誰が為に出囃子は鳴る

沼シビレウニ

case.1 缶詰ドロップス

case.1-1 原口街と、度入りの仕事

「街」

夏樹の掠れた大きい声が耳に飛び込んだ。スマホをカバンに放り込んで、廊下の姿見を盗み見る。

「今行く」

銀で縁取られたメガネを御守りのようにかけた。キツい目つきはこれで隠れる。これで大丈夫。ノイズにはならない。1呼吸置いてから、相方の待つ袖へ向かった。

「大丈夫や、今日だって」

「おう」

何回も言ってきた合言葉。俺たちは大丈夫。それに保証はないけれど、きっとそう。とびきり明るい出囃子の始め、拍手の音。仕事の時間だ。俺にしかできない仕事。強い照明が伊達メガネに反射する。

「どうも〜」


出番終わり、ソファに座り込んでスマホを見ていた。小さな楽屋はいつも軽く騒々しい。喋りたがりばかりなものだから、個々の集団で話していた話題はいつのまにか合流したり、入れ替わったりする。他人を挟んで会話するのだってしょっちゅうある。

「松浦、飯行こ」

左から相方の声がする。

「金ないからパス」

次は右から。短く即座に切り捨てられたことに対する落胆か、小声で悪態をついていた。

俺を挟むな、と言いたかった。が、3人がけの真ん中に座った自分が悪いことは自覚していたので、グッと堪える。

「誰か飯行かん?」

ソファから立ち上がって全体に呼びかける夏樹。握られている画面にはすでにマップアプリで近くの居酒屋を探しているのが見えた。赤いピンがポツポツと刺さっている。

「川端、は寝てるし」

コンクリートで固められた部屋の隅には、縮こまって目を閉じている川端。横には文庫本を読んでいるそれの相方がいた。そういえば、舞台上以外で久しく起きているところを見ていない気がする。スケジュール帳の詰まり方を見たときを思い出し、忙しいんだろうな、と1人で納得した。

「咲ちゃんは?」

名指しで呼ばれた咲は、唐傘を丁寧に畳んでいた手を止めて、顔を上げる。

いつだったか。これはウチのアイデンティティや、と豪語しておきながら、数分後にその傘で思いっきり相方の松浦のことを引っ叩いたのは。思い出して少し可笑しい気分になった。

「ほな行こかな」

当の本人は二つ返事で了承していた。やっとついていく人間が現れた、と軽くほっとしてスマホに目を戻す。

『ライブお疲れ様でした、次はこれで会いましょう』

慣れた手つきで自分のSNSを更新する。そのまま、スパムからのDMを蹴り飛ばしつつ、ファンからのものが来ていないか確認する。その間も相方は此処に行こうだのはしゃいで、他の参加者を募っていた。

タイムラインは今日も相変わらずで、知り合いの芸人、売れている芸人のファンの呟き、何処かの誰かの不適切な発言。そんなので満ち満ちている。早々にアカウントを切り替え、いつもの推し絵師のツイートを見る。『ヤバい、15時間睡眠の神』

この人のツイートは賑やかで楽しい。とりあえず目についた1つにいいねを押した。

「じゃ、街も行くで」

「え、俺も?」

意識を現実に戻せば、いつのまにか行くことになっている。まさか自分も連れていかれるとは思っていなくて、素っ頓狂な声を上げた。

「帰るつもりなんやけど」

「どうせ帰っても飯ないやろ。サバちゃん夜勤やし」

記憶の片隅から、3人のルームシェア内でのメッセージを掘り起こす。

『ダメだあ 次の2人のライブ行けない』

『夜勤?』

『開演時間ジャストから』

『どわあ』

一昨日の身のない会話が掘り起こされた。どうやら行くしかないらしい。舞台上ではない、メガネの夏樹がこちらを覗いている。俺とは違う、世界が屈折するレンズ。差し出される手が憎たらしく思えて、赤ちゃんとちゃうねんぞ、と薙ぎ払った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰が為に出囃子は鳴る 沼シビレウニ @toyama_1221

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