供養瀬トンネル検問所 AM2:02の検問 ―あなたは一人で乗っていますか?―
ソコニ
第1話 カウント・ダウン―供養瀬トンネル検問所―
プロローグ
「絶対に、窓を開けたらあかん」
大阪市内のカフェで、ベテランライターの蛇目(へびめ)はそう言った。彼女の目は、冗談を言っているようには見えなかった。
私――Webメディア「ミッドナイト・レポート」の記者、守屋凪(28)は、関西の都市伝説特集の取材でこの人に会っていた。
「断絶(こときり)トンネルを抜けた先にある、『道の駅・供養瀬(くよぜ)』。そこで車中泊する人が増えてるんやけど……深夜2時になったら、絶対に窓の外を見たらあかん」
蛇目はスマホの画面を私に向けた。そこには、暗い駐車場に止まった数台の車と、その間を歩く反射ベストを着た人影が映っていた。
ただの警備員や警察には見えなかった。彼らはタブレット端末を持ち、クリップボードに何かを記録しながら、まるで税務調査のように淡々と車を回っている。
「これ、警察とか警備員とかやないねん。誰も呼んでないのに、毎晩2時になったら現れるんや」
私は画面を凝視した。確かに、人影は機械的な動作で車を一台一台チェックしている。
「何してるんですか、この人たち?」
「数えてるんや。タイヤを。人を」
蛇目は声を落とした。
「そして、合わない時は……補正する」
「補正?」
「足りない時は、どこからか連れてくる。多い時は、どこかへ連れていく。彼らにとって、人間は『定員』でしかないんや」
背筋に冷たいものが走った。
「誰が、彼らに命令してるんですか?」
蛇目は首を横に振った。
「誰も知らん。ただ、一つだけ確かなことがある」
彼女は私の目を真っ直ぐ見つめた。
「あそこを通った人間は、電子的に記録される。スマホを捨てても、電源を切っても、記録は消えへん。あんたのデータは、もうあっちのシステムに入ってまうんや」
第一章:断絶トンネル
三日後の午後六時。私は一人で断絶トンネルへ向かっていた。
編集部には「関西の車中泊スポット取材」とだけ伝えてある。蛇目の話が本当なら、これは大きなネタになる。ジャーナリストとしての使命感――いや、正直に言えば、好奇心だった。
トンネルは予想以上に長く、薄暗かった。内壁には昭和の時代に掘られたと思われる古いタイルが張られ、所々に「工事中」という看板が立てかけられているが、作業員の姿はない。
出口の光が見えた時、なぜか息が詰まっていたことに気づいた。
道の駅・供養瀬は、山間の小さな施設だった。土産物屋と食堂、そして評判の「記録トイレ」。
――記録トイレ?
看板にはそう書いてあった。幽霊トイレではない。
午後七時。まだ明るさが残る中、私はそのトイレに入った。
噂では「鏡に自分以外のものが映る」「個室から複数の足音が聞こえる」などと言われている。
スマホを取り出し、録画ボタンを押す。鏡を映しながら、ゆっくりとパンしていく。
何も起こらない。
少し拍子抜けして録画を停止しようとした瞬間、スマホの画面が一瞬フリーズした。
画面には「動画を保存しました」という通知が二つ、同時に表示されている。
――え?
ギャラリーを開く。確かに、同じタイムスタンプで二本の動画が保存されていた。
一本目を再生する。さっき撮った映像だ。鏡、洗面台、個室のドア。
二本目を再生する。
最初は同じ映像に見えた。でも、何かが決定的に違う。
撮影角度が、30センチほど後ろにずれている。
まるで、私の背後から誰かが同じタイミングで撮影していたような――
手が震えた。急いでトイレを出る。駐車場には数台の車が止まっていたが、人の気配はない。
入口の自動ドアの横に、小さな貼り紙があった。
「当施設は24時間体制で車両・乗員データを記録しています。ご協力ありがとうございます。――供養瀬管理委員会」
管理委員会?
