第05話 それぞれの距離――選ばれなかった感情たち
5.1 裁定後に分かったこと
ウルタールを離れてから、俺たちの間には、
ひどく重たい沈黙が落ちていた。
道はなだらかな草原へと続き、狂ったような紫色の空の下、
銀色の草が風もないのにざわめいている。
皮肉なことに、差し迫った危険が去ったことで、
俺たちには「考えてしまう時間」が与えられてしまったのだ。
「……ちょっと、待って」
最初に足を止めたのは、カオリだった。
彼女は道の真ん中で振り返る。その瞳に、
いつもの刺々しい鋭さはない。
代わりに、自分自身を見据えるような、
静かで研ぎ澄まされた光が宿っていた。
「一回、止まりましょう。このまま何事もなかったみたいに、
歩き続けるのは無理よ」
誰も反論できなかった。
「絶対にまた、どこかで感情が爆発して揉めるわ。
……だったら、今のうちに整理したほうがいい」
ユリナが小さく肩を震わせ、力なく頷く。
「……私も、そう思う。さっきの……猫たちの前でのこと。
無視して進めるほど、私は強くないから」
マサトが溜息をつき、後頭部をがしがしと掻いた。
「同感だ。正直、さっきから俺だけが――
物語の『外側』に放り出されてる感じでさ。
……このままじゃ、パーティとして機能しない」
仲間たちの言葉が、棘のように胸に刺さる。俺は視線を彷徨わせ、
少し離れた岩の上に腰掛けているガイドちゃんの姿を見つけた。
彼女は地平線の向こうを見つめたまま、
こちらを振り返らない。
最初から、この輪に入るつもりはない――
そう言外に示す距離の取り方だった。
「……正直に言うわね」
カオリが深く息を吸い込み、俺を真っ直ぐに見据える。
「私、あんたのこと、ちょっといいなって思ってた。
頼りになるし、こういう極限状態で優しくされたら……
そりゃ、意識するわよ」
空気が張り詰める。
だが、彼女は視線を逸らさなかった。
「でもね。ウルタールで分かったの」
一拍置いて、はっきりと言う。
「……私、あんた自身が好きだったわけじゃない。
あんたに『選ばれる側』になりたかっただけ」
ユリナが、はっとしたように顔を上げる。
カオリは自嘲気味に笑い、足元の銀色の草を蹴った。
「羨ましかったのよ。危ない時に助けられて、
特別扱いされて……。私自身を見てほしかったんじゃない。
この地獄みたいな場所で、
誰かにとっての『お姫様』って役が欲しかっただけ」
「……ダサいわよね。ほんと」肩をすくめる。
「カオリちゃん……
……私も、似たようなものかも」
ユリナが、消え入りそうな声で続けた。
彼女は自分の指をいじりながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「私、優しくされたらすぐ好きになっちゃうタイプで……。
でもそれって、結局、自分の不安を埋めてくれる、
『都合のいい誰か』を探してるだけなんだよね」
唇を噛みしめる。
「本当の意味で、相手が何を考えてるかなんて……
ちゃんと見てなかった」
マサトが目を丸くし、眼鏡をずらした。
「おいおい。それ、今の『都合のいい誰か』って……
俺も含まれてるか?」
「……うん。マサトくんも、優しくしてくれるから」
「……。……傷つくなぁ、それは」
正直すぎる答えに、マサトは肩を落とした。
けれど、すぐに小さく、どこか清々しそうに笑う。
「まあ……否定できないな。俺も、知識をひけらかして、
かっこいいところ見せたかっただけだ」
空を見上げる。
「こんな狂った世界に放り込まれるとさ、
何かに縋りたくなるんだよ。
『恋愛ごっこ』にでも逃げ込まないと、正気を保てない」
カオリが、深く、深く頷いた。
「分かるわ。……でも、ここは」
「……ああ」
マサトが言葉を継ぐ。
「ごっこ遊びをしてる余裕なんて、ここには一ミリもない」
その一言で、張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。
これは誰かを責めるための話し合いじゃない。
この悪夢の中で剥き出しになった、
自分たちの弱さや醜さと向き合い、それでも前に進むために、
折り合いをつける――そのための儀式だった。
そして俺は、無意識のうちに、
再びガイドちゃんの背中を見ていた。
彼女だけが、この輪の外に立っている。
選ばれなかった感情たちが、静かに地面へ落ちていく中で、
選んでしまった感情だけが、なおも重く胸に残っていた。
5.2 ちりばめられた思いが――収束する
カオリが、吹っ切れたような表情で俺たちを見回した。
「じゃあさ……
「今後の方針、決めましょ」
その声には、もう迷いがなかった。
「無意味な色恋沙汰は禁止。いい?
