カラヤヌシ

海湖水

カラヤヌシ

 「起きましたか?」


 彩乃アヤノはガタガタと揺れる車の中で目覚めた。目を擦ると、車を運転している男の方に目を向けた。

 男は彩乃の方は見ることなく、車を運転し続ける。


 「私は出発する前に、今回は貴女はあまり寝るべきではない、と話した筈ですが」

 「ごめんなさい、師匠。でも我慢できなかったからさ」


 彩乃は自らの師匠の注意を思い出した。

 依頼主の家に到着したら、寝ておけ。今回は自分が1人でする。師匠はそう話していた。

 理由にもならない彩乃の言い訳に、師匠はため息をつくと、彩乃に積んでいる荷物の確認を命じた。

 彩乃は後部座席に移ると、段ボールに積められた様々な機械を眺める。光を失っているディスプレイや除霊用の道具を、彩乃は故障していないか一つずつ確認し始めた。


 「霊的存在には、意外にも科学は有効です。昔のやり方も大事ではありますが、私は効率的かつ効果的なこの手法が好きなんです」


 かつて、師匠はそう語っていた。普段は「好き」を語ることがほとんどない師匠が、その時だけは目を輝かせていたのを覚えている。

 

 「多分大丈夫だと思う」

 「多分、ですか?」

 「……もう一回確認します」


 師匠は仕事に真摯で、ただただ真面目だ。

 しかし、その真面目さで多くの人を救ってきた。彩乃も、そんな救われた人間の一人だった。

 彩乃は正直な話、故郷がどんな場所だったのか、ほとんど憶えていない。というか、正確な位置すらもわかっていなかった。

 彼女が憶えている微かな記憶は、地下牢に一年中繋がれていたことだった。地下牢の畳のシミと肌寒さは、今でも瞼の裏に刻みついている。

 地下牢に繋がれていた理由。それは、彩乃は故郷で「忌み子」として扱われていたからだった。いつからか人ならざるものが見える、ということが人々に気づかれ、地下牢に繋がれていた。

 師匠と出会ったのは7年前だった。あとから彩乃が聞いた話によると、あの時の彩乃はかなり衰弱していたらしい。確かに、自分でも地下牢暮らしの最後のころはほとんど寝たきりだったような気がする。記憶がないのも、それが理由なのだろう。


 「着きました。確認は終わりましたか?」

 「はい、師匠。今度は大丈夫だよ」

 「それでは、荷物を運びましょうか」


 二人は車から降りて、目の前の大きな屋敷を眺めた。辺りは山に囲まれており、ここに来るまでに家は数軒ある程度だった。ここならある程度暴れても目立たないだろう。

 二人は屋敷の中に機械を担いで入っていく。

 今回の依頼は国からのものだった。曰く、その手のプロに解決してほしいものとのことだ。同様の件を、過去に師匠が解決したことがあったから依頼が回ってきたらしい。

 彩乃は師匠の横顔を見た。師匠がかけているメガネは、伊達らしい。かけていると、ある程度人ならざるものが見えやすくなると言っていた。師匠の長く伸ばした髪の毛も、そのような相手との交渉に使うことがあるかららしい。どこまでも合理的な、そんな師匠を彩乃は尊敬していた。いつか、認められたい。そんな思いがいつしか生まれるほどに。


 「それでは、貴女はここで眠っていてください。寝れないなら、薬を渡しますが」

 「なくても寝れるよ〜。それじゃあおやすみ……」

 「はい、おやすみなさい」


 師匠に案内されたのは、屋敷の一室だった。部屋の中には特に何もなく、周りの部屋とは襖で仕切られていた。

 おそらく、今から師匠が対応する相手は危害を加える相手に何かしらの条件があるのだろう。そういうことは偶にあるため、彩乃もすぐに理解した。

 しかし、彩乃は寝る気はなかった。今日こそ師匠に認めてもらうチャンスだ。彩乃は体を起こすと、ポケットの中からチョークを取り出し、部屋に陣を描き始めた。この中に人ならざるものを入れて、師匠よりも先に退治する。何年も師匠の側で仕事を見てきたのだ。自分だって一人でもできる筈。

 そんなことを考えていると、意外にも早く陣を描くことができた。間違いがないかどうか確認したが、誤りは一つも見当たらなかった。

 余分に他の部屋にも描いておこうか。そんなことを考えながら、彩乃が部屋から出た、その時だった。

 鐘の音が聞こえた。大晦日に聞くような、大きな鐘の音。周囲に寺なんてなかった筈なのに。いつもの相手とは違う。

 彩乃は部屋に戻ろうとしたが、目の前ですでに怪異は生まれ始めていた。


 「なに、あいつ……」


 それは、麻袋を頭に被った、巨大なだった。腕が部屋から飛び出すほど異常に長く、足は見えない。そして背の丈は部屋の天井まで伸びきっており、彩乃を覗き込むように、顔が見えているわけではないにも関わらず、顔をこちらに近づけた。

