熱砂を翔ける鳥
山田端午
第1話 ラナは熱砂を翔ける
熱砂の大陸であるこの地を、悠々と飛んでいるものがいた。赤いその巨体を青い空に浮かばせ、太陽をモノともしていない。
ぐるりと旋回しながら、ぽつん、と砂漠にあった小さなオアシスに降り立つと、湖というには小さい水溜りに勢いよく飛び込んだ。
水柱が立ち、飛沫が当たりの草木に飛んでいく。赤い羽毛に雫が付き、日差しを浴びてキラキラと輝いた。
「きもちいい〜! 水浴び最高!」
鳥はパタパタと翼を羽ばたかせ、全身に水を浴びていく。水の中に全身を擦り付けるように飛び跳ね、周りに飛沫を撒き散らしていた。
「やっぱりパルディスの外にも素敵な所はあるんじゃない! 空から見下ろすだけじゃやっぱりわからないね! おじちゃんたちの言ってた通りだ!」
鳥は首を傾げ、パタパタと羽ばたく。湖から出て、ナツメヤシの木下に行くと、思い切り寝転んだ。
木陰で寝転んでいると、風が水浴びをした体を乾かしていく。日向では熱波でも、日陰にいれば心地よかった。
鳥はうつらうつらとしながら草のベッドの上でゴロゴロと転がっていると、鳥の目の前にナツメヤシの実が落ちていた。
「あ! ナツメヤシ! ラナこれ大好き!」
自分のことをラナと名乗った鳥は、地面に落ちているナツメヤシを嬉しそうに嘴で突き、口の中に放り込んだ。
羽をパタパタと動かし、地団駄を踏む。砂埃が舞い、草木に隠れていた虫やトカゲが何事かと逃げていった。
「美味しい〜!! これ、今まで食べてきたナツメヤシの中で一番美味しいかも! あっ! あっちにも落ちてる!」
一定の間隔で落ちているナツメヤシを嘴で突いては飲み込んでいく。歌うように囀りながら地面に落ちているナツメヤシをどんどん食べていった。
「パルディスの外にはこんなに美味しいナツメヤシがあるんだ…! 帰ったらみんなにも教えてあげよう! んっ? うわぁ!! なに!?」
ラナの体が勢いよく地面から持ち上がる。ラナが自分の状況を確認すると、どうやら脚にロープが引っかかっており、木から宙吊りにされているらしかった。
「これなに!? やだ! 降りられない! なんで!?」
バタバタと動くも、余計に脚にロープが締め付けるばかりで一向に降りられる気配はない。段々日も暮れ始め、羽毛があるといえども寒くなってき始めた。
ずっと暴れていたラナも段々と元気がなくなり、仕舞いには雛のようにちゅんちゅん、と目に涙を溜めながら、泣き始めた。
(ラナこのまま死んじゃうのかな……こんなことならもっとナツメヤシ食べればよかったな……)
ぽろぽろと涙をこぼしていると、何かの気配を感じた。
「わぁ、大きな鳥さんだ」
ラナの後ろから砂を踏む音と同時に、低い男の声が聞こえた。身を捩り、声のする方へ顔を向けると、そこには男が一人立っていた。
(あ、人間だ。大きいからきっと人間のオスだ。空から見下ろしてみたことはあるけれど、間近でみるとこんな感じなんだ……でも、なんかいつも空から見てる人間と種類が違う? なんか変なの……)
ラナの頭の中で、空から見下ろしていた人間を思い出す。ラナがいつも見ていた人間たちは、浅黒い肌に、明るい瞳をしており、白くて長い薄めの生地の服を纏っていた。しかし、今目の前にいる人間は、いつも見ている人間よりも肌の色が明るかった。よく見てみると、外套の中に着ている服は暗い色で見たこともない。どこか別の場所の衣服のようだった。瞳は砂漠の夜のように暗く、顔の作りも違っている。
「鳥さんさっきまで泣いてたでしょ。脚痛いの? 周りに人いなかったから、罠仕掛けた人どこかいっちゃったのかな……?」
「ピィ! ピイィ!」
「わっ! 羽バタバタさせないで。もっと脚痛くなっちゃうよ。外してあげるから動かないで」
「ピィィ!!」
「大丈夫、大丈夫だよ。僕は君に酷いことなんてしないよ。助けてあげるからね」
「ピィ……ピ……」
男はラナを安心させるように、大きな手でラナの頭を撫で、腰に挿してあった、それもラナには見覚えのない、長めのナイフを取り出し、脚に絡みついていたロープを何なく切った。
ラナの体が暫くぶりに地面に落ちる。砂が舞い上がり、体に張り付いたのが不愉快で、身を震わせると、隣にいた男は笑いながら体にかかった砂を払った。
「君大きいねぇ。僕より大きい。人一人ぐらいなら背中に乗れそうだ。誰かに飼われているの? ご主人はいる?」
「ピィ? ……ピィ」
「なんで鳥なのかな? 初めて見たよ。綺麗な赤い色に、大きなまんまるの体。ふわふわの羽毛。素敵だね」
「ピィ!」
(褒められた! この人間、いいやつかも!)
