黒ノ聖夜 BLACK SANCTION

さわやかシムラ

黒ノ聖夜 BLACK SANCTION01

※本作はフィクションです。作中に登場する感染症や医療行政の描写は、すべて架空の設定に基づいています。


◆◆◆◆◆


 二十畳はあろうかという部屋の片側半分は、クリスマス用のラッピングが施されたプレゼントの箱で山のように埋め尽くされていた。

 残り半分のスペースには、高さ三メートルはありそうな電飾付きのツリーと、アンティーク調の棚やテーブル、ソファーがゆったりと配置されている。


 赤いコスチューム――サンタクロースの衣装に身を包んだ細身の金髪男性が、タブレット端末を片手に、倉庫の在庫を確認する係のように、プレゼントの山を静かにチェックしていた。


 そのとき、乱暴に開かれた扉の音とともに、ひとりの騒がしい男が部屋へと舞い込んできた。


 頭には黒いサンタ帽。白い襟ボアがついた黒いレザージャケットに、黒のジーンズ。首元と腰にはチェーンのアクセサリーが光を放っている。

 その男は身体を抱き込むようにして肩を震わせ、カチカチと歯を鳴らしながら部屋の奥へと進むと、テーブルの上に置かれていた丸いクッキーをひょいとつまみ、ためらいもなく口に放り込んだ。


「さみーさみー! おぉー、おい、クラウス! このクッキー美味いな!」


 黒い男はポロポロと欠片をこぼしながらクッキーをかじる。


 赤いサンタ服の男――聖成せいじょうクラウスは、こめかみに指先をあててうんざりしたようにため息をつくと、ゆっくりと振り返った。


「勝手に食べるな、クロウ。それは朝から行列に並ばないと買えない貴重なクッキーなんだぞ。知ってるか? 『パティスリー・ミロワール』の『ディアマン・リュヌ』。上質な素材にこだわった逸品で有名なんだが。ああ、あと――欠片をこぼすな。ちゃんと掃除しておけよ」


 夜咎よるとがクロウは「へいへい」と生返事をしながら、もうひとつクッキーをつかんで、ソファーへとどさりと身を沈めた。

 だらしなく背もたれに身体を預け、クッキーをかじる。

 ポケットからスマホを取り出すと、SNSのアプリを立ち上げ、片手で適当にスワイプしはじめた。


「今日も街は物騒ですなぁ」


 クロウがスマホをスクロールしながらぼやく。口の端からクッキーの欠片が床にぱらぱらと落ちた。


 クラウスはプレゼントの山へと向き合ったまま、背中越しに聞こえるクロウの声に軽く目を伏せて頷く。


「師走で交通事故も増えているし、少年少女の行方不明事件も多発――家出して繁華街で遊んでいるなどと言われているが、そんなニュースも事欠かない。……明るい話題も欲しいところだな」


 ため息をついて、軽く頭を横に振る。クラウスはふたたびプレゼントの山へ視線を戻した。


「そんなことより、お前もプレゼントの準備を手伝え、クロウ」


「あー、そうだなぁ」


 クラウスの声を適当に聞き流しながら、クロウはSNSのひとつの投稿で指を止めていた。


 『子猫の貰い手探してます』――夕暮れの公園。ダンボール箱に入った黒い子猫の写真が添えられている。その投稿には、いくつかの返信もついているようだった。


 クロウはその投稿をじっと見つめたまま、口の中のクッキーを喉へと押し込み、気だるそうに立ち上がる。


「ちょっと行ってくるわ」


 ひらひらと片手をあげると、そのまま扉から出ていった。


 クラウスはその後ろ姿を見送ると、深くため息をつき「掃除はしていけよ」とぼやいた。


◆◆◆◆◆


 都内のネットニュース『シティスコープ』編集部。

 園辺良子は、今日も運が悪かった。


 指示された記事はちゃんと書き上げたのに、上司からは「次のネタを探してこい」とだけ言われ、編集部から街へ放り出された。

 直帰も視野に、紺のコートを羽織り、マフラーもしっかり首に巻き付けて、バッグ片手に繁華街を歩く。

 良子は黒髪を首の後ろに低めにまとめ、前髪は横へ流していたが、きちんと整えたつもりでも、冬の風が後れ毛だけを頬に貼りつかせる。

 繁華街では至るところにクリスマスの装飾が掲げられ、聞き飽きるほどジングルベルの音楽が流れ続けている。


 ネタ探しに繁華街をふらふら歩いていると、どこで引っ掛けたのか、下ろしたばかりのストッキングは派手に伝線し、ヒールの片方は途中で折れ――そして今、目の前には、か細い鳴き声を上げ、ダンボールの中で横たわる黒い子猫がいた。


