最終章 最後の戦い
朝早く宿を出て、馬で俺の故郷・アイヅを目指す。
十五時の休憩が終わった後、次の街の手前で遠くに雑木林を見つけた。
「なあおミッちゃんよ? 弟君が飛龍に乗ってやってくるとしたら……街中より雑木林の方が戦いやすいよな?」
「そうですね。飛龍を降りないと戦えなそうです」
「飛龍で上から神通攻撃されると厄介だし、会話もしづらいだろうからな」
「それに、街中だとアイツに強力な神通力を使われると、関係ない人を巻き込んでしまいます」
「じゃぁ、あそこで迎撃戦とするか」
「いいですね、そうしましょう」
「馬はこの木に繋いで……とりあえず赤ん坊も置いていくよ。足手まといだ」
「戦闘の巻き添えにしてもいけないですし、私たちが負けたときのことを考えると仕方ないですね……ちょっとだけお別れですよ、赤ちゃん」
おミッちゃんはそう言って赤ん坊を籠ごと草地に置いた。
俺たちは、草原を歩いて雑木林に入って、しばらく散策した。
「ふうー、もう紅葉が始まっているね。もうすぐ見頃だ」
「木もれ日が綺麗です。森林浴ですね♪」
「この半年ほど、こういうのと無縁で暮らしてきたよね」
「私たち、不幸でしたね」
そのまま、十五分ほどが経った。
「アイツ、来ました。林の手前で飛龍を降りて、こっちへ歩いてきます」
「まずは、会話が成立するかどうかだな……防御!」
俺とおミッちゃんの身体を光る梵字と漢字、五芒星が包む。
やがて、俺の耳にも彼の足音が聞こえる。
「……お久しぶりね、ケイジ」
「久しぶりだな、ケイジ君」
「久しぶりだね、姉さん、半兵衛先生……どうして僕を、悪鬼の皆を裏切ったんだい?」
ケイジ君の目が赤く光る。
「もう、復讐なんて終わりにしましょう……私たち、自分がされていやだったことを、他の人たちにもしているのよ」
「姉さん、それの何が悪いんだい? 目には目を歯には歯をだ」
「なあケイジ君。君はこんなことをしていて……幸せを感じることができるのかい? 俺は君らと一緒に戦っていたときは……焦燥感に駆り立てるような感じだったぜ。他人を痛めつける喜びには満ちていたけど……幸せではなかった」
「先生」
「なんだ?」
「邪魔です」
ケイジ君の右手が赤く光ったと思ったら、火球が俺の目の前で爆発した。
「うおっ」
俺は吹き飛ばされて、ブナの木に激突した。
くそっ、熱いし痛いぞ!
「先生、大丈夫ですか?」
おミッちゃんが駆け寄る。
「回復!」
俺はブナの木によりかかりながら神通力を使った。
「先生には感謝しています。悪鬼軍の勝ちパターンを構築するのに多大な貢献をしてくださった。あなたは我が軍の軍師でした……でも、今はただの裏切り者です。排除するのみです」
「逆回復! 逆回復! 逆回復!」
三連続で反撃を試みるも耐久されたっぽい。
くそっ、質量解放を打つか?……ダメだ。あれは若い頃迷宮で修行を積んでいたときに上級悪魔に一、二割の確率で耐久された。このケイジ君には通用しないだろう。そしてあれは派手に爆発が起きる神通力だ。いたずらにケイジ君を刺激するだけだ。ひとまずはおミッちゃんの説得に期待するほうがいい。
一瞬そんなことを考えた隙に、もう一発火球が飛んできた。俺は火球と背中のブナの木に挟まれて、大ダメージを受けた。
「回復!」
逆回復を打てる回数が減ってしまうが、だいぶ神通力を消費しなくてはならない深手だ。
「ケイジ、もう止めて! わたしたち、こんなこと止めるのよ!」
そう言って、おミッちゃんは弓をケイジ君に向けた。
おミッちゃんがぎゅううっと弓を引き絞ると、光が集まってきて矢が構築される。