ラナは羽を広げて飛び跳ねる。男はラナの様子を見て顔を綻ばせた。
「大きくてもまだ子供なのかな? ふふ。鳥さん、僕ね、この近くにあるはずのカリマーラっていうオアシス都市に行きたいんだけど……知ってる?」
「ピィ?」
「この近くあるはずなんだけどね……道に迷ってしまって……行く途中で砂大蛇に襲われて、持ってた荷物もほとんど落としちゃったし、乗ってたラクダも食べられてしまったし……日も暮れて寒くなってきたし困ったなぁ」
(カリマーラ? 人間たちがたくさんいるあそこのことかな……? 伝えたいけど、でもガウルに人間に関わるな、姿も見せるな、声も出すなって言われてるし……どうしよう)
「とりあえず、今日はここで野宿しようかな。君も朝になってからお家に帰る?」
「……ピィ!」
「ははっ、よし。じゃあ今日は一緒にいようか」
(悪い人じゃないから、一緒にいてもいいよね?)
男はせっせと落ち葉を集めたり、ナツメヤシの木の表面をナイフで削いで一つのところに集めると、二つの石をポケットから取り出し、火を起こした。
「君は火を怖がらないんだね。慣れてるのかな?」
「ピィ〜」
(空の上からよくみるやつだ。夜になると人間がつけるやつ。ちょっと怖そうだったけど、これあったかくて気持ちいいなぁ)
「あったかいねぇ」
男は火に手を翳し、体を丸めた。風が吹き荒び、砂が舞っていく。外套だけでは寒いのだろう。男はラナの方へと身を寄せた。
「君はすごく温かいね」
「ピィ」
「ふふ、かわいい。ふわふわで温かい」
男は顔をラナの胸元の羽毛に埋め、ラナの全身を撫でた。ラナはくすぐったくなりながらも、不思議と嫌な気持ちになることはなく、男に風が当たらぬように体を移動させた。
「砂大蛇に襲われてどうなることかと思ったけど、君と出会うためだったのかもね」
「……ピィ……」
「眠いの? えっと……ピィちゃん。おやすみピィちゃん」
(ラナ、ピィちゃんって名前じゃないのに……)
ラナの瞼が下がり、火が爆ぜる音だけが聞こえる。冷たい風が通り抜け、胸元にいる男の温もりを感じながら、ラナは意識を遠くにやった。
地平線から太陽が顔を出してきた頃、ラナはその眩しさに目を開いた。
隣にいたはずの男はおらず、どこにいるのかとキョロキョロ辺りを見渡すと、すぐそばの木の近くでナツメヤシを集めていた。
「おはよう。ピィちゃん。よく眠れた? 僕は君のおかげで凍えなくて済んだよ」
「ピィ!!」
ラナは翼を広げ、よく眠れたというように体を左右に揺らす。男は集めていたナツメヤシを地面に置くと、ラナの足をそっと触った。
「昨日の縛られていた足は痛くないかな? 見た感じ怪我はなさそうだけど……」
「ピィピィ!」
(大丈夫だよ! ラナは元気!)