「……いや、なんでこうなるのよ」


 良子はため息をひとつ吐いてから、しゃがみこんでダンボールの縁にそっと手をかけた。


「うちもアパートだから、連れて帰れないんだよね」


 良子は自分の体を抱きしめると、眉を寄せて首を傾けた。


「このまま置いていくわけにもいかないしなぁ」


 そう呟いて、両手でダンボールを抱え上げると、折れたヒールでのアンバランスな足取りで、ふらふらと近くの公園を目指した。


 公園にたどり着くと、子猫の入ったダンボールをベンチにおろし、自身も腰を落ち着けた。

「ちょっとひと休みしたら、お前の保護者を探そうね」


 夕暮れ時のこの公園は、通勤通学ルートからも外れており、人通りもなく静かで、ひんやりと落ち着いている。

 ひと息ついた良子は、すぐにスマホで子猫を撮影する。状況説明の文章を添え、『子猫の貰い手探してます』と投稿した。


 間もなくいくつか返信がついたが、どれも「大変ですね」「捨てるなんて許せないですね」といったもので、貰い手になってくれる人からの連絡ではなかった。それでも良子は、そのひとつひとつに丁寧に返信していく。


 スマホを手に、夕暮れの空を仰いで息を吐き出す。

 白い吐息が、靄となって溶けるように消えていった。


「少し待つしかないかな」


 良子は近くの自販機へ向かい、ホットカフェオレを購入する。ガコンと落ちてきた缶に手を伸ばした瞬間、「あつっ!」と小さく叫んで、思わず手を離した。


 その場でしゃがみこんだまま、少し手をさする。

 袖の中に手を引っ込め、即席の手袋がわりにして缶をつかみ直し、ベンチへと戻った。


 使い捨てカイロの代わりに、購入したカフェオレで、しばらくの間手を温めた。

 そうしているうちに、新たな通知が増えていた。――「今すぐに向かいます」と。


 良子は思わず破顔して、黒い子猫に語りかけた。


「やったね、貰ってくれる人が来るよ! ……あれ、でも場所の説明とかしてないよ、私?」


 貰い手と連絡を取り合って落ち合う場所を決めるつもりだったので、SNSの投稿自体に場所の説明はしていなかった。

 だけど返信には、確かに「今すぐに向かいます」と書いてあった。


 ベンチに座ったまま首を捻る良子の肩に、背後からそっと手が置かれる。


「きゃっ!」


 良子は小さな悲鳴をあげて、飛び上がらんばかりの勢いで振り返った。

 そこには――知らない男性が立っていた。


 歳の頃は三十代くらい。中肉中背、灰色のロングコートにハンチング帽。その顔には、穏やかそうな笑みが浮かんでいる。


 良子はベンチから立ち上がり、一歩下がって小さくお辞儀をした。


「あの、投稿を見て来てくださった方ですか?」


 微笑んで顔を上げた瞬間、男性はブツブツと呟きだした。


「園辺良子、二十五歳。都内ネットニュース『シティスコープ』編集部勤務。SNSのアカウントにはサボテンの写真をアイコンにしており、寂しがり屋のあらわれ――」


 良子の背筋にゾワッと悪寒が走り、全身に鳥肌が立つ。

 夕暮れに染まる男性の微笑みが、急に狂気の色を帯びて見えた。


「猫の写真の背景から編集部近くの公園と居場所を特定。子猫をだしに僕を呼んでくれた……そうだよね?」


 ストーカー!? 良子は思わず身震いする。


「ぜ、全然違いますっ!」


 良子は叫びながら、子猫の入ったダンボールを抱えあげて一目散に駆け出した。だが、アンバランスな折れたヒールでは、まともに走ることができない。


 あっという間に追いつかれ、腕を力強く掴まれた。

 その瞬間、子猫の入ったダンボールが放物線を描いて前方へと投げ出された。


「あっ!」


 良子は自身の腕を掴まれたことよりも、子猫に意識を吸い寄せられていた。

 思わず手を伸ばしたが、届くはずもない。


 そのダンボールは大きく弧を描き空中を舞うと――いつの間にかそこに立っていた、黒いレザージャケットの男性の腕に、すっぽりと抱きとめられた。


「おいおい、猫と言えど、子どもは大切にしろよな」


 良子が視線を上げる。

 視界に映るのは、黒いサンタ帽を被った黒いレザージャケットの、目つきが鋭い男性。知らない顔――だけど、どこか懐かしさを覚えた。

 黒い男性は、子猫を気にしながら丁寧にダンボールを地面に下ろした。


 次の瞬間、黒い男性の眼が鋭く光ったかと思うと、あっという間にストーカーとの距離を詰め、良子を掴んでいた男の手を引き剥がす。そして、そのまま背中側へ捻りあげて身動きを封じた。


