魔物の私を『国宝級の可愛さ』と勘違いした女騎士が、過保護すぎて外に出してくれません

こめりんご

第一話 森の捨て子と過保護な女騎士

 深い森の奥。

 そこは、陽の光さえ重なる木々の葉に拒まれた、魔物の住処すみかだった。

 湿った土の匂いと、どこか鼻をつくような、甘く毒々しい花の香りが混ざり合う。


 その薄暗い空間の片隅で、一人の子どもがひざを抱えてうずくまっていた。

 子どもには前世の記憶があった。

 自分がかつて「人間」であり、街で平凡ながらも穏やかに暮らしていたときのものだ。

 しかし、今の彼女は人間ではない。


 背中にはまだ生えかけの、うすく透き通った羽がある。そして指先ほどもないほんの小さな、硬い突起が頭髪の間にうずもれていた。

 人の情欲をあおり、その生命力を吸い取ってかてとする種族。

 この世界では魔性と忌み嫌われる魔物として生を受けた。


 少女の周りには、同じ種族の「姉」たちがいた。

 姉たちはあでやかな声を上げ、森に迷い込んだ男たちをあらがいがたい力で惑わせる。

 男たちは自分の意思をなくし、うっとりとした表情でその魂をささげていく。

 やがて抜けがらのように倒れ伏す姿を、少女は震えながら見ていた。

 姉たちはそうして手に入れた「精気」をかてに、より美しく、より残酷に成長していった。


「さあ、あなたも」


 姉の一人が、獲物である人間の男を少女の前に差し出した。

 必死に首を振った。

 人としての心が、あるいはただの臆病さが、足をすくませる。

 生命力を奪えば、この男の人生を壊してしまう。

 未熟なせいで男に乱暴されるのではないかという怖さもあった。

 結局、少女は男に触れることさえできず、幼子のように、しかし声を出さず、泣いた。


「……だめな子ね」


 姉たちの声は、冷たかった。

 この種族にとって、人間の欲情をあおれない個体は、生きる価値のない出来損ないでしかなかった。

 幼いころに親から分けてもらえた栄養も底をつき、少女の体は日に日に細く、頼りなくなっていく。

 やがて、姉たちは少女を見捨て、より豊かな獲物を求めて森の深部へと消えていった。


 残されたのは、耐えがたい空腹と、孤独。

 そして、自分が何者にもなれないという絶望だけだった。


(これでいい。誰にも迷惑かけずにいなくなろう……)


 少女は、泥に汚れた自分の指先を見つめながら、静かに死を待つことにした。



  * * *



 静寂を破ったのは、金属が激しくこすれ合う、するどく重い音だった。

 ザッ、ザッ、と迷いのない力強い足音が森の空気をふるわせる。

 それは、獲物を探す魔物の足音ではない。

 ゆるぎない正義と、圧倒的な武力を備えた、人間の歩みだ。


「……このあたりが吸精種きゅうせいしゅの巣か。妙だな、ねずみ一匹おらんではないか」


 凛とした、張り詰めたつるのような声が響いた。

 少女が恐る恐る顔を上げると、そこには銀色に輝く甲冑を身にまとった一団がいた。

 王国騎士団。

 その先頭に立つのは、暗がりの中でも燦々さんさんと輝く金髪をなびかせ、深く澄んだ碧眼へきがんを宿した、美しい女性だった。

 彼女の名はフレア。

 王国でも指折りの実力を持つ女騎士であり、研ぎ澄まされた美貌と高潔さで知られる人物だった。

 フレアの全身からは、魔物を威圧する圧倒的な「覇気はき」が立ちのぼっている。

 その凄まじいプレッシャーに耐えかねたのか、近くにまだ残っていた姉たちが、悲鳴を上げて逃げ出していく気配がした。


「ふん、逃げ足だけは速いな。追う手間が省けたというものだ」


 フレアが剣の柄に手をかけたまま、不敵に唇をゆがめる。

 そして、大樹の根元でふるえている少女と、正面から目が合った。


(あ……)


 少女は全身の血の気が引くのを感じた。

 自分は魔物だ。

 あの鋭い剣で、問答無用で貫かれるに違いない。

 逃げなければならないのに、極限の空腹と恐怖のせいで、もう指一本動かすこともできなかった。


「団長、あの子供……生き残りでしょうか!」


 一人の若い男騎士、カイルが声を上げた。

 彼は少女の姿を見た瞬間、その目にぼんやりとした熱を浮かべる。

 カイルは吸い寄せられるように、うわ言をもらしながら、ふらふらと少女の方へ歩き出した。


「ああ……なんて、なんて守ってあげたくなる子なんだ……。おいで、怖くないよ……」


 少女の視界に、大人の男の手が迫る。


(こわい。来ないで。殺される、それとも――)


