復讐の果てに見えた景色

掬月

第一章 甘き日々

「貴方、三時ですよ。お茶にしてくださいな」

五月のある日、スンプの我が家の俺の書斎に、妻が茶器を抱えて入ってきた。


「うん。ありがとう。そうする。今日のお茶はなんだい?」


「新茶です。シミズの一番茶です」


「俺が居ない間にずいぶんいいものを飲んでいたじゃないか」


「嫌ですわ、半兵衛さん。さっき袋を空けたばかりですよ。いいものが手に入ったので、一緒に飲みたくて取っておいたんです」


俺は報告書を書くのをやめて、事務机を離れて七歩ほど歩いて食事用のちゃぶ台の前に結跏趺坐で坐った。


「もう、またその坐り方……まぁ、家ならいいですけど、外でやられると恥ずかしいです」


「済まないなぁ。でも、コレが一番、食べものの味がよく分かるんだ……」


「ほんにまぁ、半兵衛さんは変わりモンじゃぁ……もう少し待ってくださいね」


そう言って懐中時計を眺める妻の横顔が美しい。

つい見とれていると、やがて妻はそっと動きだして、急須の中身を静かに湯呑みに注ぎだした。


新茶のよい香りが鼻腔をくすぐる。

「旅の間、お糸さんには寂しい思いをさせたけど、おかげでいい報告書が書けそうだ。でも、まずいんだ……いただきます」


俺はお茶を口に含んだ。微かな苦みと、旨味のような甘味のような味と、一番茶ならではのふくよかな香り。

「あら、どうかなさったんですか?……いただきます♪」


妻もお茶を飲んだ。

「あら、これ凄く美味しいです~」


「ホントにね~」


俺たちはお互いに笑顔になった。妻の花のような笑みを見ると、結婚して一年以上過ぎた今でも俺の胸はときめく。


「南方の民は、確かに不思議な力は使える。でも気質は穏やかで、無害だ……そんな報告書を依頼人の丞相が受け取ってくれると思うかい?」


「えっ、街の皆さんはもう『南方は滅ぼすべき』なんて仰ってますよ……私もなんとなくそう思ってましたし。違うんですか?」


「ああ。現地で彼らと触れあったら、俺たちがどれだけ歪んだ情報に踊らされていたか分かった」


「ふーん……噂って怖いですね。やっぱり、自分の目で見ていないものを信じるのは一番まずいですね……あ、貴方宛にお手紙来てました」


そう言った妻から手紙を受け取り、開封する。

「うん……準備が整った。君には旅に出てもらう。身を隠すんだ。何ヶ月かかけて追っ手をまきながら、俺も後から追いつく。ツガルの小さな村にその場を用意した」


妻は驚いた顔をした。

「えっ、身を隠す……ですか? しかも、私の故郷でもなく、貴方の故郷でもなく、知らない村へ?」


「やばいんだ。この報告書は確実に受け取りを拒否される。だが、南方への進軍は止めなくちゃいけない。だから、俺はこれを何としても賢者会議で発表しなくちゃいけない。でも、丞相はあらゆる手を使ってそれを妨害するだろう。例えば、君を誘拐して俺を脅迫したりしてね」


妻は真剣な顔をした。

「なるほどです……万事了解しました」


そして、悲しそうな目をした。

「貴方が居ない間、バラ園を頑張って護りましたが、捨てて枯らすしかありませんね……」


「すまん。こんな仕事を引き受けた俺が馬鹿だった」


「ふふ、貴方も嘘がつけない人ですね。嘘の報告書をでっち上げることができないなんて」


「すまん! そのせいで君を危ない目に遭わせてしまう!」


「何を言っているんですか、そういう貴方だから好きになったんです。私の保身のために無実の人たちを殺させるような人は願い下げです!」


そう言った妻の顔がたまらなく優しくて甘い。

「ありがとう……その、なんだ、お別れするまで何日かある。だから、君と久しぶりに甘い時間をたっぷり過ごしたい」


「私もです」


そう言った妻は、瞳と瞳で視線を合わせてきた。俺はわざと視線を外した。


「どうなさったんですか?」

妻がいぶかしげに問うので。


「奥さま、その前に寝室へ移動したいのですが」

と答えると。


「わあい、私も賛成です!」


と妻は歯を見せて笑った。


無邪気で素朴な田舎娘なのが、スンプで俺と暮らしても変わらないのが嬉しく愛しい。

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