「痛かったら冷やすんだよ。そこの湖に足を入れるといいよ」
「ピィ〜?」
(痛かったら冷やすんだ……?)
不思議そうに首を傾げるラナに、男は地面に置いていたナツメヤシを一つ手に取り、ラナの眼前に出す。陽の光を浴びたナツメヤシはピカピカと輝いていた。
「そうだ、ピィちゃん。ナツメヤシ一緒に食べよう。朝ごはんだよ」
「ピィ!!」
(美味しいナツメヤシ! 大好き! やっぱりこの人間はいいやつだ!)
ラナは男の手のひらにあるナツメヤシを嘴で摘み、口の中に入れる。甘い味が口いっぱいに広がり、思わず笑みが溢れでた。
「ピィちゃんは甘いの大好きなんだねぇ」
「ピィピィ」
うんうん、と頷くと、男は嬉しそうに目を細めてラナの頭を撫でる。大きな手がラナに触れるたびに、ラナの胸の奥で、昨日の夜に火に当たっていた時のような感覚が、訪れた。
(不思議だなぁ。この人間といると、すごく、すっごく、ふわふわするなぁ。ラナも、この人間にこのふわふわをあげたいなぁ……)
夢心地になりながら撫でられていると、大きな手は離れていった。ラナはふわふわの感覚が無くなっていくのを、少し寂しく思いながらも、地面に落ちていたナツメヤシを嘴で掴み、男の体に頭をこすりつけた。
「くれるの? ありがとう。優しいね」
男は頬を緩めてナツメヤシを受け取る。その様子を見て、ラナは何かが満たされていくのを感じた。
(なんだろう、すごく嬉しい。なにかをあげたいなぁ。ナツメヤシとかじゃなくて、何かもっと大きなものあげたい。なんでだろう、優しくしてくれたからかなぁ。ラナ、この人間に何かしてあげたいなぁ。不思議だなぁ)
まだ、何かが足りない。もっとなにかを与えたい。満たされない。今まで感じたことのない欲求にラナは少し混乱していた。
そんなラナには気づかずに、男は残りのナツメヤシをラナに分け与えると、身なりを整え始めた。
「じゃあ僕はもう行くね。ピィちゃんももう罠に引っかかっちゃダメだよ。地面に点々と不自然に落ちているナツメヤシとかも食べちゃダメだよ」
「ピィ!!」
まだ少し寒さの残る朝方の頃、男は少ない荷物を背負い直すと、ラナに手を振り、日が登る方へと歩いていった。
ラナは男の姿が黒い点のようになるまでじっと見つめ、陽炎のようになるまで見送った後、空高く舞い上がった。
砂塵と共に空に舞い上がったラナは、遥か空中から男を見下ろした。
男は黙々と砂の大地を歩いていく。途中、他の人間たちと出会い、同行したようで、そのままおそらく男が言っていたカリマーラという都市に行ったのだろう。
日が高く昇った頃には、ぐるりと円形の城壁に囲まれた、巨大な都市に入っていった。
「やっぱり、あれがカリマーラっていう都市だったんだ……」
ラナは男が都市に入ったのを見送ると、方向転換をし、大きく力強く羽ばたき、すざましい速度で飛んでいった。
「そうだ。助けてもらったから、何かお返ししたいな……」
ラナの胸の中にはふわふわした気持ちがまだ残っていた。今すぐにでも男の元に飛んでいき、喜んだ顔が見たいという欲求があった。
「これが、ママの言ってた恩返しなのかなぁ。」
ラナの呟きは風に乗って、流砂の海に消えて行った。
「ラナッ!! お前! あれほどパルディスから出るなと言ったのに! また出たのかい!?」
「ガウル怒んないで! 怒んないでよ!」
砂漠の大陸にあるとは思えない、木々に囲まれた自然豊かな森の中。木漏れ日を浴びながらラナは羽で顔を隠しながら蹲っていた。羽のそっと退け、視線を上に向けると、顔を皺くちゃにさせて怒り狂っている白い巨大な狼がいた。
