話の長い患者さん
ひつじのはね
第1話
彼が『いい人』であることに間違いはない。だけど、そうであることと、『いい患者』であることは別なのである。
実のところ私は3分で事足りる検温に伺っただけで、わざわざそんな、ベッドから起き上がり、あぐらをかいて向き直っていただかなくても良かったのだ。
穏やかな会話に、若干前のめりの相槌を打ちつつ、扉までの距離を測る。
じりじり過ぎていく時間に焦りを覚え、私は徐々に扉へとにじり寄ろうと試みていた。
なんせ、山田さんはいい人なのだ。決して邪険にしたいわけでも、悲しい顔をさせたいわけでもない。私がここから脱出したがっているなどと、おくびにも出してはいけない。
視線が外れる瞬間を狙って、少しずつ空ける距離。デスゲームの『だるまさんが転んだ』はきっと、こんな心地であるに違いない。
山田さんは、傍らで看護師がデスゲームを強いられているなどと察することもなく、穏やかな笑みを浮かべている。
今か、今扉に手を掛けるべきなのか?
話の切れ目を狙っては伸ばしかける手が、踵を返そうとした体が、都度続く話に遮られる。
もうパーソナルスペースとしては十分すぎる位置まで離れたのに、まだか。まだ山田さんには会話可能なのか。なんと射程の広い御仁だろうか。
しかしついに、その均衡が破られる時が来た。
「あなた、看護師さんもお忙しいから……」
苦笑するご婦人が、おっとりした表情から素早く私へ目くばせを繰り出した。
『行け、今のうちに。ここは私が――!』
さすが、である。さすがはこの夫と対を成す存在。
『ありがとう。この御恩は忘れない』
感謝と謝罪を瞳に込めて小さく会釈したとき――なんということだろう。夫人が抑えていたはずの強敵が、再び立ち塞がった。
しまった……。尊い犠牲を活かし切れなかった無念を胸に、再び振り返った時、彼は言った。
「そんなこと言いなさんな、看護師さんは忙しいんだから。――だからな、私が話している間だけでも、ゆっくり休憩出来たらいいじゃないか」
私は、すっかり後ろへ重心移動していた体を立て直して、夫人と顔を見合わせた。
そして、二人で上品ではないくらい、大きな笑みを浮かべたのだった。
話の長い患者さん ひつじのはね @hitujinohane
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