第四章 演劇集団クワガタは黒い影の男と出会う


 四月に入ると、稽古場の空気は落ち着かなくなった。  


 大崎さんは「ええな、紗奈。宇宙の端っこ見えてきたで」と満足そうに頷き、千秋は「紗奈、めっちゃ良かったで」と背中をバシバシ叩き、日高は黙って様子をうかがった。  


 その日、稽古場は珍しく静かだった。

 役者たちは台本を読み込み、音響は音量調整をし、僕はUFOセットのライトの角度を確認していた。

 円盤の縁に当たる光が、どうしても少しだけ強く見える。現場に置くとまた違うかもしれないと、ひとりごちる。


 紗奈が廊下でひとり台詞を練習していた。長い独白の途中で言葉と身体の動きが詰まり、両腕を胸もとに抱えたまま立ち尽くす。

 そこへ、日高が静かに近づいた。彼は普段から無口で、必要以上に人と関わらない。しかし、この日は違った。歩く足音が、いつもよりゆっくりで、静かだった。


「……紗奈」

 紗奈は急に近づいていたのに気づいて、驚いたように振り返った。

「日高先輩……」

「台詞、詰まったんか」

「はい……すみません」

 日高は紗奈の廊下脇に置いた台本を拾い、手渡し、彼女の眼をまっすぐ見た。

「……紗奈、お前、呼ばれてるで」

「え……?」

「遠いとこからや。地球の声ちゃう。もっと向こう」  

「またまたー。大崎さんじゃあるまいし」


「金星からかな。人間たちは本当に儚い」

 その言葉は、台本にはない。大崎さんの演出でもない。紗奈は戸惑い、目を瞬かせた。


「我々人間の憧れは、肉体を捨てなければ到達できないのだ。人類に与えられた崇高な使命は、肉体を拒絶する極北に、人類に与えられた憧れの地があるのだ。俺たちは、他の人たちと違う」

 それは、本来の台本の中のセリフ。

 紗奈は息を呑んだまま、日高を見つめていた。彼の言葉が、不穏で圧迫してきている。日高は、紗奈の横を通り過ぎ、稽古場の出口へ向かった。

 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


(あかんて、日高。本番近いのに動揺させんなや)


 そう思っていると、千秋が遅れてきて、立ち尽くす紗奈の顔を見て首をかしげた。

「紗奈、どしたん。顔、真っ青やで」

「……なんでもないです」


 紗奈はそう言ったが、千秋は「ほんまかいな」と言いながら肩を軽く叩き、僕は、この濁りがどこへ向かうのかと窓の外に広がる真っ青な空を見上げた。

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