狼、ガウルは唸り声を上げながら毛を逆立たせ、まなじりを釣り上げて今にも噛みつきそうにラナを睨んでいる。ラナは頬を膨らませ、地面に視線を落とした。小さな花がラナの足元で風に揺られている。
「おじちゃんたちが言ってたんだもん。パルディスの外にも神様が沢山いて、人間と仲良くしてて、とっても楽しいんだぞって。どんなところか見たいでしょ! 今回はちょーっと遠くまで行っただけだよ!」
「いつの話だい!? 二足歩行の猿どもはもう神々なんぞ信じちゃいないッ! 信じていたらパルディスの外は今も自然が豊かで砂漠なんぞ広がっていないだろうさ!」
「そんなことないよ! おっきな水たまりがある木が生えてるところあったもん! 美味しいナツメヤシも落ちてた!」
「それは砂漠のオアシスだろう! お前の目は節穴かい!? 周りの砂大蛇がいる荒れ果てた砂漠をそのまんまるな黒い目で見なかったのか!?」
「ガウル怒んないで!」
「怒らせるようなことをお前がしているからだろうッ!」
ガウルはため息をつくと、ラナの首根っこを掴み、自らの胸元近くに引き寄せた。ラナの頭を舐め、しっかり言い聞かせるように低い声を出す。
「いいかい。よくお聞き。お前はもう聞き飽きたかもしれないけどね。昔、ずーっと昔のこと。パルディスの外も豊かな自然が広がっていたんだよ。今はもう見る影もない砂漠だけれどね」
「知ってるよ! もう何回も聞いた! 飽きた! もっと楽しい話がいい!」
ラナはくちばしでガウルの足元を突く。ガウルはラナの顔の近くで低く唸り、突かれていた手を退けた。
「お前が分かっていないから何回でも聞かせてるんだよ! よくお聞き! 自然豊かだった頃、数多の神々は人間たちに崇拝され、加護を授けてきた。だけど人間たちは強欲だった。次第にその加護が自分たちの力だと自惚れていった。神々を信仰しなくなり、堕落していった」
「それで神様怒ってみーんな帰っちゃったんでしょ。その後自然がどんどんなくなって、人間たちの住んでるところはほとんど砂の大地になっちゃって、もう元の綺麗な自然はこのパルディスだけだって」
ラナは地面に座り込み、体を左右に動かす。ガウルはラナの体をじっとさせるように鼻で押さえて、無理やり自分と目を合わさせた。
「そう、この地に残ることになった神の眷属や生き物を哀れに思った神、サルディンがこのパルディスだけを残してくれた。パルディスに人間が入れぬように、幻影の濃霧や激しい流砂……他にもいろいろあるけれど、人間が入ってこれないような仕掛けがパルディスの周りにある。人間と関わると碌なことにならないんだよ。だからお前の一族やお前の母さんは……」
ガウルは一気に話すと、ふぅ、とため息をついて遠くを見た。ラナはその視線の先を辿る。緑豊かな自然にあふれた大地。水は地から溢れて川をなし、花が咲き誇っている。
確かに、ラナが空から見る外の世界はこことは違っていた。砂の大地が地平線まで伸びていき、たまに点々とあるオアシス。人間が沢山集まっている巨大な壁に囲まれた街。そのどれもが、ここパルディスの豊かさとは程遠かった。
「じゃあもう人間と神様は仲良くないの? いい人間はいないの?」
「いないよ」
「でも、あのオスの人間はラナのこと助けてくれたよ? いい人間だったよ」
「は? ラナ、なんて言ったんだい?」
「あっ」
ラナは自分の嘴に両羽を持っていく。恐る恐るガウルを見上げると、ガウルは眉間に皺を寄せ、これでもかというほど毛を逆立てていた。
「ラナァッ!! お前って子は! あれほど人間に関わるなと言ったのにッ!」
「ち、違うの! ラナの足にロープが絡まって動けなくなってたら、オスの人間が助けてくれたの! フカコーリョクなの!」
ラナは羽をパタパタとさせ、必死にガウルに訴えるが、ガウルは耳を貸すことなく歯を剥き出して唸っている。