「ふ……ふふふ……姉さん、僕を殺せるのなら殺して構わないよ。他人に殺されるよりずっといい……いや、生きていることそのものよりもずっといい」
そう言って、ケイジ君はゆっくりとおミッちゃんに歩み寄った。
おミッちゃんは撃てない。
ケイジ君は笑顔でおミッちゃんを抱きしめた。
「姉さんは裏切り者だけど、殺すわけにはいかないんだ。だって、純血の南方を産めるとしたら、姉さんしかいないからね」
スゲエことをさらっと言ったな。
「嫌だ! 私、そんなの絶対嫌!」
「知ってる。僕らの子供は奇形になる確率が高い。僕は奇形が生まれたら何度でも殺して産みなおして貰えばいいと思えるけど、姉さんはそうは思えないよね。それが男と女の違いだ。だから言えなかった。今言ったのは……どうせ忘れて貰うから言ったんだよ」
ケイジ君がそう言うと、おミッちゃんとケイジ君が輝きだした。
「姉さん、忘れるんだ。先生と共に戦った日々を」
「させるか!」
俺はそう言って、ケイジ君の後頭部に宝杖を叩き込んだ。
しっかりした手応えはあったが、あまり痛そうな雰囲気じゃない。
「もう終わりましたよ。先生は容赦がないなぁ……術中に後頭部を殴るだなんて。僕が悪鬼になっていなかったら死んでたかもしれない」
「あれ……ここはどこ……あ、ケイジ。なんで私抱きしめられてるの?」
「姉さん、南方は滅ぼし尽くされてしまったね」
「ええ……うん、そう……そうだった……」
おミッちゃんの眼の色が赤くなる。
「この人が誰だか分かる?」
「えっと……半兵衛先生?」
「そうだよ。半兵衛先生が僕らの島に来て色々なことを調べて、スンプに帰って、その後に将軍の軍隊がやってきて南の島族を滅ぼした」
あー。嘘は言っていないね。
「!」
おミッちゃんは俺に向けてぎゅっと弓を引き、矢を構えた。
なるほど、ケイジ君に手加減されてる気がしたが、おミッちゃんに俺を殺させたかったのか。
おい、この至近距離で心臓を狙っているのかよ。俺も終わりだな。
最後に言いたいことを言わせて貰おう。
「おミッちゃんと過ごした時間、楽しかったよ。特に最後の二日間はね。ありがとう」
弦から手を離すおミッちゃんの眼が、光を失って黒くなった。おミッちゃんは弓の角度を変えようと体をねじる。
ドスッ。
俺の左胸を矢が貫いて、俺を立ったままブナの木に縫い付けたが、心臓は外して貰えたようだ。
「ぐはっ」
口から鮮血が出る。
おミッちゃんは一瞬泣きそうな顔になったが、毅然とした顔になって駆け寄ってきた。
おミッちゃんが俺の胸の矢を握りしめた次の瞬間、矢が消え去って、俺はずるずると座り込んだ。
もうろうとする意識の中で「ごめんなさい」と言われた気がした。
謝らなくてもいいよ。怒ってないから。
おミッちゃんの手が光って、俺の胸を暖かな波動が走った。
ああ、回復神通は気持ちがいいなぁ……俺は少しうっとりした。
俺たちを睨むケイジ君の目が青白く光っている。
うわっ、コイツ怒ってる。すっげえ怒ってる。
ケイジ君が俺の顔に掌を向けた。掌が青白く輝いて、俺の視界が青白で一杯になった後。
一瞬だけすさまじい寒さと痛みを感じたが。
急に真っ暗になって、凄く静かになった。
暗いんじゃない。闇さえない。何もない。
俺は死んだのか。
あの牢獄で死んでしまったほうが良かったな。まあ結果論だけど。
上から何か降ってくる。
ああ、バラの花びらだ。白、黄、赤、ピンク、オレンジ、紫のバラの花びらが、輝きながらたくさん降ってくる。
白い光の塊が輝きながら、真上から俺めがけて降りてくる。
……お糸さん?
