第三章 復讐の矢
もう生きている理由は見当たらない。でも、死なずにいれば何か見つかるかもしれない。
そう信じて牢獄生活を送っていたが。
ある夜、思わぬ来客があった。
「半兵衛先生、お久しぶりです」
牢獄の中で女の子の声を聞くとは思っていなかったので驚いた。
「南方の民のミツです。貴方が親しくしていた漁師の娘です。貴方を助けに来ました」
ああ、あの子か。妙に懐っこかったから、よく覚えている。だが何故あの子がここに。
「私、将軍の魂を支配しました。そうしたら、先生が南方を守ろうとしてくれたこと、そのせいで奥様を亡くされたこと、そして先生がここに囚われていること、全部分かったんです」
そう言ったおミッちゃんが牢獄の扉に触れると、いとも簡単にそれが開いた。南方の民は、軽い物なら触らなくても動かせる。鍵を開けるのはお得意だ。だから、卑しみを込めた泥棒族などというあだ名もある。彼らは決して泥棒などしないから授けられたであろう能力なのに。
「歩けますか?」
「大丈夫。牢の中を歩いていたし、段差で踏み台昇降、筋トレだってしていた」
暗い牢獄を出て、階段を上がって、廊下を歩くと、そこら辺にたくさん衛兵が死んでいる。みな頭を二本の矢で射抜かれている。恐らく一本目は遠距離から、二本目は止めに至近距離で。むせかえるような血のにおい。
「衛兵は、みんな私が一人で殺しちゃいました」
おミッちゃんは楽しそうに言う。
「おい、冗談だろう? 二本とも兜を射抜かれてる奴がゴロゴロいるぞ。そんな短弓でなぜそんな威力がある? 二本目はとどめのため、楽にしてやるためなのは分かるが、なんでこんなに矢がたくさんあるんだ?」
そう言うと、おミッちゃんはニコッと笑った。
「先生、私を見てください。矢なんて一本も持っていませんよ? こう弓を構えて弦を引っ張ると……」
弓に光が集まってきて、矢が構築された。
「はい、シュート!」
矢が放たれると、それは自由落下の法則に従わず真っ直ぐに飛んで、遠く離れた廊下の燭台を叩き落とした。驚愕しかない。
「はいはいはい、先生、もう行きますよ」
歩けば歩くほどに死体が増える。
「はい、将軍の居室に着きました。ようやく明るいところに来ましたね」
そう言って振り向いたおミッちゃんの顔を見ると、瞳の色が焦げ茶から赤に変わっていた。目つきも明らかにおかしい。自分で何かを考えている人の目つきじゃない。思考停止している人……いや、同じことをグルグル考えている人の目つきだ。
「助けて貰っておいてなんだが、君は何人の衛兵を殺した? 彼らにも家族があると……分かっているよな?」
「ええ、よく存じています。殺される覚悟がある者だけが殺すことができる……それを理解するには十分すぎるほど、南方の民は殺し尽くされました……先生、私たちを助けてくれませんか」
「お、おう、俺が南方に何かできるのかい?」
「あら嫌だ。私たちって……悪鬼のことです。私は鬼王と契約して悪鬼の軍団長になりました。南方は私と弟以外、全滅です。根絶やしにされました……いえ、私と弟で結婚すれば根絶やしじゃありませんが、それは嫌なので」
「悪鬼!?」
「はい。悪鬼です。私は強大な力を得て人間をやめました……復讐のために。先生にもこの強大な力、分けて差し上げても良いのですよ」
この子は明らかにおかしくなっている。何かに乗っ取られているみたいだ。
でも、俺もその力が欲しい。この子の『魔弓』はその力の一つだろう。妻の仇を取れるならば、何かに乗っ取られるのも悪くない。
「ふうん……分かった。俺にもその力、くれよ」
「じゃぁ、私と手を繋いでください」
「おう」
おミッちゃんに両手を差し出すと、両手を繋がれた。
「お…お……お お お!」
こ れ は ! なんという強大な意思!何もかもが憎い! 宇宙も輪廻も憎い! 妻を殺したこの法理を丸ごと滅ぼしたい! 何もかもを虚無に帰したい!
しまった、これに乗っ取られるのはダメだ! 何をさせられるか分からない!
すでに脳を侵食されかけているが……『俺』を残さなくては! 俺は心を無にして『侵食しきった』ように強大な意思を誤解させることにした。
「お…あ あ゛あ゛」
がくり。俺は膝をついた。
やがて、侵食が終わった。俺は……俺はまだ残っているのか?