聞いたことのない組織名だった。
第二章:システムへの登録
午後九時。車内で簡単な夕食を済ませた。
念のため、車の周囲を確認する。ドアロック、窓の施錠、ドライブレコーダーの作動確認。
駐車場には私を含めて五台の車が止まっていた。キャンピングカーが二台、軽自動車が一台、ワンボックスが一台。
どの車も、明かりは消えている。
シートを倒し、寝袋に入る。スマホには、あの二本の動画がまだ残っていた。
何度見比べても、確かに角度が違う。でも、トイレには私しかいなかった。
試しに、二本目の動画を拡大してみる。
鏡の端に、何かが映り込んでいる。
個室のドアの隙間から、こちらを覗く目――
いや、違う。よく見ると、それはドアノブに貼られた「使用中」のシールだった。
私は安堵のため息をついた。
――ただのバグだ。スマホの不具合。
そう自分に言い聞かせて、目を閉じた。
午前一時四十五分、目が覚めた。
駐車場は静まり返っている。街灯の明かりが、車内に淡い影を作っていた。
スマホを見る。バッテリーは80%。時刻は一時四十七分。
あと十三分で、二時だ。
心臓の鼓動が早くなるのが分かった。
一時五十五分。
隣のキャンピングカーから、かすかに物音が聞こえた。誰かが起きているのだろうか。
一時五十九分。
駐車場の外れから、複数の足音が近づいてくる。
二時ちょうど。
街灯が、一斉に消えた。
第三章:定数チェック
コン、コン、コン。
規則正しいノック音が、静寂を破った。
私は息を殺した。音は、一番遠くのワンボックスから聞こえている。
窓の外を見たい衝動を必死で抑える。蛇目の言葉が頭をよぎる。
「絶対に、窓の外を見たらあかん」
コン、コン、コン。
今度はキャンピングカー。音が近づいてくる。
暗闇の中、反射ベストの蛍光色がぼんやりと見えた。三人、いや、五人いる。
彼らは懐中電灯も持たず、タブレット端末の青白い光だけを頼りに、無言で車を一台一台回っている。
各車のタイヤを指さし、クリップボードに何かを記入している。
まるで、税務署の査察のように。
「車両番号、なにわ583、よ8721。記録通り」
低く、抑揚のない男の声が聞こえた。
「タイヤ四本、確認」
「乗員データ、照合開始」
タブレット端末を操作する音。ピッ、ピッ、という電子音。
「……登録乗員数、二名。現在検知、二名。適合」
コン、コン、コン。
次のキャンピングカー。同じ手順が繰り返される。
「車両番号、なにわ500、す1234。記録通り」
「タイヤ四本、確認」
「乗員データ、照合開始」
電子音。少し長めの沈黙。
「……登録乗員数、三名。現在検知、二名」
私は寝袋の中で固まった。
「不足。補正が必要です」
別の男の声。
後部ドアが開く音。何かを車内に押し込むような、重い音。
「補正完了。現在検知、三名。適合」
ドアが閉まる。
彼らは何事もなかったかのように、次の車へ向かう。
コン、コン、コン。
軽自動車。
「車両番号、なにわ580、た5432。記録通り」
「タイヤ四本、確認」
「乗員データ、照合開始」
電子音。
「……登録乗員数、一名。現在検知、一名。適合」
そして、彼らは私の車へ向かってきた。
コン、コン、コン。
運転席側の窓を叩く音。
「車両番号、なにわ300、さ9876……」
沈黙。
「データベースに該当なし。新規登録車両です」
タブレットを操作する音。
「登録を開始します」
ピッ、ピッ、ピッ。
「タイヤ四本、確認」
「乗員データ、スキャン開始」
長い沈黙。
私は呼吸すら止めていた。
「……異常を検知」
リーダー格らしき男の声が、窓のすぐ外で止まった。
「登録データ、一名。現在検知……」
電子音が鳴り続ける。
「……二名」
全身の血が凍る。
「過剰。排除が必要です」
コン、コン、コン。
今度は強く、窓を叩く。
「開けてくれへんか。定数オーバーにつき、確認させてもらわなあかんねん」
男の声は、妙に丁寧だった。まるで役所の窓口担当者のように。
「車検データでは一名乗車のはずやねんけど……車内信号が二名分、検知されてるんや。ご協力、お願いします」
その瞬間、私のスマホが振動した。
暗闇の中で画面が光る。
通知:「動画(2本目)―自動再生中」
――誰が再生してる!?
震える手でスマホを掴む。勝手に再生が始まった二本目の動画。
画面には、トイレの鏡が映っている。
でも、今度は最初から角度が違った。
この映像は、私の30センチ後ろから撮られている。
鏡に映る私の背中。そして、その背後の個室のドア。
ドアが、ゆっくりと開いていく。
中から、何かが出てくる。
白いワンピースを着た女性。長い黒髪で顔は見えない。
彼女は私の背後に立ち、同じようにスマホを構え、私と同じ角度で撮影している。
映像が切り替わった。
今度は車内だ。後部座席から、運転席に横たわる私を撮影している。
時刻表示は「AM2:02」。
つまり、今だ。
映像の中の私は、スマホを見つめて震えている。
そして、カメラはゆっくりとパンし――後部座席を映した。
そこに、座っている女。
トイレから出てきたのと同じ、白いワンピースの女。
彼女は行儀よく座り、シートベルトを締め、じっとこちらを見ている。
顔は、まだ見えない。
コン、コン、コン。
窓を叩く音が、さらに激しくなった。
「開けてくれへんと、強制執行になります。乗員データの不一致は、重大な違反です」
外の男たちが、後部ドアのハンドルに手をかける音。
