第七章 演劇集団クワガタは千秋楽で解放される
終演の音楽が鳴り、客席から大きな拍手が起きた。
舞台の上では紗奈が深く頭を下げ、千秋が涙を拭き、日高は静かに立っていた。
僕は照明卓の前で、最後のフェーダーをゆっくりと下げた。白い光が舞台から消え、暗転が劇場を包む。拍手が続く。
客電が上がり、観客がざわめきながら帰っていく。劇団員たちは舞台袖で声もなく抱き合い笑い、泣いた。
紗奈は千秋に抱きしめられ、震える声で「ありがとうございます」と言う。
千秋は「紗奈、ほんまよう頑張ったな」と鼻声で返し、黒川舞監は「事故なく終わって良かったわ」と安堵の息をついた。
「出待ち行くでー! そのあとは飲み会やー!」
「君はいつもの飲み会やん」
日高は少し離れたところで、静かに中空を見ていた。
誰も彼に声をかけない。
僕は照明をバラシながら、さっきの「あの瞬間」を思い返していた。
日高が台詞を奪われたように固まり、別の存在が言葉を紡ぎ、紗奈がそれに応えた。
光は本物だ。僕は見ていた。
影が濃くなり、光が揺れ、紗奈の声が影を押し返した瞬間を。
紗奈が僕のほうへ歩いてきた。細い体だが、しっかりとした足取りだった。
「……田中先輩、今日の光も、すごかったです」
「そうか。良かったよかった。紗奈ちゃん、きれいやったわー」
「UFOに、なんか……守られてるみたいでした」
僕は少しだけ笑った。
「光は本物やからな。嘘つかへん」
紗奈はその言葉を聞いて、二回頷いた。
彼女の眼は、もう最初の頃のように瞬いていなかった。
舞台のなかで、彼女は確かに何かを掴んだ。
そのとき、日高が近づいてきた。紗奈は身を固くし、日高は穏やかな声で言った。
「……紗奈、今日の演技、良かったなあ」
「ありがとうございます」
「いや、おまえさんが言うんかいな。一生紗奈ちゃんに足向けて寝るな、日高」
紗奈は小さく笑った。
「日高先輩のおかげです」
日高は首を横に振った。
「ごめんな。心配かけて」
結局、最後まで日高は舞台上で暴走し続けた。
今、日高の声は、いつもの声だった。
「……未知のものにさらわれとったんやろか。舞台は魔物や」
「えらい道草してきたんやな。本番でするには、リスキーすぎや」
••✼••
劇場を出ると、夜の空気は冷たかった。空には雲がなく、星がよく見えた。
紗奈の明るい声が届く。
「わぁ、京都にも星! あのUFO、あそこに飛んでいきそう」
千秋が笑った。
「あれ作りもんやっちゅうねん」
僕は星を見ながら、静かに言った。
「光だけは本物やねんて」
紗奈は、その言葉を聞き、もう一度空を見上げた。
街灯のLED光が、彼女の頬を淡く照らした。遠くから届く光だった。
舞台の光の下で、紗奈は確かに星だった。
そして、僕は照明卓まえで見たあのときを、一生忘れないだろう。
作り物の世界のなか、ただ一度だけ、本物である彼女がいた瞬間を。
••✼••
日高は、しばらく姿を消し、次に会ったのは、葬式の写真でだった。
そうして、とうとう遠くに到達してしまったのだ。
了
美しい星の道草(カクヨムコン11:未知) 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi
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