ドリームランドと観光ガイド(帰還不可) ――この世界、帰り道は恋の先――

NOFKI&NOFU

第01話 ドリームランドで目覚める――ガイドちゃん登場!

1.1 嬉しくない観光地に到着


目を覚えた瞬間、脳が現実を拒絶した。

――ああ、これ夢だ。それも、かなり質の悪いやつ。


視界いっぱいに広がる天井は、異様なほど高い。

黒檀のような光沢を放つ石壁は、磨き抜かれているくせに、

建築学を完全に無視した歪な角度で天へと伸びていた。


空気は氷のように冷たい。

それなのに、肺に吸い込むと妙に重く、甘い。


どこか遠くで、銀の鈴を転がすような音――

あるいは、正気を失った鳥の囀りにも似た音が、反響している。


そして何より異常なのは、空だった。

夕焼けでも夜明けでもない。

粘度を持った紫紺が、毒々しく天を覆っている。


「おはようございまーす! お客様、起きてくださーい!

 出発のお時間ですよー!」


鼓膜を突き破るほど明るい声が、真上から降ってきた。


「……誰だよ、朝っぱらから」


喉が焼けつくほど乾いている。無理やり舌を動かして声を出すと、

視界の端にやけに鮮やかな色が映り込んだ。


そこにいたのは、一人の少女だった。

年は俺と同じか、少し下だろうか。


膝丈の白いワンピースを揺らし、

場違いなほど人懐っこい笑みを浮かべている。


この異様な街並みの中で、

なぜか彼女だけが『正解』の存在のように自然だった。


「観光ガイドです! 本日の皆様の旅路を、

 真心込めてサポートさせていただきます!」


「……やっぱ夢だな。設定が雑すぎる」


「はい! 正解です!

 ここは夢の国、ですから!」


即答だった。


「早すぎだろ……もう少しこう、溜めとかないのかよ」


呆れながら身体を起こすと、周囲でも衣擦れの音がした。

冷たい石畳の上で、俺以外にも数人の影が身を起こしている。


「ちょっと! なによこれ!

 誰の悪ふざけ!? 隠しカメラ!?」


真っ先に叫んだのは、短髪を振り乱したカオリだ。

オカルト研究会のムードメーカー――というより、

トラブルメーカー。


彼女は立ち上がるなり、

スマホを探してポケットを叩いている。


「……え、なに……嘘……帰りたい……」


その隣で、長い髪を握りしめて震えているのはユリナ。

霊感が強い、なんて自称していたが、

今はその繊細さが仇になり、顔色は紙のように白い。


「はは、すげぇな。最新のVRか?

 解像度、高すぎだろ」


最後の一人、マサトは眼鏡のブリッジを押し上げ、

無理に余裕ぶった笑みを浮かべた。


理解不能な事態に陥ると、

理屈で自分を納得させようとする――こいつの悪い癖だ。


――見慣れた顔ぶれ。

オカ研のメンバーが、全員揃っている。


夢にしては、出来すぎている。


「えーっと! 皆様、お揃いですね!」


ガイドを名乗る少女が、一歩前に出た。

その足取りには、一切の迷いがない。


「改めまして、ようこそドリームランドへ!

 本日の観光案内を担当させていただきます、――えっと」


その瞬間、ほんの一拍。

瞬きよりも短い沈黙が落ちた。


彼女の視線が宙を泳ぎ、何かを探すように彷徨う。

俺は、彼女の瞳の奥に『何も映っていない』ような寒気を覚えた。


「……『ガイドちゃん』でいいです!

 そう呼んでください!」


「いや、今名前忘れただろ。省略すんな」


思わず突っ込むと、ガイドちゃんは一瞬だけ、

きょとんとした顔をした。感情の切り替え途中のような、

妙に無機質な表情。だがすぐに、満開の笑顔が貼り付く。


「名前なんて記号ですから!

 ここに長くいると、あんまり意味なくなるんですよ!」


「不吉なこと言うなよ……」


軽快な口調が、逆に不気味さを際立たせる。

そのとき、震えていたユリナが、縋るように問いかけた。


「あの……私たち、帰れるのよね?

 目が覚めたら、ちゃんと自分の部屋に……」


空気が凍りついた。

カオリもマサトも、息を呑んで少女を見つめる。


ガイドちゃんの笑顔が、一拍だけ止まる。


「……帰れますよ?」


滑らかすぎる返答。

だが、そこには先ほどまでの無邪気さがなかった。


「『ます』ってなによ! ちゃんと約束しなさいよ!」


詰め寄るカオリに、

ガイドちゃんは人差し指を唇に当て、悪戯っぽく微笑む。


「帰れる『人』は、帰れます。

 ドリームランドのルールを守って、

 最後まで観光を楽しめたら、ですけど!」


嘘は言っていない。だが、決定的な何かを隠している。


彼女の瞳の奥は、この紫色の空と同じだった。

底が、見えない。


「それじゃあ、案内を始めますね!

