理由なき反抗
けいりん
理由なき反抗
素直な、良い子だった。
思えば小さい頃からそうだ。
「魔の」などと接頭辞をつけて語られることすらある二歳ごろ、いわゆる「イヤイヤ期」にも苦労させられた記憶がないし、「九歳の危機」「小四の壁」などと言われる時期も、少なくとも私たちには、何の苦労もかけることがなかった。
常に明るく、家族にもきつく当たると言ったことがなかったし、先生や友人の親からの評判も良い。リーダーだとか、あるいは特別に人気者だとか、そういうわけではなさそうだったが、いつでも男女問わず多くの友人といっしょにいて、行く先々に笑顔が絶えない、そういう印象ばかりが強い。
いじめることも、いじめられることもなかった。むしろ、ちょっと仲間はずれにされかけたクラスメートとも分け隔てなく接し、いつのまにか皆の輪の中に引き入れているような、そんな子だった。
それはもちろん、子供とは言え人間であるから、小さなトラブルや、落ち込むような出来事、ちょっとした悪さなどが、皆無だったというわけではない。
ゲームで負けが混んで不貞腐れていたこともあるし、約束をしたのしないので取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。運動会でマラソンの選手になれなくて塞ぎ込んでいたことも、立ち入り禁止だった旧校舎に潜り込み、教室の一つを秘密基地にしていたのを見つかってしこたま怒られたことだってあった。
だが、所詮、誰もが通る「よい思い出」の範疇。教師や私たち親が真剣に対応を考えなければならないようなことにはならなかった。
その息子の様子が、最近、どうもおかしい。
「ねえ」
遅く帰った夫に、私は話しかけた。
「一度、時間作って話してみてくれないかしら」
「話して……って、雅之と?」
夫はネクタイを緩めながらうめくような声を出す。
「考えすぎじゃないか?」
「でも、今日だって、帰ってきたらご飯も食べないで部屋にこもって。話しかけてもろくに返事もしないのよ」
「思春期だからな。よくあることだよ」
言われて私はため息をつく。
雅之ももう高二。なるほど、思春期と言われる年ではある。振り返ると確かに私自身、その年頃には、色々な悩みや言葉にならない情動に苛まされてはいた。しかし声変わりもとうに終え、背も伸びきって、すでに雅之は一番不安定な時期を脱したように感じていた。その”不安定さ”に特に語るべきほどのものを感じなかっただけに、今さらこんなことになっているのが不審に思えるのだ。
「でも、今までこんなことなかったのに」
「だからだろ。むしろホッとするよ。成人前に反抗期の一つもないとさ、逆に後で大変だっていうぜ」
「そう、なのかな」
「自分のこと振り返ってもさ、親になんか口出されて、素直になれるような時期じゃなかったろ。下手に手を出さずに見守っているのが一番だよ」
理屈では、わかる。
そう思いたい、という気持ちもある。
だが、何か嫌な予感がする。
このまま放置すると取り返しのつかないことになるのではないか。
夫は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ソファに座ってプルタブを上げた。ぷしゅっ、と空気の抜ける音が響く。
うまそうに喉を鳴らしてビールを飲んだ後で、夫は思いついたように言った。
「逆に、なにかないの」
「なにか、って? 心当たり? ないよ。あったらこんなに悩んでない」
「ううん、そりゃそうなんだろうけど。何か、ヒントになるような言葉とかさ。ただ引きこもってるわけじゃないんだろ?」
「それは……」
それは、そうだ。今日のように全く部屋から出ないのも毎日というわけではなく、夕飯はきちんと食べに降りてくることの方が多い。朝はちゃんと挨拶もするし、朝食も食べて、学校に行く。ずっとほとんど喋らないとは言え、特にイライラしている様子も見られない。
ただ。
「そういえば、一昨日の朝だったかな。ぼそっと、『なんで、全部決まってるんだ』って」
