第1話 聖女、宇宙へ……

 ――死んでも離さない! 追手に足を掴まれたまま、エリスは決死の表情でミサイルにしがみついている。彼女の腕の中では、ゴォォォォォ!という耳をつんざく噴射音を撒き散らしながら、ミサイルが空に向かって今もなお加速していた。


「おいっ、手を放せ! 今なら間に合うぞ! お前が教会に戻れば全てが丸く収まるんだ!」

「絶対に嫌! それってあんたたちの都合でしょ!」


 最後までしつこく付きまとってきた追手の一人がエリスの足を掴みながら説得を試みてくるも、エリスの心には全くと言っていいほど響かなかった。余裕がないと外に出ることも禁じられ、朝から晩まで働かされるような教会に買収されたヤツらの言うことなど、誰が信じられるというのだろうか。


「う……ぐっ……」


 高度が上がり空気が薄くなり、気圧が下がっていく。『聖女の加護』で守られたエリスと違って、追手の顔が見る見るうちに真っ青になり、全身が腫れ上がるようになる。


 それも束の間、今度は顔色が青を通り越して白くなり、エリスの足を掴んでいた手の力が緩んでいく。耐え切れずに手から力が抜け、追手は地面へと落ちるよりも早く光に包まれて消えた。


「緊急脱出が発動したか……やっと最後の一人も振り切れたよ……」


 長かった逃亡生活の終わりが見えて、エリスは安堵のため息を漏らす。ますます強くなる日差しが銀色の髪を照らして輝き、深くなる青い空が深紅の瞳に映って交じり合う。


「このまま、僕は自由の世界へと旅立つ!」


 エリスが勝利の雄叫びを上げた瞬間、ミサイルは成層圏を突破した。


 先ほどまでの深い青空は、一転して真っ黒な夜空へと変わり、見えるはずのない無数の星がキラキラと宝石のようにちりばめられている。


「きれい……」


 エリスは久しぶりに見た美しい夜空に見惚れてしまう。長いこと、聖女の仕事に追われて夜空を楽しむ余裕などなかった。


 ふと振り返ると、先ほどまでエリスの生活していた星が遠ざかっていく。外から見ると丸い球体に見える世界の表面には海の青、陸の緑、雲の白が混ざり合いながら渦巻いていた。


「いい思い出なんてなかったけど……これで最後だね」


 そんな個人の感傷すら小さく見えるほどの雄大な姿。しかしエリスは、一瞥しただけで目の前に広がる未知の世界を見据え、未来に思いを馳せるのだった。



「お腹空いたなぁ……」


 それから、どれくらい経ったのだろう――エリスは広大な夜空の中を当てもなく漂っていた。掴んでいたミサイルは早々に燃料が尽き、今は惰性だけで進んでいる。


 猛スピードで移動しているはずなのに、風を全く感じない――空気がないはずなのに息苦しくなかった。


「聖女の加護のおかげかな?」


 そんな彼女でも空腹だけはどうしようもなかった。上下左右も分からないまま進み続けるミサイルにまたがって、お腹を押さえながら眉をへの字に下げる。


「せっかく自由になったのに、このまま飢え死にはイヤだなぁ……」


 教会という狭い鳥籠の中から広い世界に羽ばたきたい――と思っていたエリスでも、流石に宇宙空間は広すぎた。いくら進んでもゆっくりと星が流れていくだけで代わり映えのしない景色に、最初の感慨などとうに吹き飛んでいた。


「体力を温存するために、少し寝と――」

「止まれ! そこの宇宙船……いや、生身の人間が乗ってる?!」


 空腹に耐えかねて、ひと眠りしようとしたエリスの耳に野太い男の声が聞こえてきた。声の聞こえた方を見ると宇宙船がエリスと同じスピードで飛んでいた。


「止まれと言っている!」

「止まらないんですけど!」

「止まらないのかよ……! しゃあねえ、こっちで止めるから少し待ってろ!」


 宇宙船からフックの付いたワイヤーが伸びてミサイルに引っ掛かる。ワイヤーがピンと張り、少しずつミサイルの速度が落ちていった。


「そのままこっちへ飛ぶんだ!」


 速度が落ちてきたところで、宇宙船のハッチが開く。厳重に服を着込んだ男が手招きをしていたので、エリスは彼の方へ向かって跳んだ。か弱い少女の脚力ではあったが、無重力の空間では止まることなく真っ直ぐに彼の腕の中へと飛び込んだ。


「確保完了! 離脱しろ!」


 ハッチが閉じて、エリスの頬が風を感じる。男が頭から被っていたヘルメットを脱いでエリスに微笑みかけた。エリスは初めて見る宇宙船の中の光景に目を奪われていた。


「大丈夫だったか? ま、詳しい話は後にして、こっちに来てくれ」


 男の声にエリスは我に返った。彼に先導されて隣の部屋――操縦室へと向かう。先行した久我が操縦席に座ると、カタカタとキーボードを叩いて眉間に皺を寄せた。ミサイルを指差してエリスの方へと振り返る。


「あれは壊しても大丈夫か?」

「えっと……大丈夫だと思います」

「じゃあ、このまま破壊するぞ」


 男が操縦席にあるボタンを押すと、ミサイルに向かって光線が放たれた。光線に打ち抜かれたミサイルはすぐに大爆発を起こす。宇宙船は軌道を変えながら爆風スレスレの所を通り抜けた。


「処置完了だ。ああいうのを放置しておくと、惑星や他の宇宙船に衝突して危険だからな」


 男は安堵の表情を浮かべながら立ち上がると、エリスに向かって微笑む。一方、エリスは助かったと安堵しながらも、男を警戒していた。


「とりあえず……助けてくださってありがとうございます。それで、どちら様ですか?」

「ああ、自己紹介がまだだったな。俺は宇宙警察第七星区の刑事、久我弘樹だ」

「宇宙警察……刑事?」

「簡単に言うと、宇宙の秩序を守る仕事だな。好き勝手に宇宙を飛ぶヤツを取り締まったり――ま、お前さんはわざとじゃないみたいだし、保護する形になるだろうけど」


 久我の「取り締まる」や「保護」という言葉を聞いて、エリスは身を固くしながら警戒心を露わにする。


「俺が滞在している惑星トピアに来て事情は聞かせてもらうが、それが終われば自由にしていい」

「ホントに? 教会みたいに無理矢理、働かせるつもりじゃ……」

「しないって! そういうのも取り締まる側だからな」


 そこまでひどい扱いをしないという言葉を聞いて、エリスは少しだけ気が緩み――お腹が大きな音を立てて鳴った。


「……」

「ああ、腹が減ってるのか。ちょっと待ってろよ――ほら、これでも食っとけ」


 久我がキャビネットを漁って細長い袋の中身をエリスに差し出すと、チョコレートの甘苦い香りが広がる。それを受け取って、勢いよく食べ始めた。サクサクという触感とくどい程の甘さ、わずかな苦みが一体となって空腹を癒していく。


「さて、それじゃあ行くぞ」


 宇宙船は惑星トピアに進路を向けた。

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