 迷子になると『中身』が入れ替わっちゃうので、

 私から離れないでくださーい!」


「さらっと怖いこと言うな!」



ガイドちゃんはきびすを返し、

スキップしそうな勢いで歩き出す。一度も振り返らない。

俺たちがついてくるのが、当然であるかのように。


「最初の観光スポットは――」


街角で立ち止まり、芝居がかった動作でこちらを指差した。


「『ほぼ死なない絶景スポット』です!

 運が良ければ、SAN値も削れませーん!」


「『ほぼ』ってなんだよ!!」

四人分のツッコミが、紫色の空に虚しく響いた。


怒るカオリ、怯えるユリナ、引き攣った笑いのマサト。

確信した。この夢は、異常なほど長引く。


そして、この天真爛漫な『ガイド』から目を離した瞬間、

俺たちの存在そのものが、この空に溶けて消える――

そんな予感がした。


「……行くしかないな」誰も、反対しなかった。


こうして俺たちの、

死ぬかもしれないドリームランド観光旅行が幕を開けた。





1.2 出発前――二人だけの会話


石畳へ足を踏み出す直前、背後でオカ研の面々が、

見事な不協和音を奏で始めた。


「ちょっとマサト! さっきから『VRだ』とか『脳の錯覚だ』とか、

 理屈ばっか並べて逃げないでよ!

 現実にこんな匂いのする夢、あるわけないでしょ!」


「落ち着けってカオリ。

 感覚の再現性は、脳内麻薬の分泌異常で――」


「もうヤダ……帰りたい……お母さんに会いたいよぉ……」


怒号、早口の現実逃避、そして嗚咽。

三者三様のパニックが絡み合い、

この紫色の世界で唯一『現実的』な騒音となって響いていた。


その喧騒から、ほんの一歩。俺の隣に、ふわりと甘い匂いが流れてくる。

花が枯れ始める直前の、どこか息苦しい香り。


「……ねえ」


ガイドちゃんが、いつの間にか隣に立っていた。

三人の騒ぎには目もくれず、濁った紫色の空を見上げたまま、

羽毛のように軽い声で言う。


「あなた、帰りたい?」


あまりにも無造作で、不意打ちの問いだった。


「ああ。当たり前だろ。こんな訳の分からない場所、

 長居したい奴なんていない。それに、俺はタツヤな」


「ふーん」


それだけ言って、彼女は笑った。

けれど、その視線は一度も俺を向かない。


空の向こうにある『何か』か、

あるいは彼女自身の内側に広がる空虚を見つめているようだった。


俺の答えを聞いているようで、実際には何の興味もない。

その残酷な無関心に、胸の奥がざらつく。


「……ガイドちゃんは?」


「私?」


一瞬、彼女の視線がこちらを射抜いた。

硝子細工のように綺麗で、けれど光を通さない瞳。


「帰りたいかどうかだよ。

 あんたにも、帰る場所があるんだろ?」


ほんの一瞬。

完璧な『観光ガイド』の仮面が、内側から軋むように揺れた。

唇がわずかに震え、何かを言いかけ――


「私は、観光ガイドなので!

 お客様をお守りして、案内するのがお仕事ですから!」


うん、即答だった。

継ぎ目のない、あまりにも完璧な笑顔。


それは誰かに向けたものというより、

彼女自身にかける強力な『呪文』のように見えた。


「変なこと聞くんですね?

 案内の邪魔をすると、延長料金いただいちゃいますよ?」


「……悪い。そうだな」


彼女は一歩だけ距離を取る。そのわずかな間隔が、

越えられない境界線のように感じられた。


「ねえ、タツヤ」


今度は、少し低く、冷えた声。


「ここではね、あんまり『大事なこと』を考えない方がいいよ」


「なんでだよ」


彼女は笑う。けれどその笑顔は、今にも壊れそうなほど……

必死に頬の筋肉を吊り上げているだけだった。


「考えるとね、世界が壊れるから」


冗談めいた口調。

オカ研の連中が聞けば、「設定凝ってるな」で済ませるだろう。

だが、俺は笑えなかった。


彼女が言ったのは、「世界が壊れる」じゃない。

――彼女を形作っている、この世界が壊れる。

そんな意味が、言葉の裏に透けて見えたからだ。


ガイドちゃんは、くるりと背を向ける。

さっきまでと変わらない、軽快なステップで。


「ほら、おしゃべりはおしまい! 行きますよ!」


その細い背中を見つめながら、

胸の奥をえぐられるような予感が走った。


――この人は、誰かに『自分』を見つけられることを、

恐れている。名前を呼ばれ、一個の人間として選ばれることを。


選ばれてしまえば、この「ガイド」という役割を演じられなくなる。

その先に待つのが帰還なのか、消滅なのかは分からない。


ただ一つ、分かってしまった。


この夢は、ただの夢じゃない。

誰かの絶望が形を成した、帰る場所を失った者たちの終着駅だ。



▶第2話へ続く

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