとって救いであるとともに、この地球が世界樹そしてマナを中心に全く別の理に塗り替えられ、支配されるという不安を抱かせるものでもあった。


 かつて一般的に使われた化石燃料の類が貴重なものとなった今、桟橋に近づいてくる二梃の小型のボートはマナの力でその船外機を、独特の鈴の音のような透明感のある甲高い共鳴音を響かせながら動かしていた。

 そこから漏れ出る人工のマナの光の粒子が今、大気中に元から存在している自然界のそれらと反応し湖の小さな残橋に集まった人々も周りを煌めきながら舞い踊っていた。マナの光自体は皆見慣れたものとはいえ、普段とは何かが違うその瞬きに皆が気を取られている間に、護衛の傭兵と思わしき人物を先頭に二艘の小型ボートに分乗した人々が渡し板を歩いて、下船してくる。

 迎えの村人たちにはさして興味を示さず慎重に辺りに気を配る、それぞれ違う装備の三人の傭兵達。性別、年齢、体格も様々だが一様に同じフード付きのシンプルな緑のローブを着た人間が六人。他の人間よりも濃い色のローブと華美ではないが幾つかの装飾品をまとった、一隊のリーダーらしき、フードを被らず顔を見せる中年の小柄な男。


 その男に手を引かれ一目でそれとわかる、その場の空気を押し広げるような圧倒的な存在感を纏い、この場の誰よりも長身の【世界樹の巫女】が降り立った。


 集まった迎えの人々がしばし言葉を失い立ち尽くすなか、ハルト・ヴェルナーはその集団の最後方に居ながら、偶然にも巫女の姿を真正面からとらえていた。

 彼女が桟橋に足をついた瞬間、辺りに漂っていた無数のマナの粒子は彼女を中心に波紋のように一気に広がっていた。それは彼女を避けるためというよりはむしろ逆に世界樹の巫女たるその姿に注視し、傅くかのように。

 朝霧と光の粒子と穏やかな風が舞う静かな湖面、護衛の兵士に従者達、彼らを従えるように後方に立ち、顔を薄いヴェールで隠しながらも、醜美を超越した他を圧倒する長身と存在感を示す巫女。その背後遠く彼方には今現在の世界の変容を象徴する、世界樹の枝葉をのばした巨影が蜃気楼のように鎮座する。

 その様相はなにか古からの宗教画のような、どこか神秘的で静謐な、そして自分は決して立ち入れない、立ち入ってはいけない厳かな印象をハルトの瞳を貫き、全身に植え付けていた。


 この瞬間が今朝から感じていた、夢にまで見た自分にとっての、なにか始まりの予兆の解答なのだろうか。世界樹の巫女とのこの邂逅こそが。

 その巫女が自ら顔を覆うヴェールをあげ、隠れていた素顔をおもむろに晒す。

 色白の化粧気のない、体格に反して幼さの残る顔に、存外主張する眉、そしてどこまでも深く濃い緑の瞳。その瞳と目が合った刹那、ハルト・ヴェルナーにとってそれは全てになった。

 彼女に仕える従者達も、集まった同郷の村人たちも、湖も森も光の粒子も、世界を睥睨する世界樹も、自分の心を長い間縛っている失われた過去も、音も時も風も、すべてが消え去り、まだ名も知らぬ少女の深緑の瞳だけが。


 消え去った感覚の中、それでも確かに存在している時が数刻きざまれ、ハルトの狭まった視界のなかで、その緑の瞳を中心とした整った顔が微かにくしゃりと歪んだ。

 立ち行ってはいけないはずの神聖な絵画の中から、その主題である世界樹の巫女自らが少しずつこちらに意を決したかのように歩を進めてくる。

 その表情は安定せずに揺らいだまま、まるでどのような表情をすればよいか彼女自身が迷っているかのように。音や風や周りの風景もいつの間にか感じるようになったが、それでもハルト自身が彼女の瞳から目が離せない。そして、自分もどのような表情をすればよいかわからないまま、身じろぎもせず他の村人と同様成り行きに戸惑っていると、目の前でようやく巫女はその足を止めた。

 身長差から見上げるようにその顔を伺っていると、ちょうど目線の高さに深緑色の宝石をあしらったネックレスがあることに気づく。豊かな胸部の間で鼓動に合わせるように微かに瞬く光。一瞬今朝見た夢の光が脳裏をよぎるが、次の瞬間その光が爆発し、目がくらみ声を上げる間もなく即座に今度は闇に包まれる。

 暗闇と圧迫感、相反する柔らかさと開放感。ハルト・ヴェルナーは世界樹の巫女の長い腕によってその豊かな胸に押し付け、抱きしめられていた。

「ずっと、ずっと会いたかった……ハルト・ヴェルナー」

 微かに震えながらも、その声は先ほどの表情と同じように何らかの感情を表そうとするものの、彼女自身どのような感情をその声音に込めればよいか迷っているかのようだった。

 熱く鼓動する豊かな胸部に包まれ、さらに己自身の吐息により一気に全身の体温があがる。視覚と聴覚を奪われ、全身の神経が顔面に集中し、それがすべてになる。

 脳に刻み込まれた世界樹の巫女の深い緑の瞳と柔らかく熱いその鼓動。

 

 水面で小魚の跳ねる水音が聞こえる。

 彼自身にその自覚はなくとも時は相変わらず刻まれ、息苦しくもあったハルトは努めてそっと、その微かに震える腕をとり、彼女の抱擁を解く。途端に早朝の冷たい湖畔の空気が火照った頬を心地よく撫であげる。そしてまた見上げるように、それでいて吸い込まれるように深緑の瞳と目を合わせる。

 世界が戻ってくる。無言で立ち尽くす迎えの村人と護衛の傭兵達に従者達、森に湖に鳥の声、マナの光に世界樹。それでもなおハルトの視界の大部分を占める巫女の姿に、微かに泣きそうで、そして笑いそうな顔。

 

 幾分か迷ったあと、ハルト・ヴェルナーは今言うべきだと思ったことを言う。


「あなたは誰ですか?」

 

 事情により幼少期の記憶を失っているハルトにとっての世界樹の巫女との運命の出会いは、彼女にとっては少し悲しい再会でもあった。


 

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JEWEL SOUL  ――世界樹の巫女―— @frostman

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