「ほら。やっぱり思春期にありがちなやつだよ。決められたレールの上を走るのが嫌だとか、そういうあれ」
「そうかな。決められたっていうほど、何も決まってないのに。私たちだって何になれなんて言ったことないでしょ」
「それは大人の見方だよ。思い返してみろよ、あの頃はさ、校則とか一般常識とか、全部が息苦しく思えたじゃないか? それを決めている大人たちが全部くだらなく思えてくるから、余計にさ」
「そんな話なのかな。あの時の雅之、そんな苛立ちよりも、もっとこう、難しい顔して……哲学的、っていうか」
「頭のいい子だからなあ。余計いろいろ見えちゃうんだろう」
私は頷いた。それはそうだ。
確かに雅之は成績がいい。高校も県下ではトップクラス。その上、「ド」のつく文系の両親の何を引き継いだのか、得意科目は数学と物理学。こんなことになる前、何かの用事で部屋に入ったときには、分厚い専門書らしきものが机の端に開かれていた。
「何か、私たちにはわからない、難しいことでも考えてるのかなあ」
私は半ばつぶやくように言った。
夫は曖昧に頷いて、話は終わりというようにテレビのリモコンを手に取ってスイッチを入れる。
「つまり、消えた、と、そういうことですか」
即座に、テレビから聞こえる声。私はその声に誘われるように、台所に向かいかけていた足を止めた。
数人の人たちが深刻な表情で何かを論じ合っているようだ。背後には宇宙の映像。
「はい」
先ほどの質問を受けて誰かが答える。
「いえ、でも、ありえないです。そんな」
「しかし現に、全ての観測機器から姿を消しているわけですよね」
「それは、そうです、ですが」
「未知の知的生命体……平たくいうと、宇宙人が関わっているんじゃないかという意見もあるようですが」
「まさかそんな。いえ、たとえばそうだったとして、一体何のためにって話ですよ」
「何これ」
私は疑問を口にする。
夫はすぐさま答えた。
「ああ、これ、帰りにネットで見たよ。なんでも、太陽系に接近中の彗星が突然消滅したって」
「突然?」
「ああ。接近時の観測計画を立てていた世界中の関係機関がパニックになってるって」
「接近中って、そのままだったら地球にぶつかってたとか」
「そういうわけでもないらしいよ。だから、何者かの仕業だとしても意図がわからないって」
「そう……」
結局何が気になったかわからないまま、私は再びキッチンへと向かいかけた。
と、その時。
居間から、階段に向かう出入り口。
そこに、雅之が立って、こちらを見ているのが見えた。
何か言おうとする私に一瞬目を止め、ふいっとそのまま踵を返してしまう。
なんなんだ。
私は洗い物を再開する。
胸に生じたざわつきを、息子の反抗的な態度に対する苛立ちに転化しようと努力しながら。
だが、その時見た息子の表情は、どうしても、脳裏から消えなかった。
息子は笑っていたのだ。テレビのほうを見ながら、満足そうに。
翌日から徐々に、雅之は以前のように明るく素直な息子へと戻っていった。
「ほらな、心配するほどのことじゃなかったろ」
と、夫は言う。
私は頷き、変わらない日常を営みながら、時折、不安に胸を曇らせる。
あの日以来、聞こえてくるニュースに、何か不穏なものを感じてしまうのだ。
南太平洋で発生した熱帯低気圧は、突如進路を変え、常識ではありえない方向へと向かった。
アメリカでは数日おきにあちこちの都市で烏賊の雨が降り、人や建物に被害をもたらした。
世界各地で、その場所に、またはその季節に咲くはずのない花がランダムに咲いて、人々を驚かせている。
ある夜宇宙の全方位から、ベートーベンの交響曲が電波に乗って届いた。
日常には、ほとんど影響がない。だが、明らかに、世界中で異常なことが起こっている。
そんなニュースを見聞きするたびに、私は思い出してしまうのだ。
あの日息子が漏らした、「何で全部決まってるんだ」という声を。
そして、あの夜、息子が浮かべていた、満足そうな笑顔を。
理由なき反抗 けいりん @k-ring
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