「痛ぇ! なんだ! 何者だ!」


 ストーカーが悲鳴をあげるが、黒い男性はじっとその苦痛に歪む顔を見ているだけだった。


「はん、お前は……まだやり直せそうだな。痛ーいお仕置きと、心入れ替わるまでのお説教で許してやるか」


 そう言うと男性はストーカーの腕を、本来曲がるはずのない方向へとへし折った・・・・・


 ボキッと嫌な音と共に、ストーカーから耳を突くような悲鳴があがった。


 良子は思わず尻もちをつき、その光景から目を逸らした。

 ストーカーは地面に膝をつき、号泣しながら力の入らない腕を押さえた。


「おい、逃げんなよ。逃げても追っかけっからな」


 黒い男性はストーカーに鋭く言い放つと、力無く地面に座り込む良子に近づいて、腰を落とした。


 良子は黒い帽子の男の顔をじっと見つめた。野性的なその表情、覗く犬歯。狼のように鋭い眼。初めて会うはずなのだが、どこか懐かしく感じる。

 そして、ふと自分の置かれている状況を思い出し、慌てるように礼を言った。


「あ、あの、ありがとうございました!」


 その言葉に男は眉をしかめる。


「礼なんか要らん。お前はお前で、不用心なんだよ。SNS運用のリテラシーわかってんのか?」


 不機嫌そうに答える男の言葉に、良子は思わず背筋を伸ばす。


「え? あ、はい!」


「だったら良いんだけどよ。良い子なのは良いことだが、ほどほどにな」


 そう言うと男は、まるで子どもをあやすように良子の頭を撫でた。

 びっくりした良子は身体中を強張らせ、そして、頬を染めた。


「子猫の貰い手探してんのか?」


「え、あ、はい!」


 良子は思わずそう返事したが、さっきと同じ言葉しか話せてない自分を恥じた。


「俺が貰ってってもいいか?」

「え?」


 思わぬ男の言葉に、一瞬理解が及ばなかった。

 一呼吸の後、その意味をようやく理解すると、引き取り手が見つかったことで良子の胸の奥が温かい気持ちで満たされた。

 でも、乱暴そうな男性に一抹の不安も覚える。


「……食べたりしないですよね?」


「なんでだよ! 食うかアホ!」


「……良かった。じゃあ、お願いします」


 今度こそ良子は胸を撫でおろすと、座ったままで深く頭を下げる。


 男はニヤリと笑うと、猫が入ったダンボールを小脇に抱えた。

 立ち去り際のその横顔に、良子は声をかけた。


「あ、あの、お名前は?」


 男は視線を空に移し、少し考える素振りを見せたが、すぐに良子に向き直り、顔を寄せる。そして良子の眼前に黒い鈴を突きつけた。


「俺の名前は夜咎クロウ。しがない『黒いサンタクロース』だよ」


 クロウが鈴を振ると、シャンシャンと音が鳴る。


「でも、今の出来事は全部忘れるんだ。嫌なことなんて、何も無かった。良い子には、良い思い出だけを、な?」


 シャンシャンと鳴り続ける鈴の音に、良子は次第にぼんやりとしていった。


「あとさ、お前、何度もトラブルに巻き込まれすぎなんだよ。ちょっとは大人しくしとけ」


 クロウは眉を下げ口の端を吊り上げると、良子に背を向けた。

 視線が宙をさまよう良子の耳には聞こえていないだろうが、それでも言わずにはいられなかったのだ。


「さて、おいストーカー男。お前は俺と一緒に来い。ありがたーいお説教タイムだ」


 ダンボールを抱えたままクロウはそう言い放つと、ストーカーの首根っこを引っ張りあげて、引き摺るようにして公園から連れ出していった。


 その後、良子はすぐに我に返ったが、自分がなぜベンチではなく地面に座り込んでいるのか理解できなかった。

 スマホを確認すると、「今すぐに向かいます」の文字。


 ――そのあと、確かに誰かと会った気がする。


 黒い子猫を受け渡したような、ぼんやりとした暖かい記憶だけは残っているが、モヤがかかったようで鮮明に思い出すことはできない。

 ただ、「子猫はきっと良い人に渡ったな」という嬉しい気持ちだけは、しっかり胸の中に残っていた。


◆◆◆◆◆


「おい、クロウ! あの獣を止めろ!」


 クラウスの叫び声が部屋中に響き渡った。

 その視線の先では、プレゼントの山を――自分に与えられた遊び場だと勘違いした小さな黒猫が、よじ登り、飛び越え、箱を弾き飛ばしながら縦横無尽に走り回っていた。


「元気があって良い子どもだよな」


 そう言いながら、クロウはスマホ片手にソファーへと沈み込む。空いた手にはクッキーが握られており、ボロボロと欠片をこぼしながら、実に美味しそうにかじっていた。


 クラウスの怒号が、ふたたび部屋を駆ける。


「お前は掃除をしろ! それと猫を止めろ!」


 聞いているのかいないのか、クロウはスマホをスワイプし続ける。

 画面の向こうでは、さまざまなニュースが飛び交っていた。政治家の汚職、家出する少年少女たちの声、芸能人のスキャンダル、今求められる感染対策の記事――など。


「まだまだ懲らしめなきゃならん奴らが、蔓延ってるねぇ」


 そんなことをぼそりと呟きながら、クロウはまた一枚クッキーを口に運ぶのだった。

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