黒ノ聖夜 BLACK SANCTION04
園辺良子は身じろいだ。
夜行バスは、予想以上に過酷だった。
トイレのすぐ横の最後列。リクライニングは「後ろが壁だから」という理由でほとんど倒せず、誰かがトイレに立つたびに足元の床がぎしっと揺れて目が覚めた。
何より最悪だったのが、車内のあちこちから聞こえてくる重低音のいびきだ。
たまらずバッグから、愛用の白い充電ケースを取り出し、ワイヤレスイヤホンを両耳にねじ込んだ。
軸の部分を長押しして、ノイズキャンセリングモードを起動する。世界からスッと雑音が消え――安眠が手に入る、はずだった。
『ポロロン……』
無情な電子音と共に、ノイズキャンセリング機能が解除された。
充電し忘れていたケースは、とっくに空っぽだったらしい。
「……最悪」
ドッと押し寄せてくる走行音といびきの大合唱に、良子は絶望して天井を仰いだ。
結局、ろくに睡眠を取れないまま、バスは冬の朝焼けの中を走り抜けていった。
やがて、車内の照明がつく。
「まもなく終点、XX市バスターミナルに到着します――」
アナウンスに、良子はぼんやりした頭を無理やり起こした。
「……首、死んでる」
がちがちになった首をひねりながら、よろめくように外に出る。
キンと冷えた空気が頬を刺す中、バスに預けていたキャリーケースを受け取ると、良子はゆっくりと周りを見渡した。
吐いた息が白く広がって、あっという間に消えていく。
バスターミナルは、思ったよりもこぢんまりとしていた。地方都市の玄関口、といった趣だ。ロータリーの向こうに、XX市の駅舎と商業ビルが並んでいる。
駅前の街路樹には、白と金のイルミネーションが巻きつけられていた。頭上には小さなベル形のライトが連なり、まだ薄暗い朝の空気の中で、ぽつぽつと控えめに灯っている。
「……普通、だなぁ」
パンデミックが世界を震撼してから五年。そして、四年前に「パンデミックを完封した奇跡の街」として全国ニュースに何度も取り上げられた場所――という前情報のせいか、もっとやたらピカピカの再開発エリアを想像していたのだが、目の前に広がっているのは「ちょっときれいめな地方都市」くらいの光景だった。
イルミネーションも、都心のような派手さはなく、どこか手作り感のある素朴なものだ。
「ちょっと肩透かし、かな」
良子はキャリーケースを転がしながらロータリーをぐるりと回る。
駅前広場の掲示板には、市長の笑顔のポスターが貼られていた。
『安心・安全のまちづくり XX市長
パンデミックの当時、「奇跡の街の市長」としてテレビでも見たことのある顔だった。
大きな笑顔の横に、小さく「当時の対応が評価され、全国自治体功労賞を受賞」と書かれている。
「はいはい、奇跡の市長様ね」
良子はぼそりと呟き、マフラーを巻き直した。
まずは荷物を置く場所の確保だ。昨夜ネットで予約した安いビジネスホテル。チェックインは午後だが、フロントで荷物ぐらいは預かってくれるだろう。
ただ、安いだけあって立地も悪く、駅から二十分ほど歩かないといけないらしい。
タクシーを使うか少し迷ったが、経費はおりなさそうなので、仕方なく歩いて向かうことにした。
スマホの地図アプリを頼りに、良子はキャリーケースを転がしながら歩き出した。
◆◆◆◆◆
駅前の大通りを抜けると、すぐに生活感のある街並みになった。チェーンの飲食店、古くから続いていそうな個人商店、コンビニ。
――どこにでもある至って普通の街だった。
「……四年前は、ここがニュースでいっぱい映ってたのかぁ」
信号待ちのあいだに周囲を見回す。街路樹の枝には、さっき駅前で見たのと似た白い明かりが、ぽつぽつと灯っていた。夜になれば、そこそこきれいなのだろう。
風に揺れ、剥がれかけている電信柱のポスターが視界に映った。
良子は近づき、両手でぐっと電信柱に押し付けた。粘着が回復するわけではないけれど、これで少しはマシだろうか。
よく見てみると、それは人探しのポスターだった。
「そういえば、SNSで『家出』がどうのこうのってたくさん見たなぁ。……何もわざわざこんな寒い時に家出しなくても良いのにね」