「お前の母親がどうしていなくなったのか忘れたのかい!?」
「ま、ママ、人間に恩返しするって言って、パルディスから出て行った……」
「あの子は私にお前を預けたまま帰ってこないだろう!?」
「で、でも、まだ恩返し、してるところかもしれないし……」
「そんなわけあるかい! もう何年たっていると思っているんだい!? 人間に殺されてるに決まっている!」
ガウルの剣幕に押されて、ラナはどんどんと小さくなっていく。俯き、ポタポタと涙を流して震える声を上げた。
「マ、ママ死んでない……恩返し終わったらちゃんとラナのところ帰ってくるって言ったもん……」
「お前たちアルラーミアの一族がどんどん姿を消していったのは、その恩返しの習性を利用されて人間に狩られていったんだ! お前の母さんにもあれだけ人間と関わるなと言ったのに、パルディスから飛んでいって! 幼いお前を残して行っちまった! パルディスに残ったアルラーミアはもうお前一羽だけだ! お前まで母のようにいなくなるのかい!?」
ガウルはラナの首根っこを掴んで大樹の根元へと連れていく。木のウロにラナを捩じ込むと、その前にドンと座り、ラナが出られないように塞いだ。
「いいかいラナ! お前を助けた人間は、お前の習性を利用しようとしているだけだ! 決して恩返しなんぞ考えてはいけないよ! わかったね!?」
「ガ、ガウル……」
「私はお前まで失うわけにはいかないんだよ……頼むからお利口にしておくれ……可愛いラナ……」
「う、うん……」
ラナはガウルの剣幕に押されて頷く。ガウルの背中は湿気に濡れており、どことなくしょんぼりと見えた。
ラナはウロの中で首をすくめて丸くなる。頭の中ではあの人間のオスの柔らかい微笑みと、ピィちゃん、という温かい声が繰り返されていた。
ガウルはしばらくすると、ご飯を探しに行ってくると言ってどこかへと走って行った。
「大人しくここで待っているんだよ」
突風のように走って行ったガウルを見送ると、一羽残されたラナはてちてちとウロの外に出る。ガウルの走って行った方を一度だけ見て、何度か足で土を蹴ると、大きく羽を広げて空高く飛び上がった。
「おじちゃーん! サルディンおじちゃーん! ラナだよ〜! おじちゃーん!!」
ラナは大きな木々が密集して生い茂っている一角に飛んできた。木々の枝が絡み合い、空中に大きな通路を作っている。そこに、大柄の男が三人寝そべってもなお大きい何かがいた。
「大きな声出さなくても聞こえてるよ。どうしたのラナちゃん」
寝ぼけたような声が木の上から降ってきた。ラナが見上げると、尻尾が枝の上からぶら下がっている。ラナは目を細め、声のいる方向に飛んだ。
「おじちゃん! また木の上で寝てるの?」
「おじちゃんはもう歳だからね。お昼寝してないと体がキツいの」
木の上に寝そべって寝ているのは、巨大なヒョウだった。ヒョウは木の上に登ってきたラナを片目を開けてみると、また両目を閉じて微睡んだ。
「おじちゃん! 起きて! おじちゃんって神様なんでしょ?」
「そうだよぉ〜でもね、むかーしの話だよ。もうほとんど信仰されてない神様だからね。とーっても力が弱くなっちゃったの。君たちみたいなおしゃべりできる神様の眷属である動物たちがいるお陰で、なんとかおじちゃんもまだいることができるけどねぇ。本当はもーっと昔にいなくなっているはずの神様なんだよ」
「そうなの?」
「そうだよぉ〜君たちが仕えていた神様たちも君たちのこと神世に全員連れて行けばよかったのにねぇ。みーんないい子なのに、どうしてあっちに連れて行かなかったのかなぁ。そのおかげで僕はパルディスの維持が大変なのになぁ」