自分のエゴでパーティを壊すような真似は、
二度としないこと」
「同意」
ユリナが、珍しくはっきりとした声で言い切る。
「……生きて帰るのが最優先。恋愛とかは、
現実に戻ってから、いくらでもできるもん」
マサトも、軽く手を挙げた。
「賛成だ。今は全員、同じ方向を向くべきだと思う」
一瞬、場の空気が整う。
――だが。
「ただし」
カオリが、最後に俺を射抜くような視線を向けた。
「一つだけ、釘を刺しておくわ」
心臓が、嫌な音を立てる。
「選んだなら、最後までやりなさい」
言葉は、短く、鋭い。
「……あのガイドの子を、中途半端に期待させて。
最後に『やっぱり現実が大事だから』なんて言って切り捨てる。
そんな曖昧な結末だけは、絶対に許さない」
一拍。
「そんなことするくらいなら、私が今ここで、
あんたを崖から突き落としてあげる」
冗談めかした口調なのに、目は笑っていなかった。
胸の奥を、熱い杭で打ち抜かれたような衝撃。
「……分かってる」
俺は、視線を逸らさずに答えた。
「その覚悟は、もうできてる」
カオリは、しばらく俺を見つめ――やがて、ふっと息を吐いた。
「なら、いいわ」
そして、背を向ける。
「行きましょ。いつまでもお通夜みたいな顔してたら、
猫たちに笑われるわよ」
三人が、再び歩き出す。
その背中は、ほんの少し前よりも、
確かに逞しくなっていた。
少し遅れて、岩の上からガイドちゃんが軽やかに飛び降りる。
ひらひらと手を振りながら、いつもの調子で戻ってきた。
「終わりましたー?
いやー、皆様、ずいぶん熱弁してましたね」
「……ああ。色々、決着がついた」
「へぇ。なんか、急に空気が変わりましたね。
パーティの熟練度が一段階上がった、みたいな」
他人事のように笑う彼女を見て、
俺は苛立ちと、それ以上の悲しさを覚えた。
「……あんたも、入ればよかったんだ」
思わず、口をついて出る。
「蚊帳の外で見てるんじゃなくてさ」
「私はいいですよ」相変わらず即答だった。
「関係ないですから。私はただの添え物。
観光案内役です。皆様がどう成長しようと、
どう愛し合おうと、私の業務内容には影響ありません」
「……関係ある」声が、少しだけ低くなる。
「俺が選んだのは、あんただ」
「ない。ありません」
彼女は、俺を追い抜いて先頭へ歩き出す。
その足取りは軽やかで、迷いがない。
けれど、一歩ごとに、
俺との間に見えない壁が積み上がっていく。
「私は、道案内役です。それ以上でも、以下でもない」
その背中を見つめながら、俺はようやく理解した。
カオリたちは、自分の感情を言葉にし、
整理し、次へ進んだ。俺も、覚悟を決めた。
――けれど、彼女だけは違う。
彼女だけは、最初から「整理される側」に入ることを拒んでいる。
輪の中に立つことそのものが、
彼女にとっては「死」であり、「罪」なのだ。
誰よりも近くにいるのに、
誰よりも遠い。
それが、何より残酷で――
そして、どうしようもなく愛おしかった。
「……次は、どこへ行くんだ」
俺の問いに、彼女は振り返らずに答える。
「帰るための場所です」
一拍、置いて。
「……そして、あなたが
『選んだ代償』を支払う場所」
紫の風に、彼女の白いワンピースが静かに揺れた。
▶第6話へ続く
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