「あなた、お疲れさまでした」
懐かしい声がする。薔薇の匂いがする。左手を暖かいもので包まれている。妻の両手だ。
いつの間にか横たわっていた俺が目を開けると、妻の優しい顔が見えた。
「俺は……死んだのか? ここは?」
「煉獄です」
俺はたくさんの薔薇の花に囲まれていた。
「天国には行けないかと思っていたけど、地獄に行かずに済むとは思っていなかった」
「いえ、このあと地獄行きですよ」
「ああ……やっぱなぁ……」
「悪鬼になる前に、私よりも正義を選んでくださったの、ちゃんと嬉しかったですよ。理解のある夫です」
妻の顔が近づいてくる。瞳と瞳で目線が合った。
俺はただ目を閉じた。唇に優しく柔らかいものが押し当たる。
幸せに満ちた気持ちでそれを貪る。気持ちいいが、もう性的な高ぶりは起きない。
それが終わると、妻が語りだした。
「私は極楽に居たんですが、貴方が地獄に落ちると言われて。菩薩様にゴネてゴネてゴネまくったら……会うことだけは許されたんです」
「そうか……ありがとう。苦労をかけたね。……このバラは?」
「貴方が私のお墓にお供えしてくれたバラですよ。全部受け取って、極楽で栽培してました。あ、毎日お茶もごちそうさまでした! 寝る前のキスも嬉しかったです。……あなたにバラを見せたいって言ったら、菩薩様たちに煉獄へのバラの移植を手伝って貰えたんですよ」
起き上がると、バラの園の向こうには、家らしきものまである。
「すまんなぁ……おい、そんなことより君はずいぶんゆったりした服を着ているな。まるで……君、もしかして?」
「はい、そのもしかしてです! あなたが報告書を書いていた頃に授かりました。私たちの赤ちゃん……ここにいますよ」
俺はすさまじい歓喜に包まれた。
「お腹を撫でさせて貰っていいかい?」
「撫でてください。嬉しいです」
俺は、妻のお腹を撫でた。
こ、これは……なんという幸せな心地だ。お糸さんも子供も大切で仕方がない。愛しくて仕方がない。
「邪魔なら女子供も皆殺しか……酷いことをしている自覚はあったが……その意味と重さを今初めて思い知ったよ」
「天国から見ていて、無茶苦茶だと思っていました。地獄で償ってくださいね。自分の行為への反省と、殺した人への祈りとともに」
「うん、そうだね……もっと他にもやるべきことが幾らでもあるだろうね。時間をかけて一つずつ見つけて、永遠の時間を使ってそれらを全部やり遂げるよ」
そう俺が言うと、妻はニコニコと笑っている。
「会うことができてよかったです」
俺は妻を抱きしめ、お腹を撫でて言った。
「良かった……はじめまして赤ちゃん、俺がお父さんだよ」
妻が俺の後頭部を撫でながら言った。
「そろそろお別れです」
俺も妻の後頭部を撫でながら言った。
「最後に会えてよかったよ」
おミッちゃんの人生はどうなるのだろう。また悪鬼の軍団長に逆戻りなのか。それを止められる日は来るのか。
まあいい。もう俺はあの子の人生に介入できないし、何より、世界で一番大切な二人が目の前にいるのだ。余計なことを考えるのは止めよう。
妻から少し体を離して瞳と瞳で見つめあうと、自然にお互いに笑顔になった。
性欲がなくなってもキスは楽しいものだな。
「半兵衛さん、愛しています」
「お糸さん、愛している」
生きている間に愛し愛された。それがあっただけで、俺の生は生きるに値した。
そう思った瞬間、幸せすぎて頭が真っ白になって、俺の双眸から熱いものがたくさんこぼれはじめた。
(終わり)
復讐の果てに見えた景色 掬月 @kikugetsu
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