「よくわかんない……」
「ラナちゃんにはまだちょっと難しかったねぇ。ごめんねぇ。おじちゃん昔から他の神様たちにも話が難しいとか、話が長いとか、話がどんどん逸れてるとか言われてたんだよ」
「ふーん……あ! おじちゃん! あのね! ラナね! 人間に化けたいの! おじちゃんは人間に化けられるんだよね!? 教えてほしいの!」
「ん? どうしてだい?」
「あのね、あのね、ラナね。この間パルディスの外に出た時に、人間に助けてもらったの! だから、恩返ししたいの!」
ラナは枝の上でぴょんぴょんと飛び跳ねて、サルディンの周りをぐるぐると回る。サルディンはニコニコとラナを見守りながら頷いた。
「ん〜そっかぁ……いいよぉ。おじちゃんが教えてあげるね。でもね、約束してほしいんだ。人間の前で変化を解いてはいけないよ。酷い目に遭うからね」
「うん! わかった! 約束する!」
「それからね、恩返しできたと思ったならすぐ帰ってくるんだよ。別にね、絶対に恩返ししないといけないという決まりはないんだからねぇ。ラナちゃんが危ない目に遭うなら、行かなくていいんだよぉ」
サルディンはラナの毛を舐めたあと、体を起こし、背を伸ばした。
「大丈夫! あの人間はいい人間だったよ!」
「みんながみんなラナちゃんの言う通りにいい人だったらいいんだけどねぇ」
「あっ! ガウルに内緒ね! 言わないでね!」
「努力はするよ」
「やった! やった! おじちゃん大好き」
ラナはぴょんぴょんと跳ねながらサルディンの顔に頬擦りする。サルディンは目を細め、鼻をラナの顔にくっつけた。
「ラナちゃん、人間に化けるのにはイメージが必要なんだよ。化けたい人間のイメージを頭の中で作って、自分の体に纏っていくイメージ。君たち眷属はみんなできるはずだよ。やってご覧」
「うん! ふん! んんんんん!」
ラナは枝の上で踏ん張ると、毛を膨張させる。全身がコロコロした毛玉のようになる。
「ん〜おじちゃんむずかしいよ〜できない……」
「最初は難しいねぇ。何度か挑戦したらできるようになるよぉ頑張って、ラナちゃん」
「ラナ、がんばる……ふんんんんんん!」
「がんばれがんばれ」
穏やかな昼下がり、木漏れ日が差す森の中で、一羽と一匹の見た目をした神は穏やかに時間を過ごしていた。
「できたぁ〜!!」
「うんうん、できてるねラナちゃん」
日が少し傾いた頃、木の上では人間の少女と巨大なヒョウがいた。
少女は飛び跳ねながら、長い赤い髪を揺らしている。目は夕暮れのように明るく、満面の笑みを浮かべている。
「歩くのもだいぶ上手くなったでしょ!」
「うんうん、上手だね」
「えへへ」
ラナは自信満々に胸を反ると、サルディンはラナの腕を頭突きしながら、木の根元の方に押した。
「ラナちゃん。人間は裸でお外歩いちゃダメなんだよ。服を着ようね。あと裸足だと怪我しちゃうからね。お靴も履こうね」
「服? 靴? 人間の羽毛?」
「そうそう」
サルディンは枝から飛び降りると、木の根本からずるずると何かを引き摺り出してきた。
古びた箱を取り出すと、器用に開く。中には見たこともない輝く石や、ランプ、ペンや秤などが雑多に詰め込まれている。その中から布の塊を取り出した。
「ラナちゃんにはちょっと大きいかもしれないけど、これ着てね」
「うん! おじちゃんありがと!」
ラナは鳥の時と同じように飛び降りようとして、枝から滑り落ちた。
尻餅をつきながら痛みに顔をしかめ、サルディンのそばに這い寄る。
布の塊を受け取ると、布の塊を広げた。空から見下ろして見ていた時の人間を思い出しながら、悪戦苦闘しながらなんとか着ることができた。服は体にずっしりと重くのしかかり、動きにくかった。靴も窮屈で歩きづらく、足が締め付けられるようで、拘束されているような気分になる。