 少女は必死に顔をおおい、さらに小さく丸まった。

 そのときだった。


「待てッ! 控えよ、カイルッ!」


 雷鳴のような怒声が響き、少女の目の前に、鉄の壁のような背中が立ちふさがった。

 フレアだ。

 彼女は、少女に手を伸ばそうとしたカイルの胸元に、迷いのない一撃――するどい掌底しょうていを叩き込んだ。


「ぐはっ!?」


 カイルはすさまじい勢いで後ろへ吹っ飛んだ。

 ぬかるんだ地面をはねて転がり、木の幹に叩きつけられた。

 カイルは目を回しながらも、困惑した表情で頭を押さえた。


「だ、団長……? 俺、何を……あ、すみません、急に頭が真っ白になって」

「黙れッ! 愚か者が! 貴様には、この幼き者の魂の叫びが聞こえぬのかッ!」


 フレアはカイルを一喝した後、全員に号令する。


「全体、回れ右ッ! こちらを向くことは許さぬぞ!」


 いっせいにザザッと後ろを向く騎士たち。

 そして、ゆっくりと、しかし圧倒的な圧を保ったまま少女の方を振り向いた。

 その目には、先ほどまでの冷徹な戦士の光ではない、何やら異様な熱が宿っている。

 少女の前にひざをつき、目の高さを合わせた。

 そして、震える少女の肩に、ずっしりと重い、しかし驚くほど温かい手を置いた。


「……怖かったな。だがもう安心だ。私が――このフレアが、貴様を光の下へ連れ戻してやろう」


 少女はあっけに取られた。


(え……? なんで……?)


 少女は恐る恐る顔を上げ、フレアの視線を真正面から受け止めた。

 このときも、少女の体からは、相手を意のままに操るための「魅了」の毒が漏れ出し続けていた。

 だが、フレアには一切の効果もなかった。


「うっ……! おぉ……なんという……なんという健気な、救いを求める瞳かッ!」


 フレアは自分の胸を強く押さえ、大げさに天を仰いだ。

 その姿は、まるで壮大な悲劇の主人公の相手役を演じているかのようだった。


(この人、何をやってるの……?)


 少女には、フレアが何をそこまで感極まっているのかさっぱりわからなかった。

 ただ、その熱量だけが伝わってくる。


「見ておれ……。このような幼子にまで牙を剥く、この世の有象無象め。私が、我が鉄拳をもってすべて打ち砕き、浄化してくれよう!」


 フレアの背後に、ゴゴゴ、と物理的な地響きがしそうなほどの金色こんじき闘気とうきが渦巻く。

 少女はさらに身を縮めた。


(お芝居みたいで……怖い……!)


「あの、団長。その子はもしかしたら、我々が追っていた種族の……」


 カイルが恐る恐る口を挟もうとする。


「黙れカイル! 貴様のようなむさ苦しい男が近づくからこの子がおびえるのだ! 下がっておれ、不潔だぞ!」

「不潔!? 毎日欠かさず水浴びしてますよ! さっきまで『騎士のかがみ』とか褒めてくれてたじゃないですか!」


 フレアは部下の反論を一切無視し――


「さあ、行こう。ここは貴様のような花がいるべき場所ではない。我が屋敷へ来るがいい」


 腕全体を覆う装甲を瞬時に外し、骨が折れたりしないよう最大限の加減をして――少女を抱き上げた。


「あたたかい食事と、やわらかなベッドが貴様を待っているぞ。私が責任を持って、貴様の心の傷を癒してやろう」


(……助かった、のかな?)


 少女は、フレアの力強い腕の中で呆然としていた。

 魔物である自分を、この騎士は「可哀想な被害者」として抱きしめている。

 その腕は、驚くほど強くて、少し苦しいくらいだったけれど。

 生まれて初めて感じる、人の「体温」だった。



        * * *



 騎士団の詰め所からほど近い場所に、その屋敷はあった。

 石造りの頑丈な外壁に、手入れの行き届いた庭。いかにも質実剛健な騎士が住まうにふさわしい屋敷だ。

 だが、中へ一歩足を踏み入れれば、そこには主人の趣味が反映された暖かな空間が広がっていた。


「さあ、着いたぞ。ここが今日から貴様の家だ」


 フレアは、少女を壊れ物でも扱うような手つきで、居間の大きなソファへと下ろした。

 深紅の布地が張られたソファは驚くほど柔らかく、少女の小さな体を沈み込ませた。


(……家。ここが?)


