賽の河原

狭山千尋

賽の河原

  一センチ角の立方体は、何処からともなく現れてくる。私は床に座っていて、左前方には見慣れた自室のドアがある。部屋は六畳、天井二・四〇メートル。掛け合わせると、約二十五立方メートル、つまり約二千五百万立方センチメートル。右手側には窓があり、灰色の光が差し込む。カーテンはない。左側には両開きの白いクローゼットがあり、その把手とっては四角く、細長い。把手の側面は地面と垂直、上面と下面は地面と水平である。



  私はこの部屋を、一センチ角の立方体でつめなければならない。幸いこの部屋の寸法は、すべてセンチメートル換算で整数なので、立方体を切ったり、倍積にする苦労は必要なさそうである。クローゼットもその把手も窓のくぼみも、すべて一センチ単位であり、邪魔にはならない。よって、私は一センチ角の立方体を部屋につめさえすればよい。



  私はドアの対角から、つめていくことにした。隙間なく埋めるには、隅から始めるしかない。一つ目を置き、角をきっちりとはめる。その隣にもう一つ、壁をすらせながら置く。そして、手を離そうとしたとき ――― 私は一つ発見をした。この立方体は、面同士くっつく性質があるらしい。これにより私の懸案が一つ解決した。私の手は、高く上に伸ばして、つま先立ちをしても天井に届かない。そのため立方体を工夫して積み上げ足場を作り、足からの摩擦力により立方体がすべらないよう慎重に作業して、天井までつめる必要があるかと考えていたが、面同士くっつくのなら、先につなげておいたものを立てればよい。



  私はひとり黙々と、作業を続けた。カチリ、カチリと音が鳴る。一センチ角のこの立方体は、考えてみると、賽子サイコロとして最高である。指が支え、また力を加えやすい重さであり、表面は平ら、重心も中心にあるから、各面が均等に出る。唯一賽子として不足なのは、表面に数字が書いていないことであるが、これは一から六の目を、同様に確からしく、出したと合意すれば解決する。賽子の役割は、目を同様に確からしく出すことなのだから。よってこの立方体は、最高の賽子である。



  二千五百万のうち九百万を終えた頃、私はクローゼットの前まで来た。その時突然、ぞっと背筋が寒くなり、心臓は飛び出んばかりに跳ね上がった。何なのだろう、後ろには何もいない、横には何もない。前はクローゼット。私はずっと、この部屋で立方体を並べていた。そして、何の物音もまだ聞いていない。私は魑魅魍魎ちみもうりょうの類も信じない。えも言われぬ不安感に押され、私はクローゼットの把手に手をかけ、一瞬の逡巡しゅんじゅんの後、引き開けた。



―――何もなかった。ただ、四角い空間のみがあった。縦二百十センチ、横九十センチ、奥行き七十五センチの空間に、二つの仕切板。約百四十万立方センチメートル、立方体約百四十万個分の空間が、そこにあった。



  埋めなくてはならない。この空間を。私は左奥から、また一つずつ、置いていった。二千五百万に対して百四十万は、あっても変わらない。九百万に比べてみても、大したことはない。私のやるべきことは、この部屋を、一センチ角の立方体で満たすことのみである。奇しくも立方体は、クローゼットと同じ白色だった。



  カチリ、カチリと、一つずつ置いていく。既に二千万を置き終え、窓はすでに塞がった。窓を塞ぐことを思い立った時、私はこの部屋に明かりのないことに気づき、塞いだ後は闇の中、己の記憶と触覚を頼りに窓の手前を埋めねばならぬことを覚悟した。暗闇の作業を減らせるよう、窓から扉まで細く道を開け、それ以外の場所を先に埋めた。そうして窓へと戻ったのだが、窓を塞いでゆくにつれ、これまで窓からの光を浴びてきた立方体が、吸収した光を放出し始め、部屋は黄色ががった白に照らされるようになった。それと同時に、何処からともなく現れてくる立方体も、仄かに、蛍のルシフェリンの如く点滅し、それを置くと、周りの立方体と同じ、黄色ががった白に光るようになった。そういうわけで、私は前のごとく作業を続けることができた。



  一センチ、一センチと、ドアに向かって埋めてゆく。左右の壁はなめらかで、手をすべらせても一切の引っ掛かりもない。黄色に近い明るい黄緑に点滅する立方体を、取って、置き、取って、置く。床から百八十個積んだら、六十個をつなげて、その上に置く。これを横に六十列。六十列終わったら、一センチ下がって、また同じ作業をする。路が埋まっていくにつれ、積み上がった立方体の発光は、黄色がかった白から、黄色、橙、赤へと、変わっていった。



  残るは、ドアの前の空間のみとなった。赤く光る周りとともに、何処からともなく現れる立方体も、赤く点滅している。残り三十万立方センチメートル。私の体積は、約六万立方センチメートル。残る私の体積の五倍ほどの隙間を埋めるには、ドアを出るしかない。そうして三十万個を置けば、私は部屋をすべて埋められたことになる。私はささやかな達成感を胸に、窮屈な身をドアの方へ向け、そしてドアを―――



―――赤い光が向こうの壁を照らす。見慣れた廊下。右手に行けば階段、左に行けばもう一つの部屋。右のつきあたりには窓があって、ほの暗く光が差し込んでいる。そして私は思い出す。



  私は、この家を立方体で満たさなければならない。



  三十坪、二階建て。概算して、二億四千万立方センチメートル。二億四千万に対し、二千五百万など大したことはない。まして、三十万など無いに等しい。そう思いつつ、私は私の部屋を再び立方体で埋め始めた。

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