「なんか、変」
「そのうち慣れるよ。これね、むかーしおじちゃんが人間たちと暮らしていた時の服だから、ちょっと古臭いけど……でも、服装の流行りは一周まわるって言うしね。あ、ターバンも巻いておきなさい。人間の体だと、太陽や砂が熱いからね」
「ラナー! どこにいるんだい! ラナー!」
遠くから、ガウルがラナを探している声が聞こえてくる。ラナは少女の姿のまま飛び上がり、慣れてない足のまま服に躓いて転げた。
「ガ、ガウル。いつもより早い……!」
「ラナちゃん、もう先に行きなさい。おじちゃんがガウル止めててあげるから」
「本当!? おじちゃんありがとう!」
ラナは急いで服を脱ぎ、鳥に戻るとそのまま荷物を持って飛んでいく。
その様子をサルディンは空色の瞳で見送ると、後ろから剣呑な雰囲気を出しながら歩いてくるガウルがいた。
「……あの子に余計なことを教えただろう」
「どうあってもあの子は人間のところに行くだろう。それなら、少しでも生き残れるように人間に化ける技術を教えてやるのが僕の神としての役目じゃないかと思ってね」
「老いぼれがっ!! そこまで耄碌しているとは思わなかったよ!」
「ガウル。僕も昔は止めていたんだよ。でも、あの子たち、アルラーミアの一族は皆、聞く耳を持たず、パルディスから飛んでいった。人間に恩を返すために。そして、一羽として戻ってこなかった。もうこれはあの子たちの本能なんだよ。私たちが押さえつけられるものじゃない」
「それでも、無理やりにでも止めてやるのが私たちだろうッ! あぁ……ラナ……だから外に出るなと……人間と関わるなと言ったのに……」
ガウルから威勢が消え、尻尾は下がり、耳は垂れ項垂れている。サルディンは、ラナが飛んでいった方角を見て、首を伸ばした。
「ラナちゃん、君はちゃんと帰ってくるんだよ」
残った古き神の祈りは遠く羽ばたく熱砂の鳥の耳には聞こえず、ただ悲しそうに遠吠えする狼の声にかき消されてしまった。
降り注ぐ灼熱の太陽、足元から上がってくる熱砂の砂埃、それらを圧倒するほどの熱気がこのオアシス都市にはあった。
キャラバンの商人たちはこぞって商品を売り捌こうとしており、遊牧民たちは毛皮などを他のものと交換しようとしている。大道芸をしているものたちは、立ち止まっているものに感嘆の声を上げさせ、子供達は走り回っており、兵士たちはそれを横目に見ている。
ここはあまりにも人が多い。少女の見た目をしたラナは人混みから離れたところでめまいを覚えていた。
(空から見ていた時よりも、ずっと人が多い……)
右を見ても左を見ても、どこもかしこも人だらけだった。ターバンの中にしまい込んだ髪がじっとりと汗に濡れて気持ち悪かった。
(カリマーラの近くまで飛んで来て、人のいないところで化けたけど、想像以上に人間の体って不便だな)
ラナは足や手を動かしてみる。羽があった頃と違って複雑な動きができる指、空を飛ぶこともできない貧弱な腕、何より服がなければ寒さを凌ぐこともできない素肌が心細かった。
パルディスで人間に化けたのが成功した時は、嬉しさのあまり気にしてはいなかったが、こうして人混みに混ざっていると、どうしようもない不安が襲ってくる。
両手を握りしめて、息を吐き、決意を固めると、ラナは人混みに一歩足を踏み出した。
「……さて、どこにいるんだろう」
ラナは辺りを見渡しながら歩いていく。一度しか会ったことのない男に恩返しをするために。
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