「あら、半兵衛先生。ずいぶんイケメンに成られましたよ。そこの洗面台でご覧になってください」
言われたとおりに鏡を見ると、かつて焦げ茶色だった目が、右目はおミッちゃんと同じ赤色をしていた。右脳は乗っ取られたようだ。左目は鷹のような金色の目だ。こちらはまだ少し俺が残っている。
よし、そうと分かればさっそくお仕事だ。
「おミッちゃん、将軍が南方を滅ぼすように仕向けた人物がいるんだ。丞相・秀成。俺の妻を捕らえたのも秀成の仕業だ。将軍を駒として生かすなら、まずは秀成を討とう。邪魔を討つことにもなるし、復讐にもなる」
「はい……将軍の記憶でいちばんの主戦派ですね」
「そうだ。南方は危険だと、あることないことを、民衆から将軍にまで吹き込んでいた男だ」
スンプ城から飛龍に乗って丞相の館を目指す。高度を上げて、飛龍の羽ばたきが地上から聞こえないようにする。
丞相の家の真上に来たので、羽ばたきをやめて急降下させる。
地上へ着く直前に、羽を広げさせて減速。すさまじい加速度がかかるが、今の俺たちは悪鬼の肉体だから耐えられる。そのまま羽ばたかせて、上階のテラスから進入した。
もちろん、番兵は上階にもいる。そいつらが駆けつけてくる。しかし地上よりは手薄だ。
最初に駆けつけてきた二人のうち、一人はおミッちゃんの矢に射抜かれ、一人は俺の神通火球を食らって吹き飛ばされた。
俺のほうは手加減したから死んでない。俺は番兵の記憶を検索した。
たちまち、屋敷内の見取り図と、丞相の寝室の場所が分かる。
番兵は用が済んだので、神通で心臓を破壊して殺す。
屋敷内の警備だから、弓兵がいない。二人一組で行動しているのを、アウトレンジから更に三組殺しただけで、丞相の寝室にたどり着いた。
丞相の寝室内は、明かりが灯されていた。
「ほう、誰か侵入したかと思やぁ……賢者どのだったがね。よう来なすった。番兵の断末魔が、何べんか聞こえたわい……わしを殺しに来たんだに? うん! 分かっとったでよ! わしは賢者どのに殺されてもしゃあないことをしたの……分かっとったでよ! ほうほう、鬼みたいな赤い瞳だがねぇ……ほれで、その娘っ子は誰だがや?」
おミッちゃんが弓を引き絞る。
「南方の、たった二人の生き残りの片方です。お覚悟!」
丞相は、破顔して笑った。
「ほうほうほう、ほいじゃあ、かわええお主にも殺されてもしゃあないってことだがねぇ? だが残念、この秀成、首ぁひとつしか無えんだわ。お主ら、ケンカすんな……よ!」
『よ』と叫びながら、丞相は俺をめがけて日本刀で斬りかかってきた。若い頃は剣豪として名を馳せていたというのは本当か。なんという早い足さばき。縮地か!
この疾さでは神通力は使えない。俺は右手の宝杖を振り上げながら、全力で前に突進した。丞相の胸ぐらめがけて頭突きを狙う。
日本刀を宝杖で受けようとしたが、宝玉ごと叩っ切られた。でも日本刀の軌道を逸らすことはできた。丞相の斬撃は、俺の頭を割る代わりに、俺の左腕を切り落としただけで終わった。俺は丞相に体当たりを食らわせて、そのまま全体重を丞相に乗せて、床へ倒した。
「あちゃー、死ぬつもりゃこれっぽっちも無かったが……もう仕舞いだがねぇ。ありがたいがや、老いでも病でものうて、戦場で死ねるなんて。やりたいことを、やりたいようにやり切ったで、悔いのない人生だったわい。あとは地獄を涅槃にできるかどうか……」
ドスッ。
おミッちゃんの矢が、丞相の頭を射抜いた。
ああ、おミッちゃんに美味しいとこ持ってかれた。でも俺一人だったら、悪鬼化してなお容易に殺されてた。人間のままだったら全く勝負にならなかったろう。
「先生! 先生! 大丈夫ですか!?」
「ああ、死んでないよ。それに、日本刀の切れ味の良さが幸いするだろう。ちょっと、俺の左腕の切断面を見てくれ」
「あっ、すごい真っ平らです! これならたぶん回復できますよ!」
そう言って、おミッちゃんは俺の左腕の二つの切断面を一つに合わせた。
「よし、そのまま押さえてくれ……回復!」
俺が神通力を使うと、見事に左腕が癒着する。かなり出血したが、失った血が体内に蘇ったのも分かる。
「よし、引き上げよう。目的は達した」
おミッちゃんは、将軍の居室に住み、将軍を操るという。
俺は、自宅に戻った。
妻がバラ園を護ってくれたのは無駄にならなかった。
妻亡き後は友がバラ園を護ってくれていた。
俺は、毎日朝六時に起きて、亡き妻の肖像画に祈り、七時に開く職人向けの茶店で朝食を食べ、掃除や洗濯などの家事をこなし、そのあとバラを丹精するようになった。ゆっくり時間をかけて、妻を愛でるようにバラを愛でる。
『あの力』を得てから、バラの声が聞こえるようになった。水が足りません、とか肥料が欲しいです、とか。
その要求に応え続け、お腹が空いてお昼ご飯が欲しくなる頃に、ちょうどやることがなくなる。
そうしたら、街の大衆食堂で昼食を食べる。
そのあと、妻が眠る墓地へ行って、バラを一本捧げて、彼女のために祈る。
家に引き上げて、おやつの時間になると、煎茶を淹れる。
どうしても二人前を淹てしまうのは愚かなのだろうな。
食卓の上に煎茶と煎餅を二人分並べ、妻のぶんの向こうに、妻の肖像画を置く。
そして、頭の中で、自分が作りだす彼女の幻影と会話する。
(わたしがお茶を淹れて差し上げたいけど、できなくなってしまいましたね)
(居てくれるだけで嬉しいよ)
(今日も煎茶が美味しいです! ……飲んでないですけど、ちゃんと飲んでいますよ)
(今日のは少し渋くないか?)
(どっしりした飲み応えですね)
夕ご飯は街の割烹で食べる。自炊すると、つい二人分作ってしまうから三食とも外食になってしまった。
帰宅して入浴し、寝る直前に妻の遺毛が入った印籠に口づける。
「おやすみ、お糸さん。今日も見守ってくれてありがとう」
外でメシを食っていると、庶民の噂話が聞こえる。
「税金も賦役も重くなった」
「スンプ城で衛兵がたくさん死んだらしい」
「スンプ城は悪鬼に支配されている、と出入の業者が言っている」
「将軍は、鬼王に魂を売り払ったんじゃないか」
そのような『本当』を『噂話』として聞くのは、むず痒い。
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