 逃げないと。本能的に悟った彩乃はその場から駆け出した。が追って来るのを感じる。幸い、陣を描いた部屋はちょうど隣だ。彩乃はそのまま陣を描いた部屋に飛び込むと、陣の中にを入れようとした。

 しかし何も起こらない。顔から血の気が引いていくのを感じる。は怒っているのか辺りの空気がピリピリと振動する。


 「こっちです!!」


 か手を彩乃に振り下ろそうとした時、紙袋で顔を隠した師匠が声を上げた。はそちらの方を振り向くと、今までの怒りが嘘だったかのように、ズルズルと師匠に連れられて別の部屋へと向かっていった。




 「彩乃。今回は貴女は寝ていなさいと言いました。何故このようなことをしたのですか」


 数時間後、師匠は抑揚の一切ない声で彩乃へと質問をした。彩乃は正座で座ったまま、ポツポツと言葉を捻り出していく。


 「師匠に……認めてもらおうと」

 「私に認めてもらうにしても、私の言うことを破っていては本末転倒でしょう。何かがあったらどうするのですか」

 

 その通りだった。危険だからと遠ざけてくれていた筈なのに、勝手に近づいて、自らの命を危険にさらした。大馬鹿者だ。

 何も言えず俯いている彩乃を無視して、師匠は部屋に描かれた陣へと目を移した。


 「この陣ではダメだ。これはあくまで倒すために使うものです。今回の件は鎮めるのが目的であって、倒せる相手ではなかった。相手の見極めが全くできていない」


 何も言うことができない。あのを見たタイミングで陣を描いた部屋に行くべきではなかったのだ。倒せなければ次はこちらの命が危なくなるのだから、戦おうとせずに逃げるべきだった。


 「しかし、今回は何も事前に伝えていなかった私も悪かったです」


 その言葉に彩乃は顔を上げた。師匠は表情を全く動かさずに続ける。


 「今回は一言で言えば、地域で信仰されるような神格への対処でした。そして、事前に襲う相手も、儀式の方法も判明していた。だから、私も油断していました」

 「そんなこと」

 「油断していたんですよ。だからこうして、大切な人を危険に晒してしまった。特に、貴女はこの件に関係が深いですから、危険はあまりないと思っていたんです」


 彩乃とこの件は関係が深い。そう言われても、彼女はピンと来なかった。しかし、記憶を必死に遡り続けると、微かに思い出した気がした。


 「師匠。ここが私の故郷ですか?」

 「ええ、そして貴女が閉じ込められていたのもここです。貴女の家で行われた儀式ですし、今回鎮めたものもかつては貴女の保護者をしていたのですから、ある程度は安全と思っていたのですが、見通しが甘かった」


 師匠はその後も語ってくれた。

 彩乃の家では、彩乃が人ではない何かが見えるとわかった時に神に頼ろうとしたこと。曰く、怪しげな術師を呼び、よく分からない神のようなを昼間に寝ている人間は敵対者であっても襲わないなどの条件を付けて生み出し、彩乃をから守ってもらおうとしたらしい。

 しかし、それは惨劇を生み出した。両親と術師は殺され、彩乃はそのが作った地下牢に閉じ込められて世話されていた。彩乃の世話をしていたのは、そして地下牢に閉じ込めていたのは危険なものから遠ざけるという、そのなりの契約の履行だったらしい。


 「私はここに来た時に奴を鎮め、貴女を育てていくと決めました。ここに来た時点で、貴女に話すと決めていましたが、このようなことになるとは思ってもいなかった。本当にごめんなさい」

 

 彩乃は何も言葉が出なかった。

 両親の死や、かつての地下牢での生活のこと。何もが自分の知らない自分で埋め尽くされていた。


 「帰りましょうか」


 師匠はゆっくりと立ち上がった。

 彩乃も立ち上がると、何も話さないまま、車の方へと向かっていった。


 「まだ、この仕事を続けたいですか?」


 師匠が車に乗る前に、彩乃にポツリと聞いた。もし、続ける気がなくなったのなら、この家の近くにある貴女の親戚に預けていくと。その方がきっと幸せになれる。彼はそう語った。


 「えーっと……自分のルーツは知らないことばかりで驚いたし、死ぬほど怖い思いもしたけど」


 彩乃は車に乗り込むと、師匠に向かって笑いかけた。


 「まだ、貴方に認めてもらってないから。まだ終われないよ」

 「そうですか」


 師匠は少し微笑むと、車に乗り込み、エンジンをかけた。師匠の笑顔を見たのはいつぶりだろうか。そんなことを考えていると、故郷は少しずつ遠くへと消え去っていった。

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