都会
@suigyoku_create
都会
散歩は好きだが、都会を散歩するのはあまり好きではない。人がいない場所の方が落ち着くし、せっかく晴れた日でもビルに日差しが遮られてもったいないからだ。
それに、都会には気をそらすものも多い。広告の看板、人の話し声、自動車の排気音、どこかから香る食べ物の匂い。
田舎を散歩していても、鳥の鳴き声、珍しい花などで気はそれるが、自然の営みに気をそらされるのと、人々の活動に気をそらされるのでは心証がかなり異なる。
今日もビル街を散歩して気をそらされるものがあった。中学受験生のための学習塾だ。なんとなく窓の中を覗き込むと、まだあどけない顔をした小学生たちが必死に机に向かって何か書いている。
直感的に、なんかかわいそうだ、と思ってしまった。果たして本当にこの子どもたちはかわいそうだろうか。
彼らの多くは、幼年のころから勉強に莫大な時間や気力を費やしてきた子たちだ。そうして受験を乗り越え、中学生になった後も、そのリソースを勉強につぎ込み続ける子は少なくない。
私もその内のひとりかもしれない。そこまで勉強を頑張った覚えはないが、私も中学受験を経験した。高1の夏から記録し始めた学校外での勉強時間は、大学受験期に2000時間を超えている。
彼らはきっと、膨大なリソースを勉強につぎ込む覚悟を持たずに勉強し続ける。私もそうだった。地元の中学は荒れていると聞いたからとりあえず中学受験をしたし、いい大学に行った方がいいと思ったからとりあえず大学受験の勉強を早く始めた。
しかし私は、そう行動したことを後悔していない。勉強を続けた結果、第1志望には落ちたものの、国立大に入ることができた。理系なので就職も堅調で、このままレールの上にいることさえできれば安泰な人生を送ることができる。生きるうえで安定や快適さを重視する私からすれば、これはとても喜ばしいことだ。
結論が出た。彼らはかわいそうではない、場合が多い。小さいころから勉強に打ち込むことでしか得られないものもある。その勉強が強制されるものかどうかに関係なく、子どものときの勉強は後の助けとなる。その証拠に、学生時代に学んだことをまったく生かしていない人を、私は見たことがない。たとえそれが間接的なものであっても、みなその時代の学びを何らかの形で今に結びつけている。
そもそも、彼らの中には単に勉強や競争を楽しんでいる子もいるだろう。子どもに勉強をさせたいのは大人のエゴだが、子どもをのびのびとした環境で育てたいのだって大人のエゴなのだ。
結論は出た。結論は出たはずなのに、帰りに同じ塾の前を通って中を覗き込むと、なんかディストピアみたいじゃん、と素直に思ってしまう。
やっぱり散歩は田舎でしたい。
都会 @suigyoku_create
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