 少女は周囲を見渡した。今しがたフレアが魔法で火をつけた暖炉では薪がパチパチとはぜる音を立てており、部屋全体が優しい熱を帯びはじめている。森の冷たい土の上で眠っていた彼女にとって、ここはあまりにも場違いなほど幸福な場所だった。


 フレアは足音も高らかに、厨房へと向かった。


「待っておれ。今、貴様の命をつなぐにふさわしい、栄養たっぷりの食事を用意してやる。貴様の細い腕を見るだけで、私の心は千々ちぢに乱れるのだ」


(食べ物……。魔物の私に、一体何を出すつもりなんだろう)


 少女の腹が、ぐうと小さく鳴った。

 人間だったころの「空腹」を思い出したのかもしれない。


 しばらくすると、寝巻き姿のフレアが湯気の立つ盆を持って戻ってきた。


「まずはこれを飲め。我が家特製の野菜スープだ。毒など入っておらん、案ずるな。……いや、まずは毒味をすべきだったか? いやいや、私が作ったのだから入っているはずがないな! ははは!」


 置かれたのは、具だくさんのスープと、白く柔らかそうなパンだった。

 少女はおずおずとスプーンを手に取った。震える手でスープを一口、口に運ぶ。野菜の甘みと肉の旨みが溶け出した温かな液体が、のどを通って胃に染み渡っていった。


(美味しい……。すごく、温かい……)


 それは、他者から命の糧を奪い取るのとは違う、「生命」を感じさせる味だった。

 少女の目から、一粒の涙がこぼれ、スープの中に落ちた。それを見たフレアは、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。


「う、うおぉ……! なんと痛ましいッ! 温かいスープ一杯でこれほどまでに涙するとは、これまで一体どれほどのひもじい思いをしてきたというのだ!」


 フレアはあふれ出しそうな涙を拳でぬぐいながら、激しく怒った。


「許せん。貴様をしいたげた者共も、この無慈悲な世界も、すべて私の剣で叩き切ってやりたい気分だッ!」


(ち、違うの。ただ、美味しかっただけなの……!)


 少女は必死に首を振って否定しようとしたが、そのジェスチャーはフレアに届かない。フレアは少女の細い手を両手で握りしめ、至近距離で見つめてきた。


「案ずるな。我が騎士の名にかけて、貴様を丸々と太らせてやろう!」


(それはそれで困るんだけど……!)


 決定的に噛み合っていない。それでも、普通ではない熱意は伝わってくる。

 少女は口を開いて「ありがとう」と言おうとした。

 けれど、のどがひきつって、ヒューッという空気が漏れる音しか出なかった。極度の緊張のせいか、それともまだのど・・が育っていないのか。


「……ッ! 声が、出せぬのか……!」


 それを見たフレアが、またしても目元をおおって身をふるわせた。


「なんと痛ましい……! 恐怖のあまり、言葉さえも封じ込めてしまったというのか! 許さん、貴様をここまで追い詰めた世界を、私は断じて許さんぞ!」


(うう、ごめんなさい……たぶん、ただ体が未熟なだけなの……)


 一通り食事が終わると、フレアは少し落ち着いた様子で少女の顔を見つめた。


「ところで、貴様。……名はあるか?」


 小さく首を横に振った。魔物の群れの中で、彼女はただの「出来損ない」であり、個体として呼ばれることなどなかったのだ。


「そうか。それほど、過酷な環境にいたのだな……」


 フレアは深くため息をつき、悲痛な面持ちで考え込んだ。


「魔物どもに名前すら奪われたとは。……いや、貴様のような幼子に、今は小難しい名は必要あるまい。何より、貴様はあまりに小さく、はかない」


 フレアは、端正な顔に似合わない力加減で、少女の頭をわしわしとなでた。


「よし。決めたぞ。当面の間、私は貴様を『小さいの』と呼ぶことにする!」


(えっ、そのまま!?)


 思わず目を丸くした。もう少し格好いい名前を期待していたのだが、提示されたのはあまりにも直球な呼び名だった。


「ふふ、どうした。気に入ったか? そうかそうか、嬉しいか! 『小さいの』、お前は今日から、この屋敷の家族だ!」


 フレアは「小さいの」を再び抱き上げ、くるくると室内を回り始めた。


「さあ、『小さいの』。今夜はゆっくり休むがいい。明日は市場へ行って、貴様に似合う最高に愛らしい服を買い占めてやろう!」


(あ、あの、下ろして……目が回る……!)


 少女の必死の抵抗もむなしく、フレアという制御かなわぬ暴れ馬は止まらない。

 窓の外では、夜のとばりが静かに下りていた。

 明日からの生活がどうなるのか、少女には全く予想がつかなかったけれど。


(……ううん。明日のことなんて、なんでもいい)


 ふと、冷静な思考が頭をもたげる。

 精気を補給できていない自分の命は、もうすぐ尽きる。


(これが、最後の夢……。『人としての暮らし』が、わたしの最後の夢なんだ)


 そう思えば、自然と受け入れられた。

 少女はそっと目を閉じた。どうせ消えてしまうなら、この温かい夢の中で最期を迎えたい。

 あの凍えるような森よりは、ずっと幸せな終わり方だと思ったから。







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過保護すぎる女騎士と名前のない少女の、奇妙な共同生活が幕を開けた。

次回、魔物娘がその可愛さで街中を狂わせる。


新連載。応援よろしくお願いします。

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