第2話

少女の胸に突き刺さっていたのは、ただの杭ではなかった。 漆黒の瘴気を放つ、呪いの杭だ。


おそらく『呪創(じゅそう)』の類だろう。 これを受けた傷は、聖女レベルの回復魔法であっても塞ぐことはできない。 傷口を癒やそうとしても、呪いが再生を阻害し、永遠に生命力を削り続けるからだ。


だから、この少女は死ぬ運命だった。 俺というイレギュラーに出会うまでは。


「……すまないな。ちょっと痛いぞ」


俺は少女の傷口に手をかざし、イメージする。 この杭が突き刺さる『前』の時間を。 彼女の肉体が、無垢で無傷だった『過去』を。


「――『リターン』」


術式を発動した瞬間、周囲の空気が歪んだ。


「――ッ!?」


意識を失っていたはずの少女が、カッと目を見開き、悲鳴を上げようとして喉を詰まらせる。 あまりの激痛に、声すら出ないのだ。


無理もない。 俺の『時間逆行』は、杭が刺さった時の衝撃と破壊を、逆再生で脳に再現してしまう。 骨が砕け、肉が裂ける痛みを、もう一度味わわせる行為だ。


少女の体がビクンビクンと痙攣する。 冷や汗が吹き出し、細い指が地面の土を握りしめる。


以前のパーティメンバーたちが、俺を忌み嫌ったのも無理はない光景だった。 治しているのか、拷問しているのか、見た目には区別がつかないからだ。


だが。


数秒後、少女の体から力が抜けた。


胸に突き刺さっていた呪いの杭は、刺さる前の軌道を逆行して宙に浮き――俺が素手で掴んで放り捨てたことで、因果を失い消滅した。


後に残ったのは、傷跡一つない、白くなめらかな肌だけ。


「……ふぅ。成功か」


俺はその場に座り込んだ。 さすがに呪いごと時間を巻き戻すのは骨が折れる。魔力を一気に持っていかれた。


俺は自分自身に『リターン』をかける。 カチリ、と脳内で音がして、俺の肉体状態が数分前――魔力を消費する前に戻る。


これで疲労はゼロだ。 俺の精神力が尽きない限り、無限に魔法を使い続けられる。これが俺の本当の強みだった。


「ん……ぁ……」


しばらくして、少女の長いまつ毛が震えた。 ゆっくりと瞼が開かれる。 そこにあったのは、宝石のように鮮烈な深紅の瞳だった。


彼女は呆然と空を見上げ、それから自分の胸元へと視線を落とす。


「……消え、てる?」


震える手で、自分の肌を触る。 血も出ていない。痛みもない。 そこには、古傷どころか、生まれたてのような肌があるだけだ。


「馬鹿な……あれは勇者の聖剣による呪い……。解呪なんて不可能なはず……」


ブツブツと呟いていた彼女が、バッと勢いよく体を起こした。 そして、目の前にいる俺を凝視する。


「お前が、やったのか?」


「ああ。通りすがりの回復術師だ。……まあ、今は無職だけどな」


「どうやって? 普通の回復魔法じゃなかった。あの痛み……まるで時が巻き戻ったような……」


鋭い。 普通なら「痛かった! 何しやがる!」と怒鳴られるところだが、この少女は痛みの向こう側にある現象の本質に気づいているようだ。


「似たようなもんだ。傷つく前の状態に戻しただけだからな」


「戻した……? 因果を、逆転させたというのか……?」


少女は信じられないものを見る目で俺を見つめ、それから突然、ふらりと立ち上がった。 まだ貧血気味なのか、足元がおぼつかない。


「おい、無理するな。治ったとはいえ、血は流れてたんだぞ」


俺が肩を貸そうと手を伸ばすと、彼女はその手をガシッと強く握り返してきた。


「お前、名は?」


「クロノだ」


「クロノ……」


彼女は俺の名前を噛みしめるように復唱すると、今まで見せたことのないような、妖艶で美しい笑みを浮かべた。


「クロノ。お前、私のものになれ」


「はい?」


「私の『城』へ来るがいい。お前のような逸材を、人間如きに野放しにしておくのは惜しい」


「いや、俺はこれから街に……」


「拒否権はない。命の恩人には、相応の礼をせねばならんからな」


彼女は有無を言わせぬ迫力で俺の腕を引いた。 その瞳には、獲物を見つけた狩人のような、あるいはもっと別の熱っぽい光が宿っていた。


「私の名はルーシー。……ふふ、お前となら、退屈な永劫の時間も楽しめそうだ」


こうして俺は、拾った少女――ルーシーに連れられ、訳も分からぬまま森の最奥へと向かうことになった。


まさかその行き先が、人間が決して足を踏み入れてはならない場所、『魔王城』だとは知らずに。

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