「あ――」
私は声を出そうとしたが、喉が凍りついていた。
スマホの画面では、映像の中の女がゆっくりと顔を上げた。
それは、私の顔だった。
同じ髪型、同じ服装、同じ顔。
でも、表情が違う。
彼女は、笑っていた。
ガチャ、という音。
後部座席のドアロックが、内側から外れる音だった。
「あ、開いた。ほな、確認させてもらいます」
後部ドアが開く。
冷たい外気が車内に流れ込む。
懐中電灯の光が後部座席を照らす。
「……あれ?」
男たちの声に、初めて困惑の色が混じった。
「誰もおらへんで」
「おかしいな。確かに信号は二名分やったのに」
タブレットを操作する音。
「再スキャン……一名。適合しました」
「なんや、機械の誤作動か」
「記録を修正しときます」
ドアが閉められる。
「失礼しました。ご協力ありがとうございました」
足音が遠ざかる。
「次、行こか」
「はい。残り、あと三台です」
彼らの声が、完全に消える。
静寂。
私はまだ、震えていた。
後部座席を、見ることができない。
スマホの画面を見る。
映像は、まだ続いていた。
後部座席には、誰も座っていない。
カメラは再び運転席を映す。
そこには、私がいた。
寝袋の中で震えている私。
でも、映像の中の私は、ゆっくりと後ろを振り返り――
そして、カメラに向かって、手を振った。
画面が暗転する。
新しい通知が表示される。
「動画(3本目)を保存しました」
録画時刻:「AM2:02」
録画場所:「車内・運転席」
録画者:「守屋 凪」
第四章:記録は消えない
午前五時。夜が明けた。
私は一度も後ろを見ずに、車を発進させた。
バックミラーは、タオルで覆った。
断絶トンネルをくぐる時、なぜか昨日より短く感じた。
道の駅の駐車場には、朝の光が差し込んでいた。
出口の料金所に、係員がいた。
初老の男性。作業服を着て、クリップボードを持っている。
「お疲れさまでした。車両データ、記録させていただきました」
彼は笑顔でそう言った。
「え?」
「当施設では、防犯のため、すべての車両情報を記録しております。ナンバープレート、車種、乗員数……あ、お客様は昨晩、お一人でしたね」
私は頷くことしかできなかった。
「はい、一人です」
「ありがとうございます。記録、確認いたしました。またのご利用、お待ちしております」
彼はタブレット端末を操作し、何かにチェックを入れた。
私は車を走らせた。
ルームミラーのタオルを、外すことはしなかった。
エピローグ
三日後。自宅に戻ってから、私は何度もスマホを初期化しようとした。
でも、できなかった。
動画は、消えない。
削除しても、数時間後には復元されている。
三本の動画。
そして今朝、四本目が保存されていた。
録画時刻:「AM2:02」
録画場所:「自宅・寝室」
録画者:「守屋 凪」
私は、まだそれを再生していない。
サムネイルには、ベッドで眠る私の姿が映っている。
そして、枕元に座る、白いワンピースの女。
彼女は私の顔をしている。
でも、今度は私が見ている。
彼女がスマホを構え、眠っている私を撮影している様子を。
蛇目に連絡を取ろうとした。
でも、彼女の番号は「使用されておりません」のアナウンスが流れるだけだった。
あのカフェにも行ってみた。
店員に「蛇目さん」という名前を出すと、不思議そうな顔をされた。
「そのような方は、うちの常連にはいらっしゃいませんけど……」
私は、震える手でスマホを握りしめた。
通知が届く。
「動画(5本目)を保存しました」
録画時刻:「AM2:02」
録画場所:「大阪市内・カフェ」
録画者:「守屋 凪」
サムネイルを見る。
カフェの席に座る私。
そして、向かい側に座る女性。
黒いスーツを着た、見知らぬ女性。
彼女は、こちらに向かって笑いかけている。
私は、その女性に会った記憶がない。
でも、動画のタイムスタンプは、三日前。
蛇目に会った日だ。
スマホを置く。
画面を見ないようにする。
でも、通知は止まらない。
「動画(6本目)を保存しました」
「動画(7本目)を保存しました」
「動画(8本目)を保存しました」
電源を切る。
でも、画面は消えない。
暗闇の中で、カメラの赤いランプが、静かに点滅を続けている。
そして、スマホから声が聞こえた。
低く、抑揚のない、あの男の声。
「守屋 凪。登録完了。定期記録を開始します」
「毎晩AM2:02、現在位置をスキャンします」
「定数からの逸脱を検知した場合、補正を実行します」
「ご協力、ありがとうございます」
私は、スマホを窓から投げ捨てた。
でも、三日後。
郵便受けに、小包が届いていた。
送り主は「供養瀬管理委員会」。
中には、私のスマホが入っていた。
そして、手書きのメモ。
「記録は消えません。あなたは、既にシステムに登録されています。――データは、永久に保存されます」
今夜も、午前二時が来る。
私は、どこにいても記録され続ける。
そして、私の中にいる「もう一人の私」も。
(完)
供養瀬管理委員会からのお知らせ:
もしあなたのスマホに身に覚えのない動画が保存されていたら――
それは、もう遅いかもしれません。
定数は、常に監視されています。
供養瀬トンネル検問所 AM2:02の検問 ―あなたは一人で乗っていますか?― ソコニ @mi33x
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