投稿された内容を思い起こしながら、ポスターをじっと見てみたが、そこに載っていたのはお爺さんの写真だった。
「これは……家出とは関係なさそうなポスターね」
随分前から貼られているのであろう色あせたポスターが、探す側の時間の長さを思わせ、良子は目を伏せた。
良子は踵を返して、元の進路に戻ろうとしたその時――ふと、道の反対側を黒いワンボックスカーが走り抜けていったのが目についた。
窓ガラスは濃いスモークで中は見えない。別に珍しい車でもないのだが、眠気のせいか、良子は妙にその後ろ姿が気になった。
「……考えすぎ、か」
自分で自分の頬を軽くぺちんと叩く。
地図アプリの案内に従って曲がり角をいくつか抜けると、目当てのホテルが見えてきた。
看板には、少し色あせた文字で『ビジネスホテル・ルミナリエXX』と書かれている。が、その外観はどう見ても「昔は別の用途だった建物」だ。壁面には、かつてネオンを取り付けていたであろう土台の跡が残り、建物全体がなんとなく甘ったるいピンクがかった色をしている。
一階部分が吹き抜けの駐車場になっており、その奥にエントランスがある構造のようだ。
「……これは、あれだな。元ラブホだな」
思わず小声でツッコミを入れながら、自動ドアをくぐる。
ロビーは、それなりにビジネスホテルらしく改装されていた。フロントカウンターの後ろには「WELCOME LUMINARIE」と書かれたプレートと、これまた色あせたクリスマスリースが飾られている。
フロントの中年女性が、にこやかに頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
「あの、チェックイン前なんですけど、荷物だけ預かってもらえますか?」
「はい、お預かりできますよ。お名前をうかがっても?」
手続きを済ませて、キャリーケースをフロントに預ける。ついでに、周辺の地図と飲食店のチラシももらった。
「お仕事でいらしたんですか?」
「ええ、ちょっと取材で。パンデミックを乗り越えた『奇跡の街』の今を見に来まして」
そう言うと、フロントの女性は一瞬だけ表情を曇らせた。だがすぐに、営業用の笑顔に戻る。
「まぁ……あの頃は、本当に大変でした。今はもう、落ち着いて、普通の街になっておりますけどね」
「市長さんのご尽力とか、いろいろあったみたいですね」
「ええ、市長さんもですけど……当時、市立病院の院長先生が本当に、身を削るように頑張ってくださって。皆さん、今でも感謝してますよ」
さらりと出てきた「院長先生」という言葉に、良子の耳が反応した。
「テレビでは市長さんしか見ませんでしたね。その院長先生というのは?」
「当時、感染対策を率先して推し進めていただいて。でも、もう亡くなられて五年近く経つんですね……早いものです」
「亡くなられた? この街、感染者による死亡者はゼロじゃなかったんですか?」
不穏なワードに、良子は思わず食らいついた。
女性はそこで、ふっと目線をそらした。
「詳しいことは、私なんかが勝手に言うのもよくないので……すみません」
「あ、すみません。根掘り葉掘り聞くつもりじゃなくて……」
気まずくなりかけた空気を、ごまかすように良子は笑った。
「と、とりあえず今日は市役所の広報の方にお話をうかがって、それから街を一回りしようかなって思ってます」
「そうですね、市役所なら、駅前をまっすぐ行って二つ目の大きな交差点を左に曲がればすぐですよ」
女性はていねいに道順を教えてくれた。
「チェックインは十五時からになりますけど、お戻りは何時頃になりそうですか?」
「夕方には戻ると思います。よろしくお願いします」
頭を下げてホテルを出ると、良子は小さく息を吐いた。
「……院長先生、ね」
手帳に「感染対策立役者、五年前に死亡」とメモを残し、良子は教えられた道順を思い出しながら駅前